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便利すぎるって、実はちょっと怖い。とある中高一貫校のデジタル教育の光と闇みたいなもの。

  • 2026.8.24

中高一貫校に入った生徒の中には、本当にいろんなタイプがいると思います。入学したその日から自分で勉強のペースをつかめる子もいれば、部活や友達との時間が中心になり、勉強は宿題をこなすので精いっぱいという子もいるでしょうし、親が何も言わなくてもテスト前には自然と机に向かう子もいれば、「テストって明日だったっけ?」くらいの温度感で過ごす子もいる。そして、親御さんの側もきっと同じで、中学受験を経験した親子にとって、試験日、そして合格発表というのは、やっぱり一つの大きなゴールなのだと思います。長い受験生活を終えて、無事に合格を手にした瞬間、「ここからは自分であれこれ頼みまっせ~」と、親が一歩引いていくのも、私は決して悪いことではないと思っています。

素晴らしいです

だって、もう中学生ですもの。自分で明日の準備をして、提出物を管理して、テストの日程を確認して、勉強の予定も考える。できなかったら、その結果も自分で受け止める。もちろん、そんなにきれいに全部できるわけではありませんが、少しずつでも「自分のことは自分でする」という経験を積ませてあげたいと思っています。特に私は、失敗するのも人生の大切な経験だと思っているので、子どもが失敗しそうになったときに、親が先回りして全部助けてしまうのは、もったいない気がするのです。親としては、失敗させるって、ものすごく勇気がいります。提出物を忘れそうなら「持った?」と言いたくなるし、テスト前に全然勉強していなかったら「大丈夫なの?」と口を出したくなる。それでもグッとこらえて、「まあ、一回自分でやってみなはれ」と見守るのは、実はかなり難しいことです。だから私は、子どもに失敗する経験をさせられる親って、ものすごく良い親なのではないかと思っています。もちろん、私自身がそれを完璧にできているかと言われれば、全然そんなことはありません。我が家も、自分で用意をする、提出物も自分で管理する、テスト対策もなるべく自分で考える、という方向には持っていっていますが、ついつい口を出してしまうこともありますし、過保護なところも多々あります。すみません。絶賛「本人にやらせないと!」と「あーまたサポートしてしまった!」を行ったり来たりしています。一方で…

公立中学は、中1からガチです

私は他府県に住む甥っ子の勉強のサポートもしています。会える距離ではないので、LINEでのサポート。甥っ子は公立中学の中学一年生で、塾には通っていないこともあり、私からも結構口うるさく課題を出したり、勉強の進み具合を確認したりしています。そこで改めて感じたのが、公立中学って、中1からガチです。ということ。もちろん学校や地域によって違いはあると思いますが、甥っ子を見ていると、一つ一つの定期テストが大切ですし、提出物も気を抜いてはいられません。高校受験という次の目標があるので、「まだ中1だから、今はそんなに頑張らなくてもいいよね」という雰囲気ではなく、行きたい高校がある子は、中1から少しずつ積み上げているのがよく分かります。それを見ていると、私はふと、私立の中高一貫校に通う我が息子のことを思うのです。「中学受験で蓄積していた(つもりの)知識のストックなんて、何にもしていないとスッカラカンに。公立で切磋琢磨している子に簡単に差をつけられてしまうやないの!」ほんと。それ。もちろん、ストックをキープできる子はいると思いますが、至難の業な気がします。中高一貫校なので、高校受験はありません。だからこそ、どうしても「今すぐ結果を出さなくても大丈夫」という気持ちになりやすいところがありますし、親子ともに中学受験が終わった解放感から、少しくらいゆっくりしてもいいんじゃないかと思ってしまう。そんな中、仲の良い甥っ子が勉強している姿をLINE越しに見て、息子自身も「公立中学って、行きたい学校がある子は必死にやってるんやな。自分も少しはやらないといけないな」と思ったようです。もちろん、スマホもゲームもします。たぶん、私が見ていないところでは、かなりしています。それでも最近は、宿題以外の何かしらの課題を毎日30~60分ほど取り組み、Web英会話も週に3回程度はやり、寝る前には英単語を50~100個ほど声に出して確認する、という生活になってきました。我が家は元々中学受験するつもりはない家庭でした。様々な文化・言語にも触れてほしいという視点や、中学に入った時に得意科目があって欲しいという願いから、小学校の頃から英語スクールに通っていました。小5までみっちり通っていたので、中学に入っても英語に関してはそれなりのアドバンテージはあると思っていました。いざ、中学に入ると、1学期は特に英語を濃いめに取り組んでいましたし、私から見ても「まあまあ頑張ってるやん」「英語は学年でもいい線いくんじゃない?」と思っていたのです。ところが。

英語のテストが、芳しくない

聞いてくれますか?中間テストも、期末テストも、英語の成績が芳しくなかったのです。しかも通知表も。……なぜだ。ガーーン。なんでや。対策していない訳でもないのです。学校の課題もどうやらちゃんと提出しているようですし(個人懇談に行った夫いわく)、Web英会話もやっている。寝る前には英単語までやっている。それなのに、英語の成績は後ろから数えた方が早いくらい。もちろん、本人の勉強量が十分だったのかと言われれば、もっとやる余地はあるでしょう。そもそも「毎日30~60分勉強しているから成績が上がる」というほど、中学生の勉強は単純ではありません。ただ、今回に関しては、私にも少し思い当たる節があったのです。というのも、長男の中高一貫校では、英語の課題がiPadで出されるのです。今どきの中学生は、ガジェットの使い方が本当に上手です。大人が「これ、どうやって使うの?」と説明書を探している横で、子どもは適当に触りながらいつの間にか使いこなしている。息子も例外ではなく、iPadを遊びの延長のような感覚で使いこなしています。もちろん、これは素晴らしいことです。ただ、今回ばかりは、この「便利に使いこなせる」という能力が、学習という意味では少し裏目に出ていたのではないかと思ったのです。

iPadやデジタル機器が 便利すぎる問題

例えば、英単語の「apple」を書くとします。ところが、間違えて「appla」と書いてしまった。紙のノートなら、「あ、間違えた」となって、消しゴムを取り出して、最後の「a」を消して、「e」と書き直しますよね。もちろん紙でも狙った一文字だけを消すことはできますが、微妙に前の文字まで消えてしまったり、真ん中のアルファベットを間違えた場合には、いっそ全部消して最初から書き直した方が早かったりする。つまり、紙の場合は、間違えたことに対して、ちょっとした「面倒くささ」が発生します。ところがiPadの場合は違います。最後の「a」だけを指定して、「e」に置き換えればいい。はい、終了。便利。めちゃくちゃ便利です。「p」が一つ足りなければ、隙間を作って「p」を追加すればいいし、「l」が一つ多ければ、シレッと一文字削除すればいい。ピリオドを忘れていても、後からポンと押して追加できます。一文字だけ置換することが、できるのであーる。これはもう、ものすごく便利。ただ、ここで私は、「あれ?」と思ったのです。それって、本当に「英語の間違いを直している」のだろうか、と。紙に書いて「appla」と間違えたら、消しゴムで消して、書き直す。そのときに、「あ、最後はeだった」と一度頭の中で確認する。でもiPadなら、間違えた「a」を消して「e」を入れるだけなので、極端に言えば、画面上の文字を正しい状態に戻しているだけでも成立してしまう。単語を直しているというより、もはやレタリングです。ポスターを作るときに、「ここだけ文字が違うから直しておこう」と文字のバランスを整えるような感覚で、英単語の間違いを修正してしまう。これでは「間違えた」という経験が、あまり残らない。そして私は、長男のライティングのテストを見て、妙に納得してしまったのです。ズタボロでした。

苦労しなかった学習は、頭に残らない?

もちろん、iPadやデジタル機器が絶対的に悪いわけではありません。紙だって、間違えたところをサッと消して終わりにしてしまえば同じですし、そもそも「紙なら絶対に覚えられる」という話でもありません。ただ、紙には紙の不便さがあり、その不便さが、意外と学習には役立っているのではないかと思うのです。間違えたら消す。書き直す。また間違える。もう一度書く。その少し面倒な作業の中で、「自分はここを間違えた」ということが、体感として残ることがあります。人間って、ちょっと苦労したことほど覚えていませんか?逆に、あまりにも簡単に修正できてしまうと、「直した」という事実だけが残って、「何をどう間違えたのか」が記憶に残らないことがある。長男の場合、まさにこれだったのではないかと思っています。学校の課題はちゃんとやっている。提出もしている。英語に時間もそれなりに使っている。でも、その「やった」という作業の中で、間違いをきちんと自分の頭に刻む工程が抜けていた。そう考えると、英語の成績が振るわなかったことも、少しだけ理解できるような気がしました。

頑張っているのに結果が出ないなら、やり方を疑ってみる

長男の学校は、英語教育にかなり力を入れていると聞いていますし、実際、課題の内容を見ても「これは良い問題だな」と思うものが多いのです。追加課題が自宅にいてもメールで届いたり、後から答えが送られてきて自分で添削できたり、時には先生がメールで丸付けをしてくれたりする。私が中学生だった頃には考えられなかったような学習環境で、「今の中学生って恵まれているな」と本気で思います。デジタル文化の恩恵です。だからこそ、今回の成績を見て、「もっと勉強しなさい」とだけ言うのは違うような気がしました。私は長男に、「毎日のように英語学習を頑張っているのは知っているし、学校のiPadの課題も忘れずに出しているよね。それは偉いと思う。Web英会話もしているし、単語もやっている。それなのに良い成績が取れていないなら、単純に勉強量が足りないというより、やり方が合っていないんじゃないかな」と話しました。そして、「iPadが便利すぎて、間違い直しが甘くなってない?」と伝えてみた。すると長男、「…ああ、確かに。」と、妙に素直に納得しました。本人にも、なんとなく思い当たるところがあったのでしょう。夏休み期間からは、少しやり方を変えてみることにしました。これまで、問題文をiPadで撮影して、そこに電子ペンで書き込むという方法も積極的に使っていたのですが、いったんそれをやめてみる。プリントアウトできるものは紙にして、紙に書いて、間違えたら紙の上でちゃんと向き合う。便利さを少し手放してみることにしました。今回のことで、もう一つ考えたことがあります。

中学生の「自分でやる」を、どこまで見守るか

今回のことで、もう一つ考えたことがあります。中高一貫校に入ったからといって、合格発表の翌日から突然、「はい、ここから全部自分でね」とできるわけではありません。自分で勉強する、自分で予定を立てる、自分で提出物を管理する、自分で失敗して、自分で修正する。こういう力は、やっぱり少しずつ身につけていくものなのだと思います。だから親としては、できるだけ手を出さずに見守りたい。忘れ物をしても、提出物を忘れても、テスト前に勉強しなくても、その結果まで親が回収してあげるのではなく、「一度、自分で困ってみる」という経験も必要だと思っています(親も勇気のいることですが)。一方で、「自分でやりなさい」と言って完全に放置することも、少し違うのかもしれません。今回の長男のように、「頑張っているのに、なぜか結果が出ない」というときには、一緒に立ち止まって、「何が原因なんだろうね」と考えてみる。それくらいは、まだ親がやってもいいのかなと思います。中学受験の頃は、親子で一緒に走っていました。「これを覚えて!」「ここをやって!」「あと何日!」と、親も子も同じ方向を向いて、必死にゴールを目指していた。でも、中学生になったら、少しずつ伴走から見守りへ変わっていく。子どもが転びそうになったら、すぐに手を出すのではなく、まず見ている。転んだら、「痛かったね」と言いながら、どうすれば次は転ばないのかを本人と一緒に考える。まぁ、ガッツリ反抗期なので、「うるさい!」と言われる部分もあります。絆創膏をそっとテーブルに置いておくくらいでもいいかもしれない。たぶん、これからの親子関係は、そういうものになっていくのだと思います。…とはいえ、英語の成績を見て、「はい、今日から完全に本人に任せます!」なんて、私はまだまだできません。たぶん2学期も、「英単語やった?」くらいは言うでしょう。言いますとも!親ですもの。でもって、学費を払う、メインスポンサーですから。ただし今度からは、「iPadで直した?」ではなく、「紙に書いた?」と聞く予定です。iPadが悪いわけではない。長男がサボっているわけでもない。学校の学習環境が悪いわけでもない。ただ、我が家の場合は、便利すぎる道具と、便利に使いこなしてしまう長男の組み合わせが、ちょっと良くなかった。便利って、本当に素晴らしい。これからの時代、デジタルを使いこなす力も絶対に必要です。でも、学ぶということに関しては、時々あえて不便にしてみることにも意味があるのかもしれません。すぐに消せる。すぐに直せる。すぐに提出できる。それはとてもありがたいことだけれど、もしかすると、子どもが「間違えた」「悔しい」「もう一回やろう」と感じる小さな時間まで、一緒に消してしまうことがある。そんなことを、英語の通知表を見ながら、しみじみ考えた夏でした。ではまた!

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