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27年前、英語をカタカナで歌ったら40万枚に届いた メロコア世代が跳ねた青春の一曲

  • 2026.9.8
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※ChatGPTにて作成(イメージ)

ライブハウスの床が、拍ごとに跳ねていた。速いビートに合わせて体を上下に振り、汗だくのまま帰りの電車に乗る。そんな夜を何度も重ねた世代がいる。

90年代の終わり、メロコアとスカコアは若者の合言葉だった。10代の終わりから20代の入り口を、速い曲ばかり繰り返し再生して過ごした人なら、原体験と呼べる何曲かを胸に抱えているはずだ。SNAIL RAMPのこの曲は、その筆頭に座っている。

SNAIL RAMP『MIND YOUR STEP!』(作詞・作曲:米田章男)ーー1999年7月2日発売

英語の歌なのに、聞き取れる。跳ねているのに、口ずさめる。その不思議な手触りが、この曲を世代の記憶に長く留めた。

滑らかさを捨てて言葉を粒にした歌い方

SNAIL RAMPは、ギター・ベース・ドラムの3人だけで鳴らすスカパンクのバンドだ。歌うのはベースの竹村哲(タケムラアキラ)。曲と詞を書いたのは、1997年秋に加入したギタリストの米田章男(AKIO)である。歌う人と書く人が違う、という役割分担が、この曲の歌い方を決めた。

録音の当日、米田は竹村に二つの注文を出した。シャキシャキと歌うこと。そして、英語をカタカナで歌うこと。

カタカナ英語とは、英語の単語を日本語式の音節に切り分けて発音する歌い方だ。英語らしく子音を滑らかにつなげるのではなく、一音ずつ区切って拍の上に置いていく。滑らかに流れる英語では速いビートに言葉が溶けてしまうが、カタカナで切った英語は一粒ずつ拍を叩く打楽器のように働く。

シャキシャキのほうは、母音を伸ばさず切ることだと読める。伸ばせば音程の正確さが問われる。切れば勢いと切れ味が前に出る。この曲の詞は全編が英語で、サビは短い言葉の反復でできている。サビで繰り返される「I wanna keep on dancing!」が、そのまま拍に乗って何度も戻ってくる構造だ。短く切る歌い方と短く反復するサビは、最初から同じ設計図の上にあった。

竹村はベースを弾きながら歌う。ベースの動きと声の切れ目を同じ体が刻むので、切った英語は歌というよりリズム隊の一部として耳に入る。自分の手で作る拍の上に、自分の声を粒で置いていく歌い方だ。

テイクを重ねるほど声の鮮度は落ち、体力だけが削られていく録音だった。英語の歌なのに日本語みたいに聞こえる。当時この曲を口ずさんだ人の耳に残る、あの体感の正体がここにある。

街のスピーカーで初めて聴いた自分の声

完成した音源を、竹村は聴こうとしなかった。試聴を拒んだまま、シングルは店頭へ出ていった。

自分の歌と再会した場所は、スタジオでもリハーサル室でもない。下北沢の商店街だった。歩いていると、店先のスピーカーから自分の声が降ってきた。逃げ場のない状況で、竹村は初めてこの曲を、客と同じ耳で聴くことになる。

そこで気づいたのは、音程の揺れだった。大事なところで声が安定していない。歌った本人にしか分からない揺れが、街の雑音の中でもはっきり聴こえてしまった。

スタジオのモニターで聴く自分の声と、街のスピーカーから鳴る自分の声は、別のものだ。前者は演奏者の耳で細部を追う。後者はリスナーの耳で全体を浴びる。竹村がこの日に手に入れたのは、後者の耳だった。

では、その揺れはなぜ曲の魅力を損なわなかったのか。答えは先に触れた設計にある。伸ばした音は音程のブレをそのままさらすが、短く切った音はブレを露出する前に次の拍へ移る。カタカナで切り、シャキシャキと発音する歌い方は、音程の正確さよりも切れ味とリズムを前に出す。揺れは勢いに吸収され、聴き手の体には正確な音程ではなく跳ねるリズムだけが届く。この曲が街で鳴っていたこと自体が、その証明に映る。

竹村はこの日を境に、嫌でも逃げずにベストを尽くす側へ回った。歌に自信のなかったフロントマンが、自分の声から逃げないと決めた日。

自分たちでやる流儀が商業の真ん中に乗った

当時のメロコア・スカコアシーンは、インディーズでやるのがひとつのブームだった。その空気の中では、テレビのタイアップやメジャーの流通に乗ることを売り渡しだと言いたがる声が生まれやすい。竹村はこの矛盾を抱えたまま、この曲と向き合っていた。

事実として、このシングルはキングレコードからリリースされた。前作の『FLATFISH COMES!』が私設レーベルからのインディーズ盤だったので、本作がいわゆるCDデビュー作にあたる。テレビ朝日系『ぷらちなロンドンブーツ』のエンディングテーマにもなり、週ごとにテレビから鳴った。DIYの流儀を掲げるバンドが、商業の真ん中へまっすぐ乗った格好だ。

それでも曲は鳴り、累計で40万枚を超える枚数が街へ届いた。葛藤を抱えた歌い手の声が、葛藤とは無関係に人の耳へ入っていく。ここに、この曲の強さを感じる。

ライブハウス、通学かばんの中のCD、友達の部屋の小さなスピーカー。DIYの葛藤を知らない10代が、葛藤ごと受け取った声を自分たちの毎日の速さで鳴らした。矛盾の中で鳴った歌は、そうして青春の一曲になった。

英語をそのまま口ずさめた青春の記憶

日本のメロコアとスカコアの季節を語るとき、Hi-STANDARDらと並んでSNAIL RAMPの名前が挙がる。頂点に立った一組というより、同じ季節を並んで跳ねた列の一員として、である。その列の中で、SNAIL RAMPの声は人なつこさで際立っていたと感じる。

当時10代だった世代は、この曲を青春の一部として語ることが多い。英語の詞をそのまま、意味より音で口ずさんだ記憶。カラオケでも会場でも、正確な発音を気にせず声を張れた記憶。切って跳ねさせた歌い方は、聴き手の側にも同じ跳ね方を許した。歌い手が音程の揺れを抱えたまま全力で切ったからこそ、聴き手も揺れを気にせず一緒に切れた。この曲が記憶に残った理由は、上手さではなく、その許しにある。

空白の先でも拍は同じ場所に落ちる

2025年12月13日、豊洲PIT。HEY-SMITHと東京スカパラダイスオーケストラが主催した『SKAramble Japan』のステージに、SNAIL RAMPは約10年ぶりに立った。

下北沢の商店街で自分の声から逃げないと決めた人が、約10年の空白を挟んで、もう一度人前で声を出す。その一点だけで、この曲の物語は閉じずに続いていることになる。

完璧な音程ではなく、逃げない声。カタカナで切った英語の一粒一粒が、あの頃と同じ強さで聴き手の足を動かす。世代の原体験は、当時のまま跳ねている。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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