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30年前、キタノ作品で映画デビューした【ヤンチャ系イケメン】格闘家からフィットネス業界で活躍する意外な現在

  • 2026.8.27
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金子賢-1999年1月撮影(C)SANKEI

俳優として映画に立ち、総合格闘家としてリングに上がり、やがてフィットネス団体を率いる。金子賢の歩みをたどると、一見すると遠く離れた三つの世界が、年月を追うごとにつながっていく。

出発点は1996年。それから約30年の間に、金子が担う役割は大きく変わった。ただ、新しい道へ進むたび、それまでの経歴を置き去りにしたわけではない。俳優から格闘技へ、そして運営へ。その転機を順に見ていくと、現在の姿は意外でありながら、突然現れたものではないことがわかる。

初主演と新人俳優賞が重なった

金子の俳優としての大きな一歩は、1996年に製作された映画『キッズ・リターン』だった。北野武が監督を務めた同作に出演し、映画初主演を果たした。

さらに、この作品で第20回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞している。俳優として歩み始めた時期に、初主演と新人俳優賞の受賞が同じ作品で重なった。活動の出発点に、主演作と受賞歴が並んでいるのである。

30年前の金子を記憶している人にとって、まず浮かぶのはスクリーンの中の姿かもしれない。のちに活動の舞台を大きく変えていくことを思えば、この1996年は単なる出演歴のひとつではない。俳優として作品の中心に立ったことが、約30年にわたる歩みを振り返るときのはっきりとした起点になる。

演じる側から戦う側へ

次の大きな転機は2004年に訪れた。金子は俳優から総合格闘家へ転向する。演じる仕事から、自らが競技者として立つ世界へ。肩書だけを見ても、その変化の大きさが伝わる。

転向を表明しただけでは終わらなかった。2005年12月31日には『PRIDE 男祭り 2005』に出場し、総合格闘技のプロデビューを果たしている。1996年の映画初主演から約9年後、金子はまったく異なる舞台に立っていた。スクリーンで役を演じていた人物が、今度は自分自身の名でリングに上がったことになる。

そして2007年には、再び俳優業へ戻った。格闘技への転向も俳優への復帰も、年月を区切って見ると短い一文になる。しかし、その間には、俳優、総合格闘家、俳優復帰という三つの段階がある。

新たな舞台はフィットネス業界

2015年、金子はSUMMER STYLE AWARDを設立した。1996年に俳優として映画初主演し、2004年に総合格闘家へ転向した人物が、今度はフィットネス業界で団体を運営する側に回ったのである。

俳優と総合格闘家は、どちらも自らが表に立つ役割だった。一方、ここで加わったのは団体を設立し、率いるという役割である。活動する場所が変わっただけでなく、担う仕事も変わった。三つの時期を順に置くことで、約30年の間に起きた変化の幅が見えてくる。

設立から年月が過ぎても、その役割は続いている。SUMMER STYLE AWARDの現行公式サイトでは実行委員会代表、2026年の公式パンフレットではSSA代表兼プロデューサーと記載されている。代表とプロデューサーという立場で活動を担っていることがわかる。さらにNABBA JAPAN代表に就任。SUMMER STYLE AWARDとNABBA JAPAN、二つの団体で代表活動を担った。

映画、総合格闘技、フィットネス団体。この三つを別々に眺めれば、思い切った転身の連続に見える。だが、俳優と格闘家として活動した時期を経て、団体を率いる側へ移った流れとして見ると、現在まで一本の線でつながる。変わってきた肩書の数だけ、金子が立つ場所と担う役割も広がってきたのである。

スクリーンの記憶が現在とつながる

SNSで「金子賢さんが運営してるの?」という驚きが生まれたのは、俳優としての記憶とフィットネス団体を率いる現在が、すぐには結びつかないからだろう。しかし、その驚きを入り口に経歴をさかのぼると、間には総合格闘家としてリングに立った時期がある。そして、現在の活動を知ったことで、今度は俳優時代の記憶も呼び戻される。

1996年の初主演から、2004年の転向、2015年の団体設立、そして代表就任へ。約30年前のスクリーンと現在のフィットネス業界は、途中に刻まれた一つひとつの転機で結ばれていた。いまの仕事への驚きと俳優時代を懐かしむ気持ちは、同じ歩みの両端を見つめたときに重なっていく。


※記事は執筆時点の情報です

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