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「『ファーストラヴ』以降、加害者家族についても関心を惹かれていた」宗教二世・殺人犯の息子である青年と同居するのだが…『ノスタルジア』【島本理生 インタビュー】

  • 2026.5.23

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年6月号からの転載です。

『アンダスタンド・メイビー』以来、約15年ぶりの書きおろし作品となる本作の主人公は、5年近く新しい小説を書けずにいる小説家の岸田紗文。小説家を主人公に据えるのは、島本さんにとって珍しいことである。

「依頼を受けた当時、私自身が小説の書き方を見失っていたんです。物語ってどうやって書くの、小説ってそもそも何? と、確かなものを何もつかめなくなっていた。それはたぶん、過去の記憶に引っ張られていたからなんですよね。振り返れば、直木賞を受賞するまでの3年間ぐらいがいちばん公私共に充実していたような気がして。当時も、必死でもがいてはいたけれど、それを支えてくれる人達がいた。受賞直後に、信頼していた年上の友人を失ったのも大きかった。あの頃に戻れたら、と願う気持ちが芽生えた時点で私は“今”を生きられておらず、そうなると新しい小説の種も芽生えてこない。どんなに浸っていたい記憶でも、そこから出てゆかない限りは書くことができない。今を生きるしかないんだ、と考えていたところから生まれた作品なので、主人公は小説家にする以外、考えられなかったんです」

紗文を縛るのは、7つ年上の男性との記憶。人生でいちばん愛したその人に、愛されている自信がもてなくて、言ってはいけない一言を放った。以来、二度と会えなくなって5年。新しく誰かとつきあっても、前を向こうと振り切っても、紗文の生活には常にその人の影があった。

「ふだん、小説家や編集者を主人公にすることがないのは、私にとって距離が近すぎる職業だから。でも、今作に関しては主人公と一緒に私自身の潜在意識にも潜る必要がありました。失った過去に固執するばかりで、今、新たに生みだせるものが何もない。自分にはもう何も残っていないかもしれないという絶望を抱え、過去と今をいったりきたりしながら、未来の着地点を探っていく。そんな物語を書くためにはやっぱり、主人公は作家でなくてはいけなかったんだろうなと思います。最初は不安だったけど、書きおろしでよかったです。際限なく意識の底まで潜っていくことができましたから」

宗教二世で、加害者家族 だけど“ふつう”な創という青年

紗文の道しるべとなってくれるのが、東雲創という20代半ばの青年だ。宗教二世で、殺人事件の加害者の一人息子。素性を知られ、職と居場所を失った彼と、紗文はなりゆきでともに暮らすことになる。

「『アンダスタンド・メイビー』で宗教団体に絡んだ家庭環境に身をおく人たちを書ききったつもりで、いまだ、何かが終わっていないような感覚が続いていたんですよね。たぶん、あと一度か二度かは、真正面から、けれどちがうかたちで、宗教二世について書かなくてはいけないのだろうな、という予感もありました。と同時に、『ファーストラヴ』を書いて以降は、加害者家族についても関心を惹かれていて。罪に関与していなくても無関係ではいられない、とくにきょうだいや子どもたちのその後の人生について思いを馳せたり、死刑制度について調べたりする機会も多かった。過去から抜け出すための小説ならば、自分が生きてきた時間そのものも小説に反映しなければならない気がして、これまで自分が強く意識を向けてきたパーツを集めるように、物語も登場人物もつくりあげていったんです」

元恋人のことだけでなく、紗文もまた、自身の家族についての傷を抱えている。その点で、年は離れていても創とは最初から、うまがあった。けれど紗文に対して創は、葛藤を抱えながらもどこかさっぱりしている。そのギャップが、紗文を少しずつ停滞した沼から救い出していく。

「むりやりにでも“今”に引き戻してくれる存在が必要なんじゃないかと思ったんです。あの頃はよかった、なんて過去に固執するのは年を重ねてきた証拠で、20代の頃はそんなこと、考えもしなかった。だから、宗教についても若い人たちに話を聞こう、と思ったんです。実際に会って話をしてみると、結婚にまつわる悩みや、宗教二世、三世としての葛藤は抱えているけれど、四六時中、悩まされているわけではなくて、小さなことに一喜一憂しながら私たちとなんら変わりない日常を送っている。そうしたディテールを書くこともまた、この小説では必要なんじゃないかと思いました。どんなに傷を負っても、創には若さ故の回復力がある。その希望に触れることが、きっと、紗文には大事なんじゃないかとも」

改めてたどりつくことができた やっぱり信じる、という境地

子どもの頃から、心と身体で感じてきた神さまの存在を、信仰しないと決めたからって全部なくすことはできない。過去は過去として否定しないまま、今を生きる。そんな創だからこそ、ふとこぼれた問いの重さに、胸が衝かれる。〈間違ったものに一度でも救われたら、それもすべて間違いだと思いますか?〉。

「その問いをかけたこと自体が、この小説の意義だったような気がします。小説家としてデビューした当初、私の根底には『信じてみる』という気持ちがあった。誰になんと言われても、自分が大切に想うものを大切にしたい、ゆるぎなく手放さずにおきたい、と。やがてそれが反転し『信じてはいけないものを信じてはいけない』という結論にたどりついたけれど、世の中には信じていいものといけないものではっきり二分されているわけではない。自分で考えて選別したうえで『やっぱり信じてみる』ことを主人公に選択してほしいと今は願っているんだな、と改めて感じました。自分のせい、もしくは誰かのせい、ではなくて、わりきれないグラデーションが世の中には無数に存在していることを、私は小説を通じて書いていきたいのだと」

それは、無数に選択肢が存在するということでもある。そのなかから何を選ぶかで私たちは世界のありようを決め、ありえたはずの世界を手放していく。もし元恋人にあんなことを言わなかったら。宗教のある家庭に生まれていなかったら。そんな想像をも乗り越えて生きていくことを創と紗文は選択していく。

「自分のなかに神さまがいるということは、人生の理不尽をよくも悪くも預けてしまえるということでもあると思うんですよ。自分がどんなに努力しても、あがいても、きっと何も変わらなかった。創が思いきることができるのは、いまだ彼の根っこに信仰があるから。そして、やっぱり若いからだと思うんです。この先に答えが待っている、きっと未来は変えていけると信じられるエネルギーが創にはある。そんな彼と相対し、どうしたって助けられないものはある、どんなに心を通わせたつもりでも他人の人生をコントロールすることはできないと思い知らされることは、紗文にとって絶望に似た衝撃だっただろうけど、それを自覚しなくてはきっと、過去から抜け出すことはできなかっただろうと思います」

島本さんもまた、紗文と一緒に過去を抜け出し、新しく現実をつかみなおした。「今はすごく書けそうな気がする。調子に乗って仕事を受けすぎてしまったくらい」と笑う。

「恋愛を通じて露呈する、自分のなかの矛盾と衝動を抱えてもがき続ける紗文を通じて、これこそ私が小説を書く意味なんじゃないかとも思いました。たぶん、恋愛のさなかにある人のとっぴもなさは、AIに模倣することはできない。恋愛だけを書きたい、とは思わないけれど、友達も仕事も、それ以外の居場所も得たうえでやっぱり必要な、人生の一要素としてこれからも書いていけたらいいなと思います」

取材・文:立花もも 写真:冨永智子

しまもと・りお●1983年、東京都県生まれ。『シルエット』で群像新人文学賞優秀作を受賞し、デビュー。『リトル・バイ・リトル』で野間文芸新人賞、『Red』で島清恋愛文学賞、『ファーストラヴ』で直木賞、『2020年の恋人たち』で本屋が選ぶ大人の恋愛小説大賞を受賞。近著に『憐憫』『天使は見えないから、描かない』など。

『ノスタルジア』

(島本理生/河出書房新社) 1870円(税込)

5年近く、新しい作品を書けずにいる小説家の紗文は、創という青年を預かることになる。殺人事件の加害者家族という素性が知られ、地元で職を失った創は宗教二世でもあり、どこか暗い影と達観した雰囲気をまとわせていた。初対面から不思議とうまがあい同居を続けることになるのだが、彼と一緒にいても紗文の頭の片隅には常に、5年前に自分の前から消えたある男性の存在があった……。

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