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嫁を責め続けた私が、孫の「将来の夢」の作文で気づいた30年越しの間違い

  • 2026.6.27
ハウコレ

「子供が寂しがっている」と繰り返してきたのは、本当に孫のためだったのでしょうか。参観日の教室で読まれた作文が、30年間抱えてきたものを揺さぶりました。

あの夜の息子の声

30年前、私も働く母親でした。仕事にやりがいがあって、保育園のお迎えは夫に任せる日のほうが多かった。ある日、息子が布団の中でぽつりと言いました。「今日もママ来なかった」。小さな声でした。泣いてはいなかったけれど、その一言が胸に刺さりました。

翌月、私は仕事を辞めました。息子にもう寂しい思いをさせたくない。その一心でした。それが正しかったのかどうか、30年経った今でもわかりません。ただ、辞めたことを後悔しない理由がほしくて、ずっと「あのとき辞めてよかった」と自分に言い聞かせてきたのです。

嫁に重ねた自分の影

息子が結婚し、孫が生まれ、嫁が仕事に復帰したとき。気づけば「お母さんが働いてると、子供は寂しいのよ」と口にしていました。嫁のためでも孫のためでもなく、過去の自分を正当化するための言葉だったのかもしれません。

ある日、嫁がまっすぐ私の目を見て言いました。「お義母さん、私は子供のそばにいないわけじゃありません」。ハッとさせられました。でも引き下がれず、「あなたにはわからないの。私は経験したから言ってるのよ」と返すのが精一杯でした。

教壇の上の孫

参観日、孫が作文を読み始めました。「将来の夢。わたしはママみたいになりたいです。ママはお仕事から帰ってきても、わたしの話をいっぱい聞いてくれます。疲れてても関係ないよって言ってくれます。わたしも関係ないよって言える大人になりたいです」。

視界がにじんで、慌ててハンカチを取り出しました。泣いている理由を、隣にいる嫁や息子に悟られたくありませんでした。あの作文を書いたのは、私が「寂しがっている」と決めつけていた孫でした。

そして...

あの子は寂しくなかったのではなく、寂しさよりもお母さんへの誇りのほうが大きかったのだと思います。30年前の息子も、本当はそうだったのかもしれません。あの夜の「今日もママ来なかった」は事実でも、それが息子の気持ちの全てではなかったのかもしれない。

帰り道、嫁に「いいお母さんね」と言うのが精一杯でした。本当は「ごめんなさい」と言いたかった。けれど声がうまく出ませんでした。私は息子のたった一言を抱えて30年間過ごし、同じ重荷を嫁にまで背負わせようとしていたのです。

(60代女性・主婦)

本記事は、ハウコレ読者への独自アンケートに寄せられた実体験をもとに制作していますが、個人が特定されないよう、一部設定を変更しています。

(ハウコレ編集部)

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