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葬儀で20人分の食事を作り続けたのは、私なのに。伯母の『無慈悲な一言』にモヤッとした瞬間

  • 2026.5.12

筆者の話です。
大叔父の葬儀に、伯母と二人で手伝いに入ったことがありました。
数年後、そのときの話を聞いた私は、思わず足が止まります。

画像: 葬儀で20人分の食事を作り続けたのは、私なのに。伯母の『無慈悲な一言』にモヤッとした瞬間

よみがえる記憶

「私がいなかったら回らんかったんよ」
数年後、別の法事で帰省したとき、伯母が親族に囲まれながらそう話しているのが聞こえてきました。
その言葉に、数年前の葬儀の光景が一気によみがえります。
遠方まで片道5時間かけて向かい、母の代わりに参列したあの日のことでした。

追われた日々

滞在は1週間ほど。
通夜までの2日間と通夜・告別式の2日間、合計4日間はほとんど休む間もなく動いていました。

集まる親族は20名以上。
到着するたびにお茶を出し、湯のみを下げ、台所と座敷を行き来します。
慣れない道を運転して新幹線駅まで迎えに行き、戻るとそのまま台所に立つ。
当時まだ20代だった私は、呼び止められては用事を頼まれ、買い出しや送迎まで任されていました。

近くに住む親せきも食事時になると集まり、毎食20人分以上の食事を用意。
朝から晩まで火を使い続け、気づけば日が落ちています。
立ったまま残り物を口にする頃には足の感覚も鈍くなっていました。

次に何をするかだけを考えて動き続けていた数日間。
伯母が段取りを決め、私は言われたことをこなす。そうやって二人で回していたはずの時間でした。

え? の瞬間

「大叔父の親戚は座ってるばっかりで、ご飯なんて作らんけんね。あのときは私ひとりで台所回しよって、朝から晩まで動きっぱなしやったんよ。私の他には誰も行ってなかったけん、ほんと大変やったわい」
伯母のその言葉に、思わず足が止まりました。
確かに一緒に動いていたはずなのに、私いなかったことになってる? と引っかかりが残ります。

「きこ(仮名)も手伝いに行ったよね?」
と親戚のひとりが声をかけ、場の空気が一瞬止まりました。
伯母は「あっ」とした表情を見せ「きこもおってくれたから助かったよ」と慌てて付け足します。
私は笑ってうなずきましたが、その言葉が後から乗せられたように聞こえてしまいました。

残るもの

悪気があったのかはわかりません。
ただ、人の記憶は思っている以上に曖昧で、都合よく塗り替えられていくものだと感じました。

あのときの自分の行動は、思い出としてはっきり残っています。
誰にどう語られるかではなく、自分がどう向き合って動いたのかを大切にしていきたい。
そう思えた出来事でした。

【体験者:50代・筆者、回答時期:2026年4月】

※本記事は、執筆ライターが取材した実話です。ライターがヒアリングした内容となっており、取材対象者の個人が特定されないよう固有名詞などに変更を加えながら構成しています。

FTNコラムニスト:Kiko.G
嫁姑問題をメインテーマにライター活動をスタート。社宅生活をしていた経験から、ママ友ネットワークが広がり、取材対象に。自らが離婚や病気を経験したことで、様々な悩みを持つ読者を元気づけたいと思い、自身の人脈や読者の声を取材し、記事として執筆。noteでは、糖尿病の体験記についても発信中。

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