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やはり「直系長子への継承」の一択しかない…島田裕巳が「旧宮家の養子案は歴史的な汚点になる」というワケ

  • 2026.4.24

高市政権は、今国会中の皇室典範改正に意欲を見せている。主要2案の論点は「旧宮家の養子案」と「女性宮家創設の案」。皇室史に詳しい島田裕巳さんは「そのうち養子案については、日本国憲法の第14条に抵触する危険性がある。不思議なことに、そのことはほとんど議論されていない」という――。

春の園遊会に臨まれる愛子さま=2026年4月17日、東京・元赤坂の赤坂御苑(代表撮影)
春の園遊会に臨まれる愛子さま=2026年4月17日、東京・元赤坂の赤坂御苑(代表撮影)
戦後社会をゆるがす重大な問題への導火線

国会では4月15日から、皇族の数を確保するための議論が始まっている。

ところが、そこに参加する中道改革連合は党内での見解をまとめきれていない。そこで、来月に開かれる協議までに、それを行うことを約束している。

しかし、それは果たされるのだろうか。報道でもその点についての議論が欠けているのだが、そこには戦後の日本社会の根底を揺るがしかねない重大な問題が関わってくるのである。今回はそのことについて触れたいと思うのだが、そもそも天皇や皇族のあり方というものは、問題をはらんでいる。

日本国憲法の第14条では、「すべて国民は、法の下に平等」であり、人種や信条、性別、社会的身分などによって差別されないと定められている。

では、天皇や皇族はどうなるのだろうか。

天皇については、憲法の第1条で、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」とされ、特別の地位が与えられている。これに対して、皇族になると、憲法ではその役割などについては言及されていない。

憲法のことになると、自衛隊の存在が明記されていないことが問題にされてきた。ところが、皇族についても、皇位継承以外は具体的に述べられていない。その点で、天皇以外の皇族の立場というものはひどく曖昧なのである。ただ、自衛隊もそうだが、皇族の存在はすっかり日本社会に定着している。

憲法第14条に抵触する「旧宮家の養子案」

現在の国会では、「旧宮家の養子案」と「女性宮家創設の案」とが議論の対象になっている。

中道改革連合において意見の集約ができないのも、党内において、女性宮家が創設されたとき、その配偶者や子どもを皇族とするのかどうかで意見が分かれているからである。

そこも一つの問題ではある。配偶者や子どもを皇族としなければ、一つの家に皇族と一般国民が同居することになってしまうからである。

それは家のあり方として奇妙だが、養子案については、今挙げた憲法の第14条に抵触する危険性がある。不思議なことに、そのことはほとんど議論されていないのである。

現在の憲法が、戦前の大日本帝国憲法を改正する形で公布されたのが1946年11月3日のことで、施行は翌年の5月3日だった。公布から今年の11月で80年になる。したがって、私たち国民はそうした憲法のあり方にすっかりなじんでいて、そこに特別な意味を感じなくなっている。

だが、ここで重要なのは、戦前の日本社会においては明確な身分上の差別が存在したことである。だからこそ、身分上の差別があってはならないと第14条で規定されている。もしそれが覆くつがえされたとしたら、それは大変なことになる。

「憲法自身が認めた例外」という解釈

現在でも、天皇や皇族と一般国民との間には身分上の違いがある。一般国民には戸籍があるが、天皇や皇族にはそれがない。

天皇や皇族には「皇籍」があり、皇族の家に生まれたり、そこに嫁いだりした場合には皇籍を与えられる。天皇や皇族に「姓」が存在しないのもそれが関係する。戸籍では必ず姓が必要になる。

その点では、現在においても身分上の差別があると捉えることもできるが、憲法学の通説では、天皇や皇族のあり方については、「憲法自身が認めた例外」と解釈されている。

戦前の社会においては、最も上には天皇と皇族が位置した。その下に、「皇室の藩屏はんぺい」とも呼ばれた「華族」がいた。藩屏とはもともと周囲を取り囲む垣根のことで、華族には「皇室を守る役割」を期待された。

明治天皇と昭憲皇后、第三皇子・嘉仁親王(のちの大正天皇)/「扶桑高貴鑑」楊洲周延・画(1887年)
明治天皇と昭憲皇后、第三皇子・嘉仁親王(のちの大正天皇)/「扶桑高貴鑑」楊洲周延・画(1887年)(写真=Metropolitan Museum of Art/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

具体的には、天皇や皇族が結婚できるのは、皇族と華族だけだった。華族は、皇族に嫁ぐ、あるいは側室を生む供給源だったのである。

華族になれたのは、明治時代以前の公家や大名で、ほかに明治維新で功績を上げた人間などが含まれた。華族は、貴族院議員になったり、華族学校(のちの学習院)に無試験で入学できるといった「特権」を与えられた。

現在放映されているNHKの朝ドラ「風、薫る」に登場する大山捨松すてまつは華族の一員で、公爵夫人である。ただ、華族は国から経済的な援助を受けられたわけではないので、困窮し、華族としての体面を保つことができなくなり、爵位を返上するようなこともあった。

戦前社会に厳然とあった「身分差別」

この華族の下に位置したのが「士族」である。士族とは、江戸時代には武士だった人間たちである。

明治時代になってすぐの段階では、家禄かろくという俸給を与えられたが、それはすぐに廃止され、武士の象徴である帯刀もできなくなった。その結果、多くの士族が没落した。「風、薫る」の主人公の一人、一ノ瀬りんは家老の娘なので士族だった。

では、一般の国民はどう呼ばれたかといえば、士族の下の「平民」だった。

皇族、華族、士族、そして平民という身分秩序が戦前には厳然として存在した。結婚で皇族を離れたり、華族が爵位を返上する以外、その地位が変更されることはなかった。

そこには現在とはまったく違う社会が展開していたのだが、あるとき私は、まざまざとその違いを体験した。

私の祖父は、明治末期に東京帝国大学で学んでいる。英語を専攻したようで、卒業後は旧制中学の先生になったものの、その後、学校を辞めてサラリーマンになった。祖父は私が小学校に上がる頃に亡くなるが、晩年は認知症だった。それもあって、とてもエリートとしての人生を送ったようには見えなかった。

そこで私はあるとき、祖父が本当に帝大の学生だったのかを調べてみた。そこで意外な発見をしたのである。

名簿に記される「平」が意味すること

国立国会図書館の蔵書目録で検索してみると、祖父が在籍していた時代の帝大生の名簿が見つかった。そこには、「島田確治 栃木 平」と記されていた。確治が祖父である。

栃木というのは祖父の出身地で、本籍は佐野市にあった。その点で栃木と記されているのは当然なのだが、最初、私には「平」の意味がわからなかった。

ほかの学生を見ていくと、多くは祖父と同じ平と記されていた。ところが、なかに「士」と書かれている学生もいた。その一人が白樺派の文学者である長與善郎ながよ・よしろうであった、長与の家は代々備前大村藩につかえた漢方医であり、士族だった。それで、「平」が平民を意味することがわかったのだ。

士族であるのか、それとも平民であるのかで、学問を進める上で違いはない。たしかに、士族だからといって帝大で優遇されるわけではない。

けれども、私の祖父の世代は、常にそうした身分上の差別を意識していたことになる。名簿にまで記されているわけだから、意識せざるを得なかった。

身分上の差別がある社会へ逆行する可能性

身分上の差別ということでは、江戸時代の「士農工商」が知られている。武士の下に農民が位置し、職人や商人はさらにその下だというわけである。

「花盛士農工商」二代歌川国貞・画(1849年)
「花盛士農工商」二代歌川国貞・画(1849年)(写真=国立国会図書館デジタルコレクション ID 1307599/PD-Art (PD-Japan)/Wikimedia Commons)

昔は、学校の歴史の時間に士農工商について学んだものだが、今は、そうした身分秩序があったこと自体が否定されている。幕府や各藩に雇われる武士は身分が異なるが、それ以外、仕事によって身分が変わることはなかったのだ。

それでも、士農工商ということが言われ、それが受け入れられたのは、明治以降に今述べた4つの異なる身分が存在したからである。それが過去に投影されたのである。

現代の私たちは、そんな身分上の差別がある社会に戻りたいとは考えていない。それは、明らかに憲法に違反することであり、許されないと考えられている。

ところが、旧宮家の養子案は、戦前の身分秩序に戻りかねない危険な試みなのである。

旧宮家の人間を養子にするという方向で皇室典範が改正されるとして、その際には、第9条の「天皇及び皇族は、養子をすることができない」の部分が変更される。

どういった形で改正されるのか、具体的な案は示されていない。そこの部分は変えず、その後に、「ただし、1947年に皇籍を離脱した旧11宮家の男系子孫である男子は除く」とでも加えるのだろうか。それが大きな問題を生むことになる。

憲法と合致するかどうかが問われる法改正

もしそうした形で皇室典範を改正するとしたら、旧宮家の男子に「特権」を与えることになる。というのも、天皇や皇族の養子になれば、皇室の一員となり、国費を支給されることになるからである。

そうした改正が実際になされ、養子になる人間が現れたとする。その人間は、女性が皇室に嫁ぐ場合と同じように、戸籍を失い、皇籍に入ることになる。

皇室に女性が嫁ぐというときには、資格や身分はいっさい求められない。実際、戦後には、一般国民のなかから選ばれてきた。美智子上皇后、雅子皇后、紀子妃がそれにあたる。三笠宮寛仁ともひと親王妃家の信子妃や高円家の久子妃もそうである。

「朝見の儀」の後、天皇陛下、皇后陛下とともに記念撮影を行う皇太子殿下と皇太子妃雅子さま(当時/1993年6月9日撮影
「朝見の儀」の後、天皇陛下、皇后陛下とともに記念撮影を行う皇太子殿下と皇太子妃雅子さま(当時/1993年6月9日撮影)(写真=外務省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

旧宮家の人々は、皇室を離れてからは一般の国民として生活している。国からいかなる特権も与えられてはいない。皇室と交わりを続けているにしても、それはあくまで親戚としての私的な関係である。

皇室典範も法律の一つであり、それを改正する場合、憲法と合致しているかどうかが問われる。

果たして、憲法第14条に違反しない形で、改正案を作ることができるものなのだろうか。

もしも、違反する可能性のあるような条文となり、それが実際に実現したとしたら、違憲訴訟を起こされることも考えられる。国費が使われるので、一般国民として損害を被ったと主張できるからである。

今、議論するべき皇室典範改正案とは

こうした戦前の身分秩序を引きずったような形での皇室典範の改正は、“歴史上の汚点”となって残り、それは、国民の間の平等を原則としてきた日本社会を根本から歪めることになる。

あるいは、養子案を強く推している保守派の念頭には、むしろ戦前の身分社会に戻したいという隠された意図があるのかもしれない。

そうしたことを回避するために、皇室典範の第9条において、旧宮家の男子に言及することを避け、「天皇や皇族は養子をとることができる。ただ、その場合には皇室会議の議決を経なければならない」とされる可能性もある。

これなら、法律の上で、旧宮家の男子に特権を与えることにはならない。皇室会議には、皇族のほか、三権の長が加わる。そこで議論を行う際に、養子となる人間を旧宮家の男子に絞るのだ。しかしそうしたやり方も、やはり問題になるであろう。

今、議論すべきは別にある。これほどまで問題のある改正案ではなく、世界標準になりつつある「直系長子への皇位継承」を考えるべきときではないだろうか。

島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。

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