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【福岡県「若波」編集部が注目する個性鮮やかな蔵(後編)】最強タッグで毎年「できる限りの最高の日本酒」を醸す

  • 2026.8.14

2026年『日本酒dancyu』第3号「出会えてよかった! 心ふるえる酒」特集から今回ご紹介するのは、福岡県大川市の「若波」です。20代〜30代の3人が“チーム若波”を結成し、醸した酒が鮮烈の全国デビューを果たしてから14年。その結束はますます固く、目標はますます高く、若波は今、ビッグウエーブへと変貌を遂げています。 前編では、前蔵元の娘・今村友香さんが杜氏となるところまでをお伝えしましたが、その後、最強の3人チームが結成されました。そこから現在までの歩みをお届けします。

【福岡県「若波」編集部が注目する個性鮮やかな蔵(後編)】最強タッグで毎年「できる限りの最高の日本酒」を醸す

■“味の押し波、余韻の引き波”が、チーム結成時からのキャッチフレーズ

その頃、東京にいた弟の嘉一郎さんは、パッケージ会社の社員として充実した時間を過ごしていた。友香さんの誘いで酒類総合研究所の東京事務所の授業を受講すると、同期に蔵の跡継ぎたちがいた。
「生まれて初めて同じ境遇の同世代と交流し、帰省時に父の顔を見たときに、帰る決心がつきました」と嘉一郎さん。09年に帰郷し、四代目候補として家業に就く。

女性杜氏としてメディアは友香さんを取り上げたが、本人は経験不足を痛感していた。新設したばかりの麹室の仕事は手探りで、瓶詰めなどでもトラブルが続いた。至急の対処が必要で、同期の気安さから庄司さんにメールを送ると、すぐに具体的なアドバイスが返ってきた。庄司さんの経験値の高さを痛感した友香さんは、嘉一郎さんと相談の上、庄司さんに「醸造技術者として助けてほしい。姉弟(きょうだい)2人ではなく、三本の矢でいきたい」と訴えた。
新天地で自分の力を試したいと考えていた庄司さんは快諾し、11年に入社。こうして3人からなる“チーム若波”が誕生したのだ。

冷蔵室で試飲
冷蔵室で試飲

しかし当時の若波は、安売りされる酒。魅力的な酒で全国に注目されない限り、蔵の存続は難しい。「仮眠室で、だるまストーブを囲んで毎晩3人で話し合い、“派手な香りはなく、自己主張はしすぎず、料理に寄り添える酒”をめざそうと決めました」と友香さん。

嘉一郎さんは「行きついたテーマは、社名の由来でもある筑後川の波を思わせる、ぐっと味がのり、すっと引く“味の押し波、余韻の引き波”です」。“若波の輪、和醸良酒の和”をイメージしてパソコンで描いたのが、あの○若ラベル。パッケージ会社で働いた嘉一郎さんならではのセンスだ。

過酢酸を散布する嘉一郎さん
過酢酸を散布する嘉一郎さん

チーム結成の初年度、いきなり第1回福岡県酒類鑑評会で県知事賞(1位)受賞。翌13年、14年と、出品酒はすべて金賞の快挙で、翌15年に庄司さんは杜氏職に就く。

庄司さんが来て劇的に酒質が変わった、と友香さん。「私が杜氏の頃は、いかに同じ味に仕上げるかと考えていました。庄司さんはタンク1本ずつテーマを設定して、思いきった挑戦を繰り返しているから、進化のスピードも目覚ましいんです」。

「日本酒造りは工程が複雑で、変える要素は無限大です。工夫して、作業する。酒造りは大きな喜びです」と庄司さんは言う。料理にも情熱を傾け、吟味した食材と自ら育てた野菜で食事をつくり、皆で晩酌する。充実した食の体験の積み重ねが、食卓を彩る酒「若波」を醸成してきたのだろう。

若波の製造スタッフ
若波の製造スタッフ

そんな庄司さんを、嘉一郎さんは最新の設備を積極的に導入してサポート。友香さんは、きめ細かな検温や精密な計算で、庄司さんが設定した数値に、小数点以下2桁まで合わせるスゴ技でアシストする。

「挑戦を続け、結果をデータとして残し、次の代に伝えるのが使命」と庄司さん。「22年に蔵は百周年を迎えました。次の百年続く蔵であるために、今は土台造り」と嘉一郎さん。3人を集結させた友香さんは「三本の矢は折れにくいとか。最強の3人で、毎年毎年、最高の更新を続けます!」

日本酒界のニューウエーブから、ビッグウエーブへ。若波の快進撃に目が離せない。

若波酒造
若波酒造

文:山同敦子 撮影:松隈直樹

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