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書類選考で“落選”→2年後に12万人の頂点へ…「国民のおもちゃ新発売」でデビューした【元祖バラドル】病を越えた現在

  • 2026.11.5
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山瀬まみ-2007年8月撮影(C)SANKEI

20年前の2006年11月、文化の日の朝の日比谷公園は秋晴れだった。ニッポン放送が開いたリスナー感謝祭「THE RADIO PARK 2006 in HIBIYA」。そのオープニングを飾るテープカットの壇上に並んだ顔ぶれの中に、山瀬まみの姿があった。

テープが切られたあと、午前10時から会場で公開生放送が始まる。番組は『うえちゃん山瀬のサプライズ!』。ニッポン放送の上柳昌彦アナウンサーと山瀬が、毎週金曜日の朝に届けていたワイド番組だ。

当時の山瀬といえば、『新婚さんいらっしゃい!』や『天才!志村どうぶつ園』など、毎週テレビに映る売れっ子タレントだった。そんな彼女が祝日の朝に向かったのは、テレビのスタジオではなく、ラジオ局が公園で開いたお祭りだった。テレビの仕事をいくつも抱えながら、彼女は毎週金曜日になると、当たり前のようにラジオのマイクの前へと戻ってきていた。

その声の居場所は、形を変えながら、いまも続いている。

ニッポン放送の「庭」で迎えた初日

ニッポン放送にとって、日比谷公園はいわば自分たちの「庭」のような場所だった。お台場から有楽町へ戻って2年。電波越しではなくリスナーと直接触れ合おうと、公園には生放送や公開収録のほか、女子アナウンサーたちの握手会やライブが用意された。

出演者には、和田アキ子、高田文夫、テリー伊藤、上戸彩、オリエンタルラジオといった錚々たる顔ぶれが名を連ねていた。ラジオパークの初日の朝、公開生放送のトップバッターを任されたのが、山瀬と上柳のコンビだった。

テープカットが終わると、そのまま生放送が始まった。番組の中で上柳は、初めてのテープカットのことをあれこれ話している。そのあとには『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』、テリー伊藤の番組と、公開生放送が続いた。日比谷公園を訪れた人は、初日だけで実に5万人以上にのぼった。

主役の隣のテレビと名前を掲げたラジオ

2006年の山瀬は、テレビのレギュラー番組をいくつも抱えていた。『ブロードキャスター』ではコーナー「お父さんのためのワイドショー講座」を長年担当し、『新婚さんいらっしゃい!』では桂三枝(現・桂文枝)のアシスタントを務めて10年目の節目を迎えていた。さらに2004年にスタートした『天才!志村どうぶつ園』では、“園長”志村けんの“秘書”役だった。

大御所司会者の隣に寄り添うアシスタントに、園長を立てる秘書。テレビでの山瀬は、主役の隣に立つ役どころが目立っていた。

しかし、ラジオでは違う。番組の看板には、しっかりと「山瀬」の名前が掲げられている。主役を引き立てる側ではなく、上柳と名前を並べて生放送を受け持つパーソナリティ。テレビでおなじみのあの声は、ラジオの世界では、金曜日の朝の声としてリスナーの日常に寄り添っていた。

書類選考で落ちた少女が話す仕事で刻んだ40年

山瀬が芸能界の門を叩いたきっかけは、言わずと知れた「ホリプロタレントスカウトキャラバン」だった。幼稚園のころから歌手を夢見ていた彼女は、この名門オーディションでグランプリを獲って芸能界に入る青写真を描いていた。

だが、現実は甘くなかった。山瀬が応募した第8回大会は、あえなく書類選考で落選。それでも2年後の第10回大会にもう一度応募し、12万人の頂点となるグランプリを射止めてみせた。

1986年春、松本隆作詞、呉田軽穂(松任谷由実)作曲のシングル『メロンのためいき』で、念願の歌手デビューを果たす。キャッチコピーは「国民のおもちゃ新発売」。

ただ、彼女の名前を広めたのは歌声だけではなかった。同じ1986年にレギュラー出演した『テレビ探偵団』をきっかけに、山瀬は「バラドル」と呼ばれるようになっていく。

歌手を目指して飛び込んだ世界で、求められたのは話すことだった。一度は閉ざされたオーディションの扉を自らの手でこじ開けた少女は、いつしか喋り手として自分の場所を築き上げていった。

「合格」のものさし

デビューから約40年。今、山瀬が腰を据えているのは、千葉・BAYFMの生放送スタジオだ。春原佑紀がDJを務める昼のワイド番組『BAYFM it!!』で、彼女は火曜日のパートナーとしてマイクに向かっている。

その歩みに影が差したのは2025年春のことだった。3月から番組を休み、復帰は約7か月後の10月7日。その放送で山瀬は、子宮体がんの手術を受け、がんの合併症で脳梗塞も起こしていたことを明かした。

復帰の日、相棒の春原は、山瀬のデビュー当時のキャッチコピーをもじって、「永遠の国民のおもちゃ」と彼女を迎え入れた。

療養中は、食べ物をうまく飲み込めない時期もあった。医師から“合格”をもらえた喜びはスカウトキャラバンのとき以上だったと、山瀬は番組の中で振り返った。

一度は書類で落とされ、二度目の挑戦でつかみ取った芸能界への切符。それから40年がたっても、彼女の中でいちばんうれしかった出来事を測る基準は、あの10代のオーディションのままだったのだと思う。

そして今、その記憶すら塗り替えるほどの「合格」を手にした山瀬まみは、火曜日の昼のマイクの前に座っている。


※記事は執筆時点の情報です

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