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30年前、“バンド解散”から電撃婚へ…「このアマ!」発言で物議も“夫婦”となった2人

  • 2026.8.29
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2002年12月、東京・恵比寿でトークショーを開催した岸谷香(C)SANKEI

1996年5月、プリンセス プリンセスが13年の活動に幕を下ろした。その翌月、ボーカルの奥居香は俳優の岸谷五朗と結婚した。

ひと月前まで、日本を代表する女性バンドの最後を見届けていた人たちに、今度は結婚の知らせが届く。あまりに近い二つの出来事は、奥居香の人生が一気に次の季節へ移ったようにも見えた。

けれど、二人の間に流れていた時間は、そんなに急なものではない。ラジオで知り合い、友人になり、酒を飲み、やがて一緒に仕事をした。岸谷が心を動かされたのは、ステージで歌うスターの姿よりも、目の前の仕事に向き合う奥居香だった。

解散の翌月に届いた結婚の知らせ

プリンセス プリンセスは1986年にデビュー。『Diamonds』をはじめ、多くのヒット曲を生み出したグループのボーカルが奥居香である。華やかなフロントマンであると同時に、バンドの音楽を生み出す作り手でもあった。

解散した1996年5月の翌月、奥居は岸谷五朗と結婚する。バンドの終幕と結婚が近接しているため、後から年表だけを見ると、人生を大きく切り替えたように映る。しかし、結婚に至る関係は、プリンセス プリンセスが活動していた時期から少しずつ育っていた。

二人をつないだ最初の場所は、テレビでもコンサート会場でもない。声だけが行き交う、ラジオの生放送だった。

マイクの外で友人になった

『岸谷五朗の東京レディオクラブ』は、1990年から1994年までTBSラジオで放送された生ワイド番組だ。奥居がゲスト出演したことで、二人は知り合った。

当時の番組を聴いていた放送作家の山川俊司氏は、初対面のやり取りで岸谷が奥居に「このアマ!」と言い、後で謝りに行ったと振り返っている。30年以上たったいまも記憶に残るほどインパクトがある出来事だった。

ただ、二人の物語で面白いのは、その一言の激しさではない。放送が終わればそれきりになってもおかしくなかった相手と、友人になったことだ。2022年、TBS系『人生最高レストラン』で妻との出会いを尋ねられた岸谷は、きっかけをラジオ番組へのゲスト出演と説明した。二人は友人となり、時間が合えば飲みに行く間柄になった。

リスナーが覚えているのはマイクの前で飛び出した言葉だが、二人の関係が続いたのは、その声が届かない場所だった。恋愛の始まりを劇的な瞬間に求めるより、何度も顔を合わせられる友人になったことのほうが、結婚への距離をよく表している。

岸谷が見ていたのは作り手の奥居香

飲み仲間となったあと、岸谷は自身の舞台で使う音楽を奥居に依頼した。岸谷の目を引いたのは、その仕事ぶりと「男っぷりの良さ」だった。

奥居香といえば、まず思い浮かぶのはプリンセス プリンセスの中央で歌う姿だろう。しかし、岸谷が近くで見たのは、舞台という別の表現に音楽で応える作曲家の顔だった。自分の大切な作品を任せ、返ってきた仕事に驚く。そこには、憧れより先に信頼がある。

恋の決め手を聞かれて仕事の話が出てくるところに、二人の関係の輪郭が見える。気が合っただけではない。何をつくれる人なのかを知り、その力を認めた。1996年6月の結婚を振り返るとき、私にはラジオの一言より、友人として過ごした時間と表現者への敬意のほうが、ずっと大きく見える。

結婚後も、二人の名前は仕事の場で並んだ。2001年のTBS系ドラマ『世界で一番熱い夏』では、五朗が主演し、COLORが歌う主題歌『翼がなくても』の作詞・作曲を香が担当。2016年の『Act Against AIDS』では、結婚後初めて同じステージでパフォーマンスし、香の歌唱中に五朗が踊った。

今も残る馴れ初めの記憶

SNSでは、今も当時の放送を聴いていた人が喧嘩していたのに結婚したことに驚いたと振り返る投稿がある。初対面の印象と、その後の結婚の落差は、30年以上たっても十分に面白い。

それでも、二人の歩みをたどると、見えてくるものはけんかの勢いではない。岸谷は奥居の仕事を見て、作り手としての力に惹かれた。結婚後には、俳優と音楽家として同じ作品や舞台に立った。

マイクの前で飛び出した一言は、長く記憶に残る。けれど、二人を近づけたのは、マイクの外で交わした時間と仕事だった。解散の翌月に届いたあの結婚の知らせは、突然始まった物語の結末ではない。互いの仕事を知るまでに積み重ねた、長い助走の先にあった。


※記事は執筆時点の情報です

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