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なぜ恋の痛みはこんなにも明るく響くのか?30年前、彼らが花に託した恋の高鳴り

  • 2026.9.8
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L'Arc〜en〜Cielのライブより-1998年5月撮影(C)SANKEI

好きな人を思うとき、人は少し大げさになる。相手が太陽に見えたり、自分が風に揺れる花のように頼りなく感じられたりする。だから恋の歌には、花や太陽がよく出てくる。この曲もそうだ。ただ、この曲の詞は、その大げさな言葉を途中で手放さない。

花も太陽も、鳥かごも種も丘も、最後まで比喩のまま歌い切る。それなのに聴き終えて残るのは、誰かを好きでたまらない気持ちそのものだ。

L'Arc〜en〜Ciel『flower』(作詞・作曲:hyde)ーー1996年10月17日発売

さわやかなメロディに、軽やかなアレンジ。そこに乗った、比喩だらけの恋の詞。この組み合わせの気持ちよさを、ロックファンとして熱を込めて推したい。

比喩を重ねるほどはっきりする気持ち

詞のなかで、歌う人物は自分を一輪の花として語る。好きな相手は太陽だ。その光を浴びて、強く咲いていたいと願う。ここまでなら、よくある恋の言い回しだ。

ところが詞は、この花と太陽のすぐ隣に、誰にでも覚えのある場面を置く。今日も会えない。だから昼間からベッドに潜り込み、目を閉じて、夢のなかの相手を見つめる。窓の向こうにいる本当の相手は、いまなにをしているのだろう。大きな比喩と小さな日常が同じ詞のなかで交互に現れるから、花や太陽という言葉が、そのまま恋をしている人の気持ちとして読める。

「いつでも君の笑顔に揺れて」という一行は、その効き方をいちばん短く示している。風に揺れる花の姿と、好きな人の笑顔ひとつで気分が上下する人の姿が、この一行で重なる。相手が笑えば嬉しい。相手の顔が曇れば自分まで沈む。恋をしたことのある人なら、揺れるという言葉の意味を説明されなくても分かる。

詞はさらに時間をさかのぼる。遠い昔、空っぽの鳥かごを抱えて歩いていた自分は、きっと君を探していたのだと歌う。鳥かごの一行があるから、この恋は出会った日に始まったものではなく、出会うずっと前から用意されていたものとして聞こえる。好きになってから振り返ると、それまでの自分がずっと相手を探していた気がしてくる。あの感覚を、詞は空っぽの鳥かごという一つの絵で言い当てている。

後半で詞は約束をする。たくさんの種をあの丘にまいて、きれいな花を敷きつめてあげる。だからここで待っているから、早く見つけてほしい。会えない寂しさから始まった歌が、相手に何かを贈りたい気持ちに変わり、見つけてもらえる日を待つ気持ちに変わる。会いたい、笑顔に揺れる、贈りたい、待つ。恋の中身が、比喩の形のまま一つも欠けずにそろっている。

胸の痛みをいちばん明るい音に乗せて

音の話に移りたい。ギターが軽やかに刻み、リズムは歩くような速さで進む。歌い出しは低い音域で静かに揺れ、サビに入ると音がぱっと広がって、声が高いところへまっすぐ伸びる。低いところで目を閉じていた人物が、サビで顔を上げて太陽を見る。そんな動きが、旋律の上り下りと重なって聞こえる。

花や太陽の詞をこのさわやかな音が運ぶから、聴き手はこの曲を、いま恋をしている人の話として受け取れる。ギターの音は近くで鳴り、歩く速さのリズムは最後まで乱れない。言葉がどれだけ大きく広がっても、音のほうは、いつも聴き手のすぐそばで鳴っている。

サビが終わると、音はまた歩く速さの静かな伴奏に戻る。目を閉じて、顔を上げて、また目を閉じる。会えない日を夢と現実のあいだで過ごす、恋をしている人の一日そのものが、この曲の形になっている。

サビの言葉の並びが、この曲でいちばん胸に残るところだ。「太陽のように強く咲いていたい」と歌ったあと、胸が痛くて壊れそうだと続く。旋律は、まさにそこでいちばん明るく開く。だからこの痛みは、好きな人を思って胸が高鳴るときの痛みとして届く。苦しいのに嬉しい。恋のいちばん幸福な苦しさが、さわやかな音に乗って、そのまま聴き手のところまで来る。

hydeの歌声が、この効果を仕上げている。サビでは旋律が一段高いところへ上がり、そこに乗る言葉は短い。その高さへ声がまっすぐ伸びていくように聞こえる。大声で呼びかける人の声ではなく、ベッドのなかで目を閉じたまま、心のなかで相手の名前を呼んでいる人の声に聞こえる。この声だから、比喩だらけの言葉が、ひとりの人間の恋としてまっすぐ届く。

夜の美学を書く人が真昼の言葉を選ぶ

作詞も作曲もhyde。言葉は花と太陽と丘へ大きく広がり、旋律とアレンジはさわやかに軽く進む。この二つがこれほど自然にかみ合っているのは、言葉と旋律を一人の頭のなかで一緒に育てたからだと考えたくなる。

花、太陽、青い空、あざやかな風。暗い美しさを知り尽くした書き手が、明るい側の言葉だけで恋を描ききった。そのことを知ったうえで聴くと、この明るさはひときわ大胆に見えてくる。

編曲にはバンドと並んで小西貴雄が名を連ねている。小西は広瀬香美の『ロマンスの神様』の編曲を手がけ、のちにミニモニ。の『ミニモニ。ジャンケンぴょん!』、EE JUMPの『おっととっと夏だぜ!』の編曲も手がけた。並べると意外な顔ぶれだが、どの曲も、明るさで人の耳に残る点では通じている。その明るさを、hydeの旋律と言葉に寄り添う形で鳴らしたのが、この曲のアレンジだ。

この曲を収めたアルバム『True』で、バンドは初めてランキングの頂点に立ち、ミリオンにも届いた。バンドの名前が広く知られていくその直前に、この真昼の恋の歌がある。

大げさなままの恋を肯定する歌

歌の最後で、主人公は丘いっぱいの花のなかで、見つけてもらえる日を待っている。片想いなのか、両想いなのか、詞はそこを決めない。決めないまま、待つ気持ちの温かさだけを残して終わる。

恋をしているとき、人は自分の気持ちが大げさすぎるのではないかと、少し恥ずかしくなる。この歌は、その恥ずかしさを取り払ってくれる。太陽だと言い切る。花を敷き詰めて贈ると言い切る。そこまで大きな言葉で歌ってくれるから、聴き手は自分の恋の大げさな部分を、安心してこの歌に預けられる。

再生するたび、好きな人を思うときのあの大げさな気分が、少し誇らしいものに変わる。恋の歌に花や太陽が出てくるのは当たり前だ。当たり前の言葉を、ここまで気持ちよく言い切った歌だから、何度でも戻ってきたくなる。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

(文・目黒権之助)

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