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【ロングインタビュー】小説家・辻堂ゆめさん。自分の機嫌をぶつけない、都合を子どもに押しつけない、母のスタンスが子育ての指針

  • 2026.5.15

自分で物語を作ってみたい 持ち前の好奇心が今の原点

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辻堂ゆめさんが2025年に発表したエッセイ『ミステリ作家、母になる』(小学館)では、第一子誕生から3児の母になるまでの4年間がつづられています。6歳女の子、4歳男の子、1歳女の子の3人のお子さんと、にぎやかな日々を送っています。

――お子さんはそれぞれどんなタイプですか?

一番上の子は几帳面でしっかり者。この春、小学校に入学したばかりです。学級委員タイプなんですけれど、人前で何かをするのは少し緊張するみたいです。真ん中はお姉ちゃんと正反対。「ダメ」って言ったことを全部しちゃうようなやんちゃな子です。「これを叩いちゃダメって言ったでしょう?」と言うとグーでどんどんして、「グーもダメ!」と言うと足で蹴って。どこから怒られなくなるのか、私、試されているんでしょうか(笑)。一番下はまだ1歳なので、性格がはっきりしてくるのはこれからなのかなと思うんですけれど、お姉ちゃんと似ているのかも。保育園で良くないことをしているお友達を見つけたら、まるで先生みたいにすぐにそばに行ったり、お友達が泣いていると、その子を指さして先生に教えてあげようとしているそうなんです。

――三人三様ですね。同じおうちで一緒に過ごして、同じものを見たり、同じものを食べたりしているはずなのに。

全員に共通しているのは大食いというところだけですね(笑)。お姉ちゃんは文字の読み書きが好きだけど、真ん中の子は数字に興味があるらしく、大きくなるにつれてそれぞれが得意なこともなんとなく見えてきました。小学生になって、いろいろなことをやるようになったら、もっと個性が見えてくると思うんですけれど、今から楽しみですね。

――辻堂さんご自身も3人きょうだいですね。

はい。私が一番上で、弟がふたりいます。いとこたちも全員年下で、ごく自然と下の子たちの面倒を見ていました。小学4年生までは茨城県の水戸市に住んでいたのですが、新興住宅地で子育て世代が多かったこともあって、近所にも子どもがたくさんいたんです。十数人はいて、一番下の子は3歳くらい。毎日のように一緒に遊んでいました。ここでも私が一番年上だったので、いつの間にかまとめ役になっていましたね。「今日はみんなでリレーするよ、チームに分かれよう!」とか声をかけて、みんなで遊ぶんです。

私、これがすごく楽しかったんですよ。大きくなったらなりたいものを考えるとき、作家以外は全部子どもにまつわる仕事でした。「小学校の先生がいいかな、保育士さんもいいな」って。

――いつも子どもを身近に感じていたのですね。

子どもも好きだし、本も大好きでした。母がたくさん読み聞かせをしてくれましたし、図書館にしょっちゅう行って何冊も借りてくれるので、幼い頃から本には親しんでいたんです。

――どんな絵本が好きでしたか?

ひとつあげるなら『めっきらもっきら どおん どん』(長谷川摂子/作 ふりやなな/画 福音館書店)かな。子ども心に「こんな世界があったらいいな」と思っていましたし、途中で縦開きになるのも面白くて。母に何度も「読んで」と、ねだった記憶があります。

もっと小さい頃は「ノンタン」シリーズ(偕成社)。最近、一番下の子もお気に入りみたいで、よく私のところに持ってきますね。

――作家に興味を持ち始めたのは幼稚園の頃だったそうですが。

どうして作家に興味を持ち始めたかはよく覚えていないんですけれど、絵本でいろいろな物語に触れるうちに「自分も物語を作る側になりたい」という感覚を持ち始めたのだと思います。というのも、子どもの頃から好奇心旺盛でなんでもやってみたくなるタイプなんです。大きくなってからも、音楽を聴けば「自分で作れないかな?」、映画やドラマを見たら「自分で撮れないかな?」と思ったり。音楽や映像は才能や機材がなくて挫折しましたけれど、お話を書くことは、紙と鉛筆さえあれば、私にもなんとかできたので。

子どもは「褒めて育てる」 母の姿勢を見習いたい

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――初めてお話を作ったのは、いつ頃ですか?

一番古い記憶は4歳頃で、2歳下の弟が描いたお絵描きにお話をつけました。弟は丸や三角、四角のかたちから手足が出ているような人の絵をよく描いていたんですが、その絵の裏に「まるおくんとさんかくこちゃんが おかいものにいきました」みたいなお話を書いたんです。紙芝居を作っているつもりでしたが、紙芝居って、1枚目の絵の裏側に2枚目の絵のお話が書いてありますよね。10枚ぐらい書きためていざ読もうとしたら「これじゃあ読めない!」って思った覚えがあります(笑)。

――その頃には字が書けるようになっていたのですね。

読み書きができるようになったのは早かったみたいです。「今日は誰々と遊びました」みたいな、本当に簡単なことしか書いていないんですが、日記を書いて幼稚園の先生に見せたりしていました。もう少し大きくなってからは、お話を書いた紙をホチキスで留めて、簡単な本を作ったこともありました。遊びや工作みたいな感じです。

――辻堂さんにとって、読み書きは勉強というよりも、ただただ夢中になれるものだったんですね。

熱心に勉強したりしていたわけではなくて、単純に字というものに興味があったんだろうなと思います。私は絵がからっきしダメなんですよ、落書きも字で書いたりしていて。作文も好きだったし、漢字も好きで。小学生のときは子ども向けの漢和辞典をひたすら読んだりしていました。

私は自分の名前が本名もひらがななので、名前に漢字がついている友達にあこがれていたんです。低学年のうちはひらがなでしか知らなかったのに、だんだん漢字がわかるようになると「『友』という字が使われているから、『たくさんお友達ができるように』って、ご両親が思ってくれたのかな?」なんて考えることが好きでした。なんだか変な小学生でしたね。

――ご両親はどんな方でしたか?

父は会社員で、家では子どもたちとたくさん遊んでくれるタイプ。家の中でビニールボールを蹴り合ってサッカーをしたり、寝転がって足で子どもを持ち上げたり、フィジカルな遊びをたくさんしてくれました。夏休みにはキャンプにも連れて行ってもらいましたね。

当時は家と父の勤務先が近かったのですが、私や弟たちが小さい頃、父は仕事の休憩時間に家に帰ってきて、私たちをお風呂に入れてからまた会社に戻ったりしていたそうです。今で言うイクメンだったのかな? いや、違うな。子どもとお風呂に入るのが好きだっただけのような気がします(笑)。

母は専業主婦です。わりと子どもの教育をきちんと考えるタイプでしたが、がむしゃらに勉強して小学校や中学校受験を目指すというわけではなく、「社会で活躍できる人になってほしい。そのために、勉強はできないよりもできるようになったほうがいい」という思いがあったようです。母が読み聞かせをたくさんしてくれたのは「国語力を育てたい」という考えもあってのことだったのかなと思いますが、私たちきょうだいは外遊びもたくさんしていましたし、「やるときはきちんとやるけれど、それ以外はのびのびと遊ぶ」といった雰囲気の家庭でした。

――反抗期はありましたか?

中学生のときは父とバチバチしていましたが、母に対しては全くありませんでした。なんというか、いつも気分良く過ごさせてもらっていたなあと思います。

大人になってから聞いたのですが、母は子育てをするにあたって育児本をたくさん読んで、そのときに「褒めて育てよう」と思うようになったそうなんです。私たち子どもがやる気を出せるように、自信を持てるように、たくさん褒めてあげよう、逆にこれは言わないようにしようと、いろいろと考えてくれていたみたいです。

誰だってご機嫌なときばかりではないし、ときには気が立って、つい小言が出ても当たり前ですけれど、母の場合、それが全くなかったんです。「どうして今、怒られたんだろう? あ、お母さんの機嫌が悪いからだな」みたいに思ったことはありませんでした。

――子どもとしては、安心して過ごせますね。

自分の機嫌を子どもにぶつけない、自分の都合を子どもに押しつけないという母のスタンスは、今でも尊敬しているんです。もちろん、子どもが良くないことしたらきちんと叱るけれど、機嫌が良いときも、そうではないときも、子どもへの接し方や声掛けに差が出ないようにする。これは母を見習いたいなと思っていますね。

アメリカで暮らしてなければ 作家になっていなかった?

――小学生のときは、どんなお子さんでしたか?

わりとリーダー気質で、みんなの前に立ちたがるタイプだったかも。でも、小学4年頃からは転校が多くて、「前に出たいけれど、私はその立場じゃないしな」と思っていたような気がします。

それから、4年生から体操教室で器械体操を習い始めたのですが、6年生で選手コースに上がることができて、熱心に取り組んでいましたね。当時の友達から見たら、私に本や小説のイメージなんてないと思いますよ。それよりも「いつも鉄棒でくるくる回って、逆立ちして、ブリッジして、側転していた人」みたいな。勉強は嫌いではなかったけれど、ずば抜けてできるタイプではありませんでした。

――お父さまの仕事の都合で、一家でアメリカに住んでいた時期があったそうですね。

私が中学1年の頃から高校2年までいました。両親が「せっかくアメリカに行くなら英語ができるようになったほうがいいだろう」と思ったようで、現地校に通っていました。弟たちも私も英語は全く話せなくて、最初のうちは3人ともちんぷんかんぷんの状態。学校の授業も、数学は文章問題でなければなんとか解けるけれど、それ以外は電子辞書を持ち込んで、ひたすら調べながら勉強するといった感じで。「3か月もすればわかるようになるよ」と言われていましたけれど、慣れるまでに1年くらいかかってしまいました。

中学生で多感な時期だったこともあって、「日本語だったら30分で終わる宿題なのに、3時間もかかった!」って、家ではついイライラしてしまったり。日本が恋しくてホームシックにもなりました。でも、留学ではなく、家族全員で来ているから、日本には帰る家がないという(笑)。

――もどかしいですね。

アメリカにいても日本のトレンドが気になって、オリコンランキングをチェックして流行っている音楽を聴いたり、ドラマやバラエティ番組を観たりと、ひとり時間は全部が日本語で埋め尽くされていて。とにかく日本の生活やカルチャーにあこがれていたんです。

――十代で海外に暮らすと、日本よりも現地の文化に夢中になってしまいそうですが。

アメリカと比較して日本が面白かったというよりは、私の場合、単純に楽しめるものが日本のものだったんです。アメリカのドラマを観ても言葉がわからないし、学校で自分の言いたいことを表現したくても三割ぐらいしか伝えられない。日本のものに触れることでフラストレーションを解消していたのでしょうね。

日本の本もたくさん読んでいましたし、小説を書き始めたのもこの頃です。インプットだけじゃなく、自分で書くというアウトプットを始めたのは、自己表現したかったからなのだと思います。

――当時はどんなお話を書いていましたか?

インターネットを見ていたとき、数人がリレー形式で小説を書き込んでいる日本のサイトを見つけたんです。普段から出入りしているのは10人もいないぐらいの小さな規模で、そこに入って誰かが書いたお話の続きを書くということをしていました。昼夜が逆くらいの時差だったのですが、私が夜に書いて、翌日、学校に行っている間に、ほかの人が続きを書いてくれていて。なので、毎日学校から帰るのが楽しみでしたね。

それを中1のときに1年ぐらい続けていたのですが、メンバーのひとりが「それぞれで短編を書いて見せ合おうよ」と提案してくれたんです。それで初めて短編作品を書きました。そのときはミステリではなく、家族との関係がもやもやしている中学生の女の子のお話だったと思います。

――アメリカに住んでいなければ、小説を書いていない可能性も?

それはありますね。渡米前はスポーツ少女でしたし、中学校に入ったら運動部に入ろうと思っていたので、書く時間なんてなかったと思うんです。

――ミステリ作品を書き始めたきっかけは?

一時帰国したとき、日本の空港の書店で湊かなえさんの『告白』(双葉社)が積まれていて、それを買ってアメリカに戻る飛行機で読んだんです。あまりにも夢中になって、2時間くらいで読み終わってしまって、アメリカに着くまでの10時間くらい、ずっとその余韻に浸り続けました。アメリカでは日本の本が手に入りづらかったので、日本語の補習校の図書室にある良書を読んで育ってきたけれど、初めてエンターテインメントに触れたような気がしたんです。とにかく鮮烈な体験で、読んですぐに「次に書く小説はミステリにしよう!」と。

INFORMATION

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『ミステリ作家、母になる』
辻堂ゆめ/著 小学館 1815円
家事も育児もGoogleスプレッドシートで管理し、夫婦で力を合わせて完璧にできるはずが……!? 上の世代の常識を受け入れながら、新たなやり方を切り拓く新時代のワーキングマザーエッセイ。

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『ふつうの家族』
辻堂ゆめ/著 講談社 2585円
平穏な桜石家に嵐の夜にやって来た一人の若い男。一体、誰が何のために? 突然の来訪者をきっかけに、家族の中で募る疑念。「ふつうの家族」に隠されていた秘密があぶり出されていく。

辻堂ゆめ
つじどうゆめ/1992年神奈川県生まれ。東京大学在学中の2015年、第13回『このミステリーがすごい!』大賞で優秀賞を受賞し、『いなくなった私へ』(宝島社)でデビュー。2021年『十の輪をくぐる』(小学館)で第42回吉川英治文学新人賞候補、2022年『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞を受賞。最新作は『ふつうの家族』(講談社)。

インタビュー/菅原淳子 撮影/大森忠明(kodomoe2026年6月号掲載)

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