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家を買うつもりなんてなかった。でも、人生は一枚のチラシで動き出した

  • 2026.8.7

クタクタになって帰ってきた、日のこと

前回の続きでございます。ずーっと賃貸派が、この物価高という謎のタイミングで持ち家を考え始めたお話その日は仕事で出張があり、朝から移動して、人と話して、慣れない場所で気を張りながら一日を過ごしていたため、帰宅する頃には体力も気力もほぼ空っぽの状態でした。40代も後半になると、不思議なもので、気持ちはまだまだ若いつもりなのに、身体の方が先に「今日はもう店じまいでお願いします」と言ってくる瞬間が増えてきます。20代の頃なら、仕事終わりに飲みに行って、夜遅くまで話して、それでも翌朝には普通に起きていたはずなのに、今ではリビングの小さいソファに座った瞬間、「もう今日はここから動けません」という謎のバリアが発動します。いや、本当に不思議です。昔は寝不足でも根性で乗り切れたのに、今は睡眠不足という敵が、翌日どころか翌々日まで追いかけてくる。これが年齢を重ねるということなのでしょうか。そんなことを考えながら、マンションの入り口にあるポストを開けました。中には、いつものように数枚のチラシが入っています。正直に言います。普段なら、ほとんど見ません。もちろん、必要な人にとっては大切な情報なのですが、日々、仕事と家事と子育てに追われている身としては、その時一番欲しい情報は「素敵な住宅情報」より、「今日の夕飯はどうするか」「あと何分でお風呂に入れるか」だったりします。申し訳ないですが、ほとんどの場合、そのままゴミ箱行きです。仕事のこと、家族のこと、自分の時間、健康。そして何より、切っても切り離せないのが――お金です。ところが。その日は、なぜか一枚のチラシに目が止まりました。エレベーターに乗り込み、何気なく眺めた瞬間でした。「あれ?」一度、通り過ぎようとした目が戻りました。「……ん?」「え?」「ここ?」疲れていたはずなのに、その瞬間だけ頭が妙に冴えました。そこには、ずっと気になっていたエリアの土地情報が載っていたのです。まさか。こんなタイミングで。何年も「いいな」と思いながら、半分諦めていた場所。それが、突然目の前に現れました。人生って、本当に分からないものです。探している時ほど見つからないのに、「もう無理かな」と少し気持ちを落ち着かせた頃に、突然チャンスのようなものがやってくる。まるで、こちらの気持ちをどこかで見ていたのではないかと思うくらいのタイミングでした。もちろん、最初から「買える!」と思ったわけではありません。むしろ、最初に出てきた感情は、「いやいやいや……大丈夫?」でした。40代後半。子どもは3人。これから教育費も必要。老後資金も考えなければいけない。頭の中で、現実的な数字が一気に並び始めます。でも、それでも。心の奥では、別の声がしていました。「ここ、いいな。」

ずっと憧れていた場所。でも、夢物語だと思っていた

その土地があるエリアは、私にとって以前から特別な場所でした。駅から近く、生活するにはとても便利なのに、不思議とせわしない雰囲気がありません。歩いている人や街並みにどこか余裕があり、「便利な場所」と「落ち着いた暮らし」が同時に存在しているような印象があります。もちろん、そんな場所ですから、誰もが簡単に手を出せる価格ではありません。以前、少し広めの土地が売りに出されたことがありました。「もしかしたら、条件が合えば……」そんな淡い期待を抱きながらスマホで検索したのですが、価格を見た瞬間、そっと画面を閉じました。「あっ……そういう世界ですか。うん。無理。高すぎる。」思わず独り言が出るレベルでした。いやいや、夢を見るにも現実というものがあります。我が家の場合、住宅購入以外にも、子どもの教育費や日々の生活費があります。何でもかんでも家に全振りするわけにはいきません。その時は、「やっぱり、このエリアは我が家には縁がないのかな」と思いました。ところが今回、売りに出された土地は少し違いました。もともと小さなお家が建っていた場所で、決して大きな区画ではありません。広々とした庭があるような土地ではない。豪邸を建てるような場所でもない。でも、その分、価格も少しだけ現実味がありました。もちろん、高いです。住宅購入で「安い」という言葉を使うのは、なかなか難しい時代です。ただ、「絶対に無理」ではない。少し背伸びをすれば、もしかしたら届くかもしれない。この「もしかしたら」という距離感が、私の心を大きく揺らしました。若い頃なら、勢いで決断できたかもしれません。30代なら、「何とかなる!」と笑っていたかもしれません。でも40代後半になると、そう簡単にはいきません。住宅ローン。教育費。老後のお金。そして、自分たちがあと何年働けるのか。夢を見る自分と、現実を見る自分が、頭の中でずっと会議をしています。しかも、その会議。なかなか終わりません。夢担当の自分は、「こんな場所で暮らせたら素敵だよね」と言う。現実担当の自分は、「いやいや、ちょっと待って。数字を見よう」と言う。脳内で、違う人格の2人がかなり真面目に話し合っています。VIVANTかよ!堺雅人かよ!と突っ込むくらい。

50平米の家で育った、家族5人の14年

我が家は、結婚してからずっと賃貸住宅に住んでいます。現在の広さは約50平米。家族5人。間取りは1LDKです。文字にすると、なかなかのコンパクト具合です。「5人で1LDK?」と驚かれることもあります。はい。住んでいます。子供は男の子3人です。洗濯物の量だけ見ると、もう少し広い家に住んでいる家庭と間違われてもいいくらいです。ただ、この家で過ごした時間は、決して狭いだけの思い出ではありません。この家に引っ越してきた直後、長男を妊娠しました。そして、この小さな空間で3人の子どもたちを迎えました。初めて寝返りをした場所。熱を出した夜に、何度も顔を確認したこと。兄弟で床いっぱいにおもちゃを広げて遊んだ時間。家族5人で食卓を囲んだ日々。広さだけでは測れないものが、この家にはたくさんあります。今年で14年目。もはや、この家は単なる「住む場所」ではなく、我が家の歴史そのものになっています。この小さな家で暮らしたからこそ身についたこともあります。一番大きいのは、モノとの付き合い方でした。収納が少ないから、自然と余計なものを増やさなくなりました。買う時には、「本当に必要?」と一度考える。使わないものは手放す。限られた空間をどう快適に使うかを考える。これは、狭い家だったからこそ身についた力だと思います。キッチンなんて、もはやコックピットです。一歩動けば大体のものに手が届く。料理中に「あれ、どこに置いたっけ?」と探す時間も少ない。掃除も楽。片付けも早い。狭いことを嘆いていた時期もありましたが、暮らしてみると、狭さには狭さの良さがあることも分かりました。人間は、環境に合わせて成長するものなのだと思います。ただ。子どもたちが成長した今、少しだけ別のことを考えるようになりました。「この便利さは、本当に子どもたちにとって良いことなのかな?」そんな疑問が、少しずつ心の中に浮かぶようになったのです。

狭い家だからこそ、見えなかったもの。見えなくしていたもの

50平米の家。家族5人。この環境で14年間暮らしてきて、もちろん良かったことはたくさんあります。家族の距離が近い。何をしているのか、なんとなく分かる。子どもたちの小さな変化にも気づきやすい。狭いからこそ、自然と家族が同じ空間に集まる時間が増えました。これは、この家がくれた大きな贈り物だったと思います。でも一方で、子どもたちが成長するにつれて、少し違う部分も見えてきました。それは、「自分で考えて、自分で動く」という経験が、少し減ってしまっているのではないかということです。例えばキッチン。我が家のキッチンは、本当にコンパクトです。夫婦二人で立つと、もう満員御礼。そこに子どもが「お手伝いする!」と入ってくると、急に作業スペース争奪戦が始まります。「ちょっと待ってね」「そこ置く場所ないから、こっちお願い」と言っているうちに、結局こちらが全部やってしまう。これ、狭い家の親あるあるかもしれません。ものすごくマニアックですが。子どもに経験させたい気持ちはある。でも、スペースがない。そして何より、親がやった方が早い。この「早い」という魔法の言葉に、私は何度負けたことでしょう。食器もそうです。収納スペースが限られているので、自然とワンプレート料理が増えました。洗い物は少ない。片付けも楽。忙しい毎日には、とても助かります。でも、ふと思ったのです。中学生、高校生になっていく子どもたちにとって、食卓というのはただお腹を満たす場所ではないのかもしれない、と。自分で作れそうな料理のレパートリーを増やす。親がいなくても何とか自分でこしらえる。食後に食器を片付ける。そんな小さな経験も、生活力につながっていくのではないか。そう思うようになりました。もちろん、ワンプレートが悪いわけではありません。むしろ我が家を14年間助けてくれた素晴らしい仕組みです。ただ、長男も中学生になった。我が家の子どもたちの成長段階には、少しだけ次の環境が必要なのかもしれない。そんな気持ちが芽生えていました。

「自分の場所」が、人を育てるのかもしれない

狭い家では、物理的な距離が近い分、親が何でも気づいてしまいます。誰かの荷物が置いてある。電気がつけっぱなし。脱いだ服がそのまま。そんな時、どうしても近くにいる人が片付けてしまいます。そして、その「近くにいる人」の代表が、だいたい私です。「あ、もういいや。私がやった方が早い。」気づけば、そうなっています。でも最近、少し反省しています。子どもたちが大人になって家を出た時、自分のことを自分でできる人になっていてほしい。洗濯も。片付けも。料理も。生活を整えることも。親が全部やってあげることが愛情だと思っていた時期もありました。でも、ある程度大きくなった子どもには、「任せること」も愛情なのかもしれません。そう考えると、家という環境は、ただ寝る場所ではないのだと思います。自分の場所がある。自分で管理すべき場所がある。そこから、自立する力が育つこともある。長男は、もう中学生です。もう中…ためになったねぇ~。ためになったよぉ~。とギャグが横切りますが、そんなことはさておき。少し前まで「お母さんと一緒がいい」と言っていた子が、今では「自分の部屋っていいな」と言うようになりました。次男も、小学校高学年になり、「友達の家に行ったら、一人部屋があって、自分の好きなもの飾っていた」と話すようになりました。あぁ。成長したなぁ。少し寂しいけれど、すごく嬉しい瞬間でした。数年前まで、抱っこしていた子どもたちが、自分だけの世界を欲しがるようになる。親としては、少しずつ手を離す時期に来ているのだと思います。

でも、賃貸だからできたこともある

そんな風に1枚のチラシからあれよあれよと「家が欲しい」と思う気持ちは出てきました。でも、同時に頭をよぎることがあります。本当に今、買うべきなのか。我が家が今まで賃貸だった理由。それは、決して家に興味がなかったからではありません。むしろ、いつかは買いたいと思っていました。ただ、賃貸には賃貸の良さがあります。住居費を抑えることで、子どもたちに別の経験をさせることができました。長男の私立中学進学。家族での国内やたまーに行く海外旅行。これらは、今の住まい方だったからこそ実現できた部分もあります。「今の暮らしにも、たくさん大切なものがあるな。」家を買うことだけが正解ではない。賃貸だからこそできたことも、間違いなくあります。でも。同時に、別の不安もあります。60代、70代になった時、このまま賃貸を続けられるのだろうか。年齢を重ねても、希望する場所で希望する広さの家を借りられるのだろうか。特に、自分が住みたいエリアでは、70平米以上の賃貸マンションはそもそも数が少ない。あったとしても、家賃を見ると「おっと…」となります。物価高の時代。家賃も、これからどうなるか分かりません。未来は誰にも分からない。だからこそ迷います。

最後の子育てをする家

夫に言いました。「やっぱり、あの土地に住みたいな。」夫は少し考えてから、「もう少し安かったら最高なんだけどね。」と言いました。はい。本当にその通りです。夫婦の意見が珍しく完全一致しました。もう少し安ければ最高。できれば駅近。できれば静か。できれば広い。そして、できればローンの心配なし。…そんな土地があれば、全国のお父さんお母さんが列を作っています。現実はそんなに甘くありません。40代後半。35年ローンを組むなら、完済時には80代です。てか、もう35年のローンが組めません。教育費もこれからかかります。老後資金も準備しなければいけません。勢いだけでは決められない年齢になりました。でも…勢いがなくて、どうやって決めるんだ?!あと12年ほど経てば、三男も大学生になる年齢です。子育てに費やす時間は、あと12年。その後、子どもたちはきっと、それぞれの人生へ進んでいきます。そう考えると、今回の家は「一生住むための家」というより、「子どもたちが巣立つまで、一緒に暮らす最後の家」なのかもしれません。広い家が欲しい。立派な家が欲しい。そんな気持ちではなくなりました。ただ、子どもたちが自分のことを自分でできるようになる場所。家族5人で過ごした時間を覚えていてくれる場所。いつか大人になった時、「あの家、よかったな」と思ってもらえる場所。そんな家なら、頑張ってみてもいいのではないか。そう思うようになりました。おそるおそる、スマホに手を伸ばし、不動産屋の電話番号を入力するのです。続きます。

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