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なぜ僕はロードレースに人生を変えられたのか|モリワキと八代俊二がくれた衝撃

  • 2026.5.11

1980年代のロードレースブームの中で、モリワキレーシングは特別な存在感を放っていた。中でも、八代俊二さんの豪快なライディングは、多くのファンを熱狂させたという。今回はイラストレーター・松屋正蔵さんが、自身の人生を変えた1986年のビッグ2&4や、モリワキレーシングへの憧れ、そして漫画家志望からバイクイラストレーターへ進むまでの原点を振り返る。

なぜ僕はロードレースに人生を変えられたのか|モリワキと八代俊二がくれた衝撃
松屋正蔵

1961年・神奈川生まれ。1980年に『釣りキチ三平』の作者・矢口高雄先生の矢口プロに入社。1989年にチーフアシスタントを務めた後退社、独立。バイク雑誌、ロードレース専門誌、F1専門誌を中心に活動。現在、Xアカウントの@MATSUYA58102306にてオリジナルイラストなどを受注する

モリワキレーシングに憧れた、あの時代の熱狂

今回は“自分がなぜレースやバイクの絵を描くようになったのか”という原点について、改めて振り返ってみようと思います。

これまで数え切れないほどのレースを観てきました。清水雅広さんVS岡田忠之さん、シュワンツさんVSレイニーさん、さらにローソンさんも加わった1989年の世界GPタイトル争いなど、印象に残るレースはたくさんあります。

しかし、その中でも僕の人生をもっとも強く変えたレースは別にありました。

以前も少しお話ししましたが、僕の人生を変えたテレビ番組があります。それは、一人の若きライダーを追いかけたドキュメント番組。その主人公が、現在はMotoGP解説でもおなじみの宮城光さんでした。

当時、宮城さんが所属していたのがモリワキレーシングです。

宮城さんはライダーとしてだけでなく、雑誌モデルとしても活躍していました。僕がイラストレーターとしてデビューした『サイクルワールド』誌でもモデルを務めていたほどです。

そして当時のモリワキレーシングは、バイクブームの象徴的存在でもありました。テレビのドキュメント番組でも頻繁に取り上げられ、集合マフラーやバックステップなどのパーツも、多くのライダーの憧れだったのです。

もちろん僕もそのひとりでした。

白地に青と黄色のモリワキカラーに強く憧れ、モリワキレーシングがテレビに映るたび、夢中で録画していました。そしてその中で、「このチームには本当にいろいろなライダーがいるんだな」と気付きます。

面白かったのは、ライダーごとに革ツナギのメーカーもデザインも違っていたことでした。

1984年頃だったでしょうか。タカイ製の革ツナギを着た、小柄でどこか大人しそうなライダーに強く目を引かれました。

SHOEI製S-12(当時は別の呼び名もあったかもしれません)という、シールドをボタン留めするタイプのヘルメット。帽体が小さく、被るとアゴがはみ出るほどでしたが、そのモリワキカラーがとにかくカッコ良かった。

そのライダーこそ、八代俊二さんでした。

1986年からモリワキカラーのNSR500を駆り、翌1987年にはHRC入り。ロスマンズホンダのセカンドライダーとして世界GPへ参戦した、当時の憧れの存在です。

そして、そんな八代さんが“強烈な輝き”を放ったレースがあります。

1986年の全日本ロードレース開幕戦「ビッグ2&4」です。

このシーズンから世界GP250ccクラスへフル参戦を開始した平忠彦さんと、八代さんが壮絶なバトルを繰り広げたのです。

とにかく迫力が凄かった。

平さんを追いかける八代さんのNSR500は、暴れ狂うマシンを力で押さえ込むような豪快なライディング。その姿に、僕は完全に魅せられてしまいました。

……と、まるでレースを現地で見ていたように語っていますが、実はこのビッグ2&4、当時はテレビ中継がありませんでした。

当時観られたのは15〜30分程度のダイジェスト番組だけ。それでも僕は、その短い映像だけで完全に心を撃ち抜かれてしまったのです。

特に印象的だったのが、“突っ込みハッチ”の異名どおりの鋭いブレーキング。

さらにこのシーズンから、八代さんはクシタニ製レーシングスーツへ変更。一般向けモデルをベースにモリワキカラーへアレンジしたデザインで、それもまた最高にカッコ良かった。

そして、僕が特に好きだったのが右コーナーでのフォームです。

クラッチ側の左手の指を4本とも伸ばし、タンクを抱え込むようにマシンをインへ引き込んでいく独特のライディングスタイル。あれが本当にカッコ良かった。

一方、平忠彦さんも凄かった。

全日本仕様のヤマハYZR500に、世界GP仕様マルボロヤマハカラーの革ツナギとヘルメット。その姿は完璧に決まっていて、走りもまた圧倒的でした。

マシンを抑え込みながら走るその姿に、僕は完全にロードレースの世界へ引き込まれていったのです。

そして実は、この頃の僕はまだ“漫画家志望”でした。

プロフィールにも書いているとおり、僕は『釣りキチ三平』の矢口高雄先生の弟子でした。しかし実はその前に、『ドカベン』で知られる水島新司先生の門を叩いていたのです。

高校時代から、僕は野球漫画家になりたかった。

自分で描いた野球漫画を持って水島プロダクションへ行きましたが、残念ながら先生にはお会いできず、マネージャーさんとの面談になりました。

その際、「君の絵はすでに出来上がっているから、アシスタントより自分で作品を描いたほうがいい」と言われ、編集部の連絡先を書いた紙を渡されました。

つまり、不採用だったわけです。

かなり落ち込みました。

1〜2カ月ほどアルバイトをしながら過ごしていたある日、少年マガジンを読んでいると、『釣りキチ三平』の余白に“矢口プロダクション・アシスタント募集”の告知が掲載されていたのです。

急いで応募し、持参した野球漫画と模写を見せたところ、なんと矢口先生がその場で採用を決定。

さらにそのままマネージャーさんと不動産屋へ行き、アパート契約まで済ませ、翌日から矢口プロへ通うことになったのです。

人生が一気に動き出した瞬間でした。

そして、その後モリワキレーシングや八代俊二さん、平忠彦さんたちのレースに心を奪われ、僕は“野球漫画家”ではなく、“バイクやレースを描くイラストレーター”として生きる道を選びました。

一度ロードレースに魅せられてしまうと、何歳になっても離れられないんですよね。

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