1. トップ
  2. マライ・メントラインさんのおすすめ本「滅びゆく文化や世界に思いを馳せる本」3選

マライ・メントラインさんのおすすめ本「滅びゆく文化や世界に思いを馳せる本」3選

  • 2026.5.28
撮影=セドリック・ディラドリアン

毎月異なるゲストが登場し、その人ならではの視点で本を紹介するコーナー。今回は、マライ・メントラインさんの心に残る、滅びゆく文化や世界に思いを馳せる本について語っていただきました。

「読んで終わりではなく、読後の広がりも読書の醍醐味」

ドイツでも紙の本を読まなくなっていたり、本屋さんが減っていたりしますが、本の存在感はまだ強い印象があります。電車の中で分厚い本を読んでいる人はけっこういますし、カセットテープの時代から「聴く読書」が深く浸透していたり、親から子へ、子から親へと互いに読み聞かせ合う習慣は、ドイツが誇れる素敵な読書文化だと思います。

『テロ』の著者は、弁護士でもあるドイツ人作家、フェルディナント・フォン・シーラッハ。「フォン」という前置詞からわかるように元貴族です。祖父がナチ党全国青少年最高指導者だったという宿命を背負っているせいか、正義とは? 善とは? 悪とは? というテーマについて深く考えた作品が多く、本書はテロを題材にした初の戯曲です。

テロリストが旅客機をハイジャックし、7万人の観客がいるサッカースタジアムに墜落させようとしていたため、空軍少佐が独断で旅客機を撃墜。7万人を救うために、乗客164人を死なせた罪を問う法廷劇です。

ドイツでは、一般市民から選ばれた参審員が裁判の審議に加わる参審制を採用しています。本の結末には有罪と無罪の両方が用意されていて、本であれば読者が、演劇であれば観客が参審員として評決を下せる設定が面白さのポイント。法律と倫理の狭間で、命の価値とは?という哲学的テーマにつながっているところも非常に興味深い一冊です。

私が育ったドイツでは、冷戦の終結によって国同士の争いがなくなり、平和な時代がやってくると思われていました。でも、そんなことはまったくなく、テロリスト集団が国を越えて暗躍し、敵が見えづらい不安な世の中になりました。そんな時代、何を信じればいいのか、何をガイドラインにすればいいのかというひとつの答えを提示しているのが、この本だと思います。

刊行直後からドイツで大激論を巻き起こし、演劇は世界中で上演され、判決のすべてがWEBサイトの世界地図上に可視化されています。日本はとりわけ有罪が多く、いま教えている大学の講義でこの本を取り上げたときも、学生たちのディスカッションは白熱し、結果は有罪でした。読んで終わりではなく、読後にさまざまな広がりがあるところも、この本の魅力です。

『本と歩く人』は、私のような本好きにとって、読書文化の未来について考えさせられる一冊です。主人公のカールは、長年書店員として働く老人。注文が入った本を歩いて届ける仕事もしていて、顧客たちは皆個性的である一方、夫からDVを受けていたり、文字が読めなかったり、引きこもりだったりと、さまざまな事情を抱えています。

そんなある日、不思議な少女シャシャが現れ、カールとともに本を届けに行くようになり、物語が動き始めます。DVを受けていた人は夫から逃げ出し、引きこもりだった人は外に出られるようになり……と顧客たちは全員救われますが、カールだけ救いがない。

シャシャの父親に襲われ、入院して職を失い、最後には古書店で本を配達する仕事を得ますが、それって読書文化の衰退を暗示しているのではと裏読みしてしまいます。私やカールのように本を愛してやまない人間というのは時代遅れの少数派で、その文化は静かに終焉を迎えていくのかなと。

消滅していく世界をテーマにしているという点では、滅びゆく人類の黄昏の時代を描いた漫画『ヨコハマ買い出し紀行』も同じです。世界の終わりを描いたものといえば、核戦争が起きて、地球を救えたり救えなかったり、人類が宇宙に行ったりしますが、この漫画には一切そうした激しさがなく、ひたすら平和で、ゆったりした時間が流れているんです。

いまの時代、リアルに『テロ』のような刺激的な出来事が多く、この世の終わりについて嫌でも考えてしまうのですが、ここに描かれているのは、滅びゆく、優しく穏やかな人たち。私たちは誰もが死を迎えますが、理想的な終わりのひとつのかたちが提示されていて、グッとくるんです。読みながら泣いてしまいます。

撮影=セドリック・ディラドリアン
『テロ』

フェルディナント・フォン・シーラッハ/著
酒寄進一/訳
東京創元社 1,760円

ハイジャックされた旅客機を独断で撃墜した空軍少佐の罪を問う法廷劇。7万人を救うために164人を犠牲にした行為が有罪か無罪かを読者に委ね、正義、道徳、法律の限界を鋭く突いた作品。「結末が2通り用意されたユニークな構成で、読後に深い議論を呼ぶ傑作。全人類に読んでほしいです」

撮影=セドリック・ディラドリアン
『本と歩く人』

カルステン・ヘン/著
川東雅樹/訳
白水社 2,970円

本をこよなく愛し、書物とともにあることが生きがいの孤独な老書店員カールが、9歳の利発な少女シャシャと出会い、閉ざされた平穏な世界をかき乱され、顧客たちもまた現実世界との新たな接点を取り戻していく物語。「一見、ハッピーエンドのメルヘンのようですが、私はどうしても裏を読んでしまいます」

撮影=セドリック・ディラドリアン
『ヨコハマ買い出し紀行』 全14巻

芦奈野ひとし/著
講談社 各792円
*古書のみ、電子版あり

地球温暖化が進んで海面が上昇し、終末に向かう人類の世界を舞台に、人型ロボットのアルファが海辺のカフェを営みながら日々を過ごす物語。文明が緩やかに衰退するなか、自然や人の温もりが丁寧に描かれ、穏やかな時間の尊さを感じさせる。「こんな世界の終わり方があるのかと救いを感じさせてくれます」

まらい・めんとらいん〇1983年ドイツ北部キール生まれ。2度の日本留学を経て、ボン大学卒業後、2008年より日本在住。ドイツ公共放送のプロデューサーを務める傍ら、テレビやラジオのコメンテーター、文芸評論、翻訳、WEBメディアでの情報発信など幅広く活躍中。職業は「ドイツ人」。基本的には紙の本が好きだが、蔵書が増えすぎたために一部データ化したり、新たに買う本はできるだけ電子書籍を活用。2月に出産して授乳中のいま、再びオーディオブックのありがたさを実感している。

撮影=セドリック・ディラドリアン 取材・文=和田紀子 編集=柏木敦子(婦人画報編集部)

『婦人画報』2026年6月号より

〇選りすぐりの記事を毎週お届け。

元記事で読む
の記事をもっとみる