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本はけして図書館で借りるな…林望「いくら読んでも知識がちっとも身につかない人の残念な習慣」

  • 2026.4.25

読書の味わいとは何か。『書物を楽しむ あえて今、紙の本を読む理由』(朝日新書)を出した作家の林望さんは「自宅で、あるいは自室で、一人でする読書がいい」という――。

本は自腹で買って読め

本書『書物を楽しむ あえて今、紙の本を読む理由』の第1章でもちょっと書いたとおり、私はかねてより、「本は図書館で借りて読むな」「自分の本を読め」と言っています。

図書館の本を片っ端から借りてきては「自分は、月に何十冊読んだ」とか言って自慢する人がいますが、「あなたのその読書は、すべて借りものの知識ですよ」というふうに私は思うのです。

なぜなら、よほど深い感銘を受けた本の場合を除いて、人は読んだ本の内容を、時間とともに忘れていきます。しまいに、「さて、そんな本読んだことあったかなあ……」という不確実な状態になるのが普通です。

しかし、自分で買った本で読書した場合、その本は、毎日のように目に触れることになる。すると、たとえば「ああ、この本には、しかじかのことが書いてあったなぁ」と、過去の読書経験がリマインドされてくる。そのことが、大事なのです。

図書館で借りた本を読んだ場合には、その本を返すと、その瞬間に「読んだ内容」をも返却してしまう……というのが実相です。なにしろ当該の本が身近に置いてあるわけではないので、一日一日とその本の読書記憶は薄くなり、失われていって、しまいにそんな本を読んだことすら忘れてしまうかもしれません。

図書館の本棚の前で本を読む人
※写真はイメージです
本の貸し借りはしないほうがいい

いやいや、そんなことはない、読んで感銘を受けた本だったら、図書館の本でもちゃんと記憶してるぞ、という人があるかもしれませんが、もしほんとうにあなたの人生に影響を与えるほどの感銘を齎もたらした本なのだとしたら、どうしてその本を座右に具そなえて、随時また読み直しては感銘を新たにしようと思わないのでしょうか。

私だったら、そういう素晴らしい本は、衣食を節してでも自分のお金を出して買って座右に具え、毎日でも眺めていたいと思います。

それが本を愛する者の、真実の思いです。

読んで、「読んだぞ」と思って、そのことで満足し、すぐに本を図書館に返してしまって、自腹を切って買おうとも思わない程度のことであれば、ま、そんな読書はいずれ雲霞くもかすみと消えてゆきます。そういうものなんです。

そうした意味では、本の貸し借りもしないほうがいい。金の貸し借りと一緒で、本も、人に貸したらだいたいは返ってこないもの。

金を貸すときには「この人にやってしまうんだ」という覚悟で貸すのがよい、とよく言われますが、本の貸借もそれと同じです。貸した本は返ってこないと覚悟して貸す、そんなものです。

いや、ほんとに大切な本だったら、ぜったいに誰に乞われようとも、貸す気にはなれません。それがほんとうの思いです。なぜなら、そんな大切な人生の宝のような書物を、人にとられては人生の損失だからです。

貸し借りで壊れる人間関係

私は原則的には、誰に対しても、決して金は貸しません。なぜならば、貸すことによって、人間関係が壊れるからです。

友情の証として、私は、いくら頼まれても、「貸すことはできないから、自分でなんとかしてください」と言います。そうして、もしどうしてもそれを貸すことが必要だと思ったら、私は返してもらうことは最初から思いません。

たとえば、子どもがお金を落として電車に乗れずに泣いている、そんなときであれば千円札の1枚も渡して「これで切符を買って帰りなさい」ということはあるかもしれない。けれど、それは「上げてしまう」のであって、貸すわけではないのです。

本を貸してほしいと頼まれたときも同じこと、その本が、もうとうの昔に絶版になっていて、しかも稀覯本きこうぼんだ、というような場合には、そんな大切な本を貸すのは断固として嫌だし、もし古本などでいくらでも買えるような本であれば、「自分でお買いなさい」と言います。

仮にそれが、軽便安価な文庫本などであれば、今は幸いなことにネットで探せばいくらでも見つけられる。その中で各自が探して買えばいいだけのことなのに、人に借りようというのは、そもそも了見りょうけんが間違っています。

図書館で読書はできない

図書館で勉強をしたり本を読むという話をよく聞きますが、正直な話、私自身にはそうした経験がありません。

『書物を楽しむ あえて今、紙の本を読む理由』
『書物を楽しむ あえて今、紙の本を読む理由』

単なる読書ではなくて、なにか文献調査のような目的で、何某なにがしの図書館に行って、そこにしか所蔵されていない書物を閲覧しつつ、そのデータを記録してくる、というようなことはいくらでもありますが、それは「読む」ということではなく、むしろ資料を「見る・検分する」ということにほかなりません。

しかし、暇があると図書館に行って閲覧室で読書する、などということは子供のころからありませんでした。図書館の閲覧室のようなところでは、近くに人がいるのも集中の邪魔だし、なにかと気が散ってしまって、読んでもいっこうに頭に入らない、というのが私の読書経験でした。

だから、学校の図書室でも公共の図書館でも、私は読書などしたことがありませんでした。

勉強も読書も、自宅で、あるいは自室で、一人でする。それが私の行き方で、誰かと一緒に勉強するとか、読書会に参加して本を読むとか、他人がごちゃごちゃいるような場所で読書するとか、そういうのは、ほんとうに苦手で、したことがありません。

読書とは一人で味わう行為

本当に身に沁みる読書というのは、誰にも邪魔されず一人でじっと読んで味わうことが本統ほんとうです。

たとえば、お茶を飲みながら読んだり、寝転んで読んだり……どんな格好で読んだって、それはいいのです。しかし、狭苦しいお仕着せの机と椅子に座らされて、隣に他人がいる所で読むというようなことは、結局、その他人の存在、またそういう場の空気が、真摯な読書の邪魔になって集中できないという心の癖が私にはありました。

リビングで本を読む高齢男性
※写真はイメージです

それでも、たとえば神保町の古書店で本を買って、近所の喫茶店でちょっと読んでみるというようなことは時々やります。あまりに面白そうで、家まで帰るのが待ちきれないから、ちょっとそこらでひと休みしつつ読んでみて、「なるほどこれは面白い」と思ったら、直ちに本を閉じて家へ帰ります。

まことに、多くの方のご参考にはならないような意見ばかりで恐縮ですが、喫茶店で音楽が鳴っていたりするのも嫌です。私は読書しているときは一切の音が邪魔なので、音楽を聴きながらの読書などはついぞ考えたことがありません。喫茶店のBGM、近くの人の話し声、そういうささいな音でも耳に入ってくると、もうそこですっかり読書の楽しみが帳消しにされてしまいます。

私が読書をするときはだいたい自宅の書斎にこもっているので、外からの音は入ってきません。まだ大学生の頃などは、もちろん書斎などはありませんでしたが、幸いに自分専用の個室はあったので、その机に向って、黙って本を読む、いつもそういうスタイルでやってきました。

林 望(はやし・のぞむ)
作家・書誌学者
1949年、東京生まれ。作家。国文学者。慶應義塾大学大学院博士課程修了。ケンブリッジ大学客員教授、東京藝術大学助教授等を歴任。専門は日本書誌学、国文学。著書に『イギリスはおいしい』『節約の王道』『「時間」の作法』など多数。『謹訳 源氏物語』は源氏物語の完全現代語訳、全10巻既刊9巻。

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