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父はプロ野球選手…なのに野球未経験!?朝ドラと農業の「二毛作」で足場を築く俳優の歩み

  • 2026.7.29
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2019年12月、フジテレビ系『教場』完成披露試写会に登場した工藤阿須加(C)SANKEI

プロ野球の世界で名を刻んだ父を持つ。工藤阿須加は、その肩書きだけでいえば分かりやすい「二世」だ。だが本人には、野球の経験がない。2014年、TBS系ドラマ『ルーズヴェルト・ゲーム』で投手・沖原和也を演じたとき、この俳優は父ゆずりの何かではなく、自分の身体でマウンドに立った。約100人が集まったオーディションを、野球未経験のままくぐり抜けての起用だった。血で継いだものではなく、その場で掴み取った役。工藤阿須加の厚みは、看板の外側で狭き門を越えたこの一点から始まっている。

未経験の身体で投手をつかむ

工藤が俳優として世に出たのは、投手役より少し前だ。2012年、日本テレビ系ドラマ『理想の息子』に出演し、20歳でデビューしている。華々しい入口ではない。そこから2年、投球という難所が巡ってきた。『ルーズヴェルト・ゲーム』は池井戸潤の企業小説を原作に、社会人野球を軸へ据えたドラマだった。

工藤が演じた沖原和也は、物語の鍵を握る投手である。野球経験のない者にとって、投げるフォームは嘘がすぐにばれる領域だ。約100人のオーディションを勝ち抜いたあと、工藤は投手として見えるための身体を一から作っていった。ここで効いたのが、元プロ野球選手である父の存在だった。体重移動、力の抜き方といった投げる身体の作法を、二世という立場は入口として、専門知として引き受けた。

だが見るべきは、その知を借りてフォームをなぞったのではなく、自分の身体に取り込んで役の一部にまで練り上げたことだ。選考を越えさせたのは父の血ではない。渡されたものを自分のものへ変える、本人の取り込む力だった。

二世という言葉は、しばしば「持って生まれた有利」と受け取られる。だが工藤の場合、父の存在が効いたのは血の遺産としてではなく、役へ近づくための教材としてだった。同じ入口を与えられても、そこから何を持ち帰れるかは本人次第である。マウンドに立つ身体を一つ仕上げたこの経験が、以後の起用に耐える地力の最初の証明になった。

朝ドラが三度も頼る安定感

朝の連続テレビ小説は、半年にわたって全国の茶の間へ毎朝届く。長丁場を崩さない安定が要る枠だ。工藤阿須加は、この舞台に三度呼ばれることになる。

最初は2016年、NHK連続テレビ小説『あさが来た』。東柳啓介を演じ、朝ドラに初めて出演した。次いで2019年の『なつぞら』では佐々岡信哉を、そして2026年秋に放送が始まる『ブラッサム』では小学校教員の島村辰彦を演じる。10年のあいだに、同じ朝の枠から三度声がかかった。

一度の起用なら縁でも起こる。だが三度は、縁では説明がつかない。制作側が毎回、この俳優を計算に入れられるということだ。派手に画面を奪うのではなく、物語の温度を一定に保つ。長い放送を支える現場が求めるのは、まさにその崩れなさである。

2014年度に受けた第24回日本映画批評家大賞の新人男優賞(南俊子賞)も、突出した一発ではなく、こうした一本ずつの仕事が積み上がって可視化されたものだった。賞が裏書きしたのは血筋という肩書きではなく、どの座組みに入れても計算が立つ、安定した厚みだったのだ。

自分の手で耕す二本目の足場

工藤阿須加を語るとき、もう一本の足場を外せない。農業である。2021年から本格的に就農し、当初およそ5アールだった畑を、40アール近くまで広げてきた。BS朝日『工藤阿須加が行く 農業始めちゃいました』は、その歩みを追う初めての冠番組として続いている。

俳優が余技で土に触れる、という話ではない。役は現場から与えられるが、畑は自分で耕さないと何も実らない。演技という受け身になりがちな仕事の隣に、自分の手で回す時間軸を持っている。2026年1月には日本農業新聞のCMの新編にも起用された。畑での姿がそのまま仕事へつながり始めているということだ。演じる工藤と、耕す工藤。二つは別々の看板に見えて、どちらも「自分の身体で引き受ける」という同じ姿勢で貫かれている。二世として与えられたものを入口にしながら、そこから先は自前の足場を二本、並べて立ててみせた。

そして2026年、その二本の足場は同時に動いている。秋には朝ドラ『ブラッサム』が控え、畑では次の季節の作付けが進む。7月20日に始まったフジテレビ系ドラマ『GTO』の2026年版では宮澤龍之介を演じている。

野球未経験の身体で投手役を掴んだあの頃と変わらず、工藤阿須加はいくつもの門を自分でくぐり抜けてきた。与えられた看板ではなく、耕して立てた看板で、この人はこれからも土と画面の両方に立ち続けるのだ。


※記事は執筆時点の情報です

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