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椎名林檎が自分で作曲しなかったデビュー曲 MVの「最後の笑顔」と伝説のフジロック

  • 2026.9.6
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2008年3月、スペースシャワー・ミュージックビデオ・アワード2008に登場した東京事変。左から椎名林檎、亀田誠治(C)SANKEI

これは晴れの歌ではない。空の色の名前を看板に掲げておきながら、歌の中ではずっと雨が降っている。街は豪雨、季節は十二月、胸の内は冷えていく一方で、晴れ間らしいものはどこにも差し込まない。

それでも聴き終えたとき、耳に残るのは冷えではなく熱だ。同じ青が、最後には燃える温度に変わる。冷えてゆく青を燃える青に書き換える運動そのものが、この歌の核にある。

東京事変『群青日和』(作詞:椎名林檎/作曲:H是都M)ーー2004年9月8日発売

椎名林檎がソロの看板を一度下ろし、バンドとして鳴らした最初の一曲でもある。晴れの色の名前と豪雨の情景、その矛盾を抱えたまま走り出すこの歌は、デビュー曲というより宣言に近い。

傘の下で冷えた青が最後に燃え出す

歌い出しで示されるのは、雨に打たれる新宿の街だ。人の流れも信号も普段どおりに動いていて、傘の下でひとりだけ心が乱れている。都会の雨は、乱れた心を包んでくれない。むしろ街が平然と動き続けるぶんだけ、傘の中の孤立が際立つ。

季節は十二月。晴天の色を名乗る歌が、一年でいちばん日の短い月を選んで始まるのだから、色名との距離は開くばかりだ。そして冒頭で歌われる心の色は「青く冷えてゆく」。ここで言う青は、晴れ渡った空の青ではなく、体温を失っていくときの青に近い。

この歌がただの雨の歌で終わらないのは、終盤で同じ言葉が別の温度で戻ってくるからだ。「青く燃えてゆく」。冷えるも燃えるも同じ青のまま、変わったのは空でも街でもなく、歌っている側の内側だ。雨はやんでいない。相手との顛末も、はっきりとは語られない。それでも青は燃える。天気に頼らず、自分の側から温度を上げる。その意地のような運動が、この曲の背骨になっている。

バンドの音がそれを後押しする。前へ前へと転がるキーボード、それを追い越そうとするギター、下から押し上げるベースとドラム。それぞれの楽器が互いに譲らず押し合う疾走感が、冷えた青を燃える青へ運ぶ推進力になっている。歌詞の温度反転は、言葉だけでなく演奏の勢いによって成し遂げられている。冷えを歌うときの声は言葉を速く刻み、燃えるときの声は一語を長く引く。声の速度まで、温度に合わせて変わっている。

誰かのために書くと決めて戻ってきた声

この温度反転を、バンドの成り立ちが裏書きしている。ソロとして走り続けた椎名林檎は、活動を続ける意欲を失い、引退も視野に入れていた時期があった。そこで浮かんだのが、自分のためではなくメンバーのために曲を書けば意欲が湧くのではないか、という発想だった。自分ひとりの表現を突き詰めるほど消耗していった人が、他人の顔を思い浮かべたとたんに書けるようになる。

ツアーで組んでいたバンドを母体に、自らライブハウスを回ってメンバーを選び、2003年に東京事変が結成される。翌2004年、その第一声として世に出たのがこの曲だった。

冷えてゆく青が燃える青に変わる歌詞の運動と、書き手自身の再点火が重なって見える。歌詞を自伝として読むより、重なって見える、と言うほうが近い。誰かのために書くと決めた瞬間に自分の声が戻ってくる、という経験がこの曲の裏側にはあって、それを知ったうえで聴くと、終盤で燃え出す青は誰かのために生きると決めた人の色に映る。

デビュー曲がこれほどの熱を持てた理由は、ここにある。新しいバンドの最初の一曲でありながら、書いた本人にとっては二度目の出発の歌でもあった。

仲間が書いた旋律を歌って初めてバンドになる

もうひとつ、この曲がソロの延長ではないことを示す事実がある。作曲は椎名林檎ではない。キーボードのH是都Mが書いた旋律だ。H是都MはジャズバンドPE'Zのヒイズミマサユ機と同一人物で、この時期に東京事変の鍵盤を担っていたメンバーである。

ソロ時代、椎名林檎は自分の言葉と自分の旋律で世界を組み立ててきた。その人がバンドの第一声で、仲間の書いた旋律に自分の声を預けた。メンバーのために書く、という発想がここでは、メンバーが書いた曲を歌う、に反転している。書く側にも歌う側にも回る、その対等さがバンドの証だ。

ジャズ畑の鍵盤奏者が書いた旋律は、言葉を詰め込める余地を残しながら、サビで一気に上へ抜ける。そこで椎名林檎の体温があがっていく。細かく畳みかけた言葉が、サビの高い音で伸びたとき、冷えていた青に火が入る。他人の旋律だからこそ、声が自分の癖から解放されて燃える瞬間がある。

ただしH是都Mは、翌2005年にPE'Zへ専念するため脱退した。ギターの晝海幹音も同じ日に脱退を発表している。看板曲を書いた人が最初期に抜けている。それでも歌は残り、鳴らし続けたのはバンドと椎名林檎の声だった。

発売前の野外から次の世代の指先へ

発売の1か月以上前、2004年7月30日。FUJI ROCK FESTIVAL '04のWHITE STAGEで、東京事変は演奏をした。CDはまだ出ていない。初めて聴く曲を待って人が集まり、入場規制がかかるほどの数になった。

その熱は形を変えて続いている。雨の日に聴きたくなる歌として、誰かの手元で鳴っている。高校の軽音楽部で、文化祭の舞台で、あの転がるピアノを鍵盤で追いかけ、畳みかける言葉を必死に歌うものがいる。演奏の難しさごと受け継がれる歌は、聴かれるだけの歌より長く生きる。

ミュージックビデオの最後で、椎名林檎はわずかに照れたように笑う。燃える青で終わる歌の直後に置かれた、温度の下がった一瞬。あれは、冷えから燃えまでを歌い切った人が、素に戻る合図に映る。

雨から始まって、燃えて終わる。天気を待たずに自分の側から火を入れる歌だから、空が低い日ほど効く。晴れの色を名乗りながら豪雨から歌い出したこの曲は、いまも誰かの傘の下で、冷えた青を燃やし直している。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

(文・笄坂かける)

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