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【熊本地震】遠慮の文化は対応を遅らせる…前知事・蒲島氏が振り返る10年〈上〉

  • 2026.5.11

最大震度7の激震に2度見舞われた熊本地震から10年がたった。2度の最大震度7という未曽有の大災害で熊本県は大きな被害を受けたが、復興は着実に進んできた。半導体製造大手の台湾積体電路製造(TSMC)が進出し、熊本経済は活況を呈している。

2008年から24年まで4期16年にわたって熊本県知事を務め、地震からの復旧・復興の陣頭指揮をとった蒲島郁夫前知事は、この10年をどうみているのか。災害大国・日本の自治体トップは災害時にどう動き、どう復旧・復興に取り組むべきか。熊本地震から得た教訓を聞いた。

車は待たず、県庁に走った

4月14日の前震は、知事3期目の就任初日でした。昼間から会議が続いて、知事公舎に帰って寝るところに、すごい揺れが来た。とっさに阪神・淡路大震災の時に兵庫県知事だった貝原俊民さんが残した回顧録の内容を思い出しました。貝原さんは本の中で、地震が起きて県庁に駆けつける際、知事公用車が来るのを待って登庁が遅れたことを悔やんでいました。「車を待ってはいけない」と、着の身着のままで県庁まで走り、10分で県庁に着きました。

でも、災害対策本部の設置場所を県庁舎10階の会議室にしていたのは失敗でした。早く着いたのにエレベーターが使えず、階段を上がることになって時間をロスしました。対策本部は低い階の方がいい。1階には被災者の方々が大勢やってきますから、2階に作るのがベストです。

大災害が起きた時は、トップが指揮をとることが大切です。被災状況は刻々と変わり、次々に予想外のことが起き、決断しなければならない。まず、その場にいること。すべてに指示は出せなくても、知事がいるというだけでみんなが動きやすくなります。

県庁に着いて私が最初にしたことは、陸上自衛隊西部方面総監の携帯に電話して、出動をお願いしたことです。災害対応には人手が要ります。その時は自衛隊が頼りになると思って歴代総監とは個人的な関係を築いていました。何かあったら互いに連絡し合おうと決めて、総監の携帯電話番号も知っていました。

私が電話をしなくても、いずれ担当部局などを通じて要請は伝わったでしょうが、それでは自衛隊の初動が遅れてしまう。結果的に自衛隊は非常に早く、多くの人員を出してくれました。南阿蘇村では東海大学に通う学生が住むアパートが潰れましたが、自衛隊が救助に大きな働きをしてくれました。

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直感で出た「通常の3倍」

もうひとつ非常時に大事なのは、「遠慮の文化」を壊すことです。国から人や救援物資をどれぐらい送るか問われて、私は「人も食料もいつもの3倍送ってください」と言いました。3倍というのは直感で出た数字です。これも阪神淡路大震災の時に得た教訓によるものです。

あの震災ではハーバード大学でお世話になった恩師が被災され、私は救援物資を携えて神戸を訪れています。その時に感じたのは、日本人の「遠慮の文化」が対応を遅らせているということでした。被災者には「あまり頼っては申し訳ない」という気持ちがある。自治体はどんな救援物資がどれだけ必要なのかをきちっと整理してから政府に支援を要請する。でも、それでは救援が遅れてしまうんです。

私が「通常の3倍」と数の目安を示したことで、安心してすぐに送れた、と後から国の担当者に感謝されました。結果的に本震が来て、人員や食料が通常の量では全然足りませんでした。それから国はどんどん人や物資を送ってくれました。熊本地震は国が被災自治体の要請を待たずに物資を送る「プッシュ型支援」の始まりになりました。

ハンティントンのギャップ仮説

私は知事になる前は政治学者で、政治学を県民の幸福のために実践しようと考えて知事になりました。政治学に「ハンティントン※のギャップ仮説」という理論があります。人々の不満は期待値を実態値で割ったもの。つまり、期待に実態が追いついていないと不満が高まるというものです。熊本地震後はこの理論を実践しました。人命救助、水や食料の配布、避難所の快適性の確保などの期待に対し、自衛隊の派遣や十分な食料確保など、速さと量を充実させることで、期待値の増加に先んじて実態を大きくさせた。このためには素早く動き、遠慮は捨てなければいけません。

前震の後もずっと揺れ続け、結局、余震は4300回も続きました。屋内にいては危ない。車なら逃げられるし、屋根もあると思って、家から出て車中泊をする人が激増しました。国は「車中泊している被災者を避難所に収容すべきだ」と言ってきましたが、私は反対しました。避難所に入れなくて車にいるわけじゃない。避難所に入りたくないんです。それは現場にいればわかります。現場から離れた人の判断より、危機に直面した人の判断を尊重すべきなんです。

その後本震が来て、益城町の避難所になるはずだった体育館の天井が崩落しています。車中泊にも問題がありますが、多くの人を無理に収容していたら大勢が負傷していたかもしれません。(中に続く)

※サミュエル・P・ハンティントン(1927~2008年) 国際政治学者、ハーバード大学教授。1978年、カーター政権に協力して大災害の対応にあたる「連邦緊急事態管理庁(FEMA)」を創設している。著書に『文明の衝突』。

蒲島郁夫氏(かばしま・いくお)1947年熊本県生まれ。ハーバード大学大学院修了(政治経済学博士)。筑波大学、東京大学教授を経て、2008年4月から熊本県知事を4期務めた。24年から東京大学先端科学技術研究センターフェロー。

(聞き手・構成 読売新聞東京本社編集委員 丸山淳一)

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