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忘れていないか?『電波少年』のもう一つの名曲 猿岩石にインドで手渡された応援歌

  • 2026.9.8
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サンプラザ中野(現・サンプラザ中野くん)-1999年3月撮影

日曜の夜になると、あの2人がどこまで進んだかを確かめるのが習慣になっていた。日本テレビ系『進め!電波少年』の企画で、猿岩石の有吉弘行と森脇和成が、香港からロンドンまでヒッチハイクだけでユーラシア大陸を渡っていく。

汚れた服と空腹、乗せてくれる車を待つだけの長い時間。テレビの前で見守る側も、2人が国境をひとつ越えるたびに、自分のことのように胸をなでおろした。その旅の映像に重なっていた歌が、これだ。

爆風スランプ『旅人よ〜The Longest Journey』(作詞:サンプラザ中野/作曲:パッパラー河合)ーー1996年9月21日発売

1996年の秋、この歌の出だしが聞こえるだけで、ヒッチハイクの道の景色が戻ってくる人は多いはずだ。応援歌と呼ばれるが、声を張り上げて背中を叩く歌ではない。同じ地面に立ち、隣を歩く速さで歌われる。あの企画を見ていた人なら、この歌をどこで初めて聴いたかまで、思い出せるだろう。

「届けに行く」を条件に引き受けた応援歌

企画が動き出してしばらく経ったころ、番組には旅の歌がなかった。ヒッチハイクの行程は長く、放送のたびに2人の顔は日に焼け、痩せていく。その映像に寄り添う歌を、番組側は欲しがっていた。

そこにレコード会社側の担当者、吉田敬が動く。番組プロデューサーの土屋敏男のもとをアポイントもなしに訪ね、爆風スランプのメンバーが猿岩石に直接届けて披露する、という条件つきで楽曲の制作を持ちかけた。歌をつくって渡すだけでは足りない。歌い手自身が旅の途中まで会いに行き、本人たちの目の前で歌う。その約束のうえで、この歌は生まれている。

作詞はボーカルのサンプラザ中野(現・サンプラザ中野くん)、作曲はギターのパッパラー河合。放送のなかで、埃だらけの道を行く2人の後ろ姿にこの歩幅の旋律が重なると、応援というより同行に近い温度が画面から伝わってきた。歌が先に走らず、旅の速さに合わせている。その条件が、現実になる場面がやってくる。

居場所も知らぬまま探し当てた公園で歌う

中野と河合の2人は、インドのニューデリーへ飛んだ。猿岩石がそのころどこにいるのか、正確な居場所は分かっていなかったと2人は語る。インターネットが行き渡る前の時代で、連絡を取ろうにも取りようがない。現地で探し回り、ようやく公園で猿岩石を見つけ出した。

そこで中野と河合は、まだ仮の題しか付いていない歌を、本人たちの目の前で歌った。旅の途中の2人は正座して、涙を流しながら聴いていた、と中野は振り返っている。旅の途中の2人と、追いかけてきた2人が、異国の公園でひとつの歌を挟んで向き合っている。

歌にはまだ題が決まっていない。旅もまだ終わっていない。完成していない歌を、完成していない旅の途中に置いたことで、この歌は最初から、ゴールにではなく道の途中にいる人へ向けて歌われる歌になった。

歌を届ける方法として、これほど遠回りなやり方はない。CDを渡す、番組で流す。どちらも歌い手が現地に行かずに済む。しかし吉田が持ちかけた条件は、歌い手が自分の足で会いに行くことだった。届ける行為そのものが、この歌が伝えようとしている、あなたは独りではないという気持ちの、いちばん最初の実演になっている。歌う前から、歌の中身を体で示していた。

テレビの前でその場面を見ていた側にも、この歌は同じ順序で入ってきた。まず旅があり、歌い手が会いに行く姿があり、そのあとで完成した歌が届く。順序が逆でないことが、この歌の信じられ方を決めたように映る。歌詞を読むより先に、歌が何のためにあるかを、映像で見せられていた。

「頑張れ」の代わりに体温を置いた詞

中野はこの歌詞に、「頑張れ」という言葉を意図的に入れなかった。応援する側とされる側のあいだに、その一言が線を引いてしまうから、という理由だ。実際、歌詞のどこにも「頑張れ」は出てこない。

歌詞が代わりに選んだのは、体温だ。体温を示す「36.5度のカラダ」という一節は、超人でも英雄でもない、ただの生身の人間がそのままの熱で歩いていく姿。ヒッチハイクの2人も、画面で見る限り、特別な装備も語学も持たない普通の若者に見えた。その普通さを、体温という数字で言い当てている。

もうひとつ、この歌の芯にあるのは願いの言い方だ。「どうかどうか笑顔を絶やさぬまま」と、同じ言葉を二度重ねて祈る。命令でも激励でもなく、遠くから手を合わせるような言い方になっている。笑顔を、と願う相手は、いま笑えていない相手だ。歌はその現実を先に認めたうえで祈っている。頑張れと言えば、言った側はその場に残り、言われた側だけが前に進まなければならない。この歌は言う側も一緒に歩く前提で書かれているから、遠くにいる相手に向けても、隣にいる相手に向けても、同じ強さで届く。

中野の声は、その詞を聴き手ひとりに向けた言葉として運ぶ。旅をしていない人にもこの歌が届く理由は、そこにあるように映る。何かに向かっている途中の人なら、誰でも埃だらけの道の上に立っているからだ。この歌は累計で約50万枚を売り上げた

手渡した歌が客席いっぱいに広がるまで

2026年8月11日、爆風スランプは35年ぶりに日本武道館の舞台に立った。その夜のセットリストに、『旅人よ〜The Longest Journey』が組み込まれていた。

ニューデリーの公園で、正座した2人に向けて歌われた歌が、30年後には武道館の客席いっぱいに向けて歌われている。聴いている側は、もうヒッチハイクの2人ではない。それぞれの30年を抱えた観客たちが、同じ旋律を待っていた。この歌は客席の36.5度のカラダ一つひとつの旅に向けて歌われた。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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