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ゴルフを愛する人々の和「飯能ゴルフクラブの歌」を唄うプロジェクト

  • 2026.4.8

校歌や社歌というものはあるけれど、「ゴルフ場歌」というのはめずらしい。そんな情報を編集部に教えてくれた舩越園子さんが記す、記念すべきプロジェクト

飯能ゴルフクラブの歌

誰がつけたか いみじくも
恋ヶ窪とは ゆかいなり
森と泉に いだかれた
十八人の 恋人が
姿やさしく われを待つ
飯能 飯能 ゴルフクラブ
白いボールに 惜春の
情を打込む ひともよし
花を小鳥を 友と呼び
グラスをあげて 暮れなずむ
四季の風情に 酔うもよし
飯能 飯能 ゴルフクラブ
若しもゴルフが 人生に
譬えられると するならば
ここに集まる 人の和は
愁いを砕く 杖となり
生きる喜び 倍にする
飯能 飯能 ゴルフクラブ

パーティー会場に響き渡った歌声

2025年10月。創立65周年を迎えた飯能ゴルフクラブ(埼玉県飯能市)で、3日間にわたる開場記念杯が賑やかに催された。その最終日。表彰式では、同クラブのメンバー有志20数名がパーティー会場の中央に集まって「飯能ゴルフクラブの歌」を合唱する場面が見られた。

ゴルフクラブが独自の歌を持っていることは、きわめて珍しい。しかし、希少なオリジナルソングを同クラブが常日頃から口ずさんでいたかと言えば、そうではなく、この歌の合唱シーンが見られたのは、2010年の創立50周年以来、実に15年ぶりのことだった。

その再現シーンを感慨深い想いで見つめていたのは、「飯能ゴルフクラブの歌」を唄うプロジェクトを推進してきた同クラブとワッグル編集部とのコラボチームの面々だった。

飯能ゴルフクラブでは、椎名弘美理事長や、増田和則常務理事の指揮の下、中川徹支配人、大谷明弘副支配人、総務課の山内崇暉さんといった協力メンバーが何度もミーティングを重ねて、この日を待った。

ワッグル編集部からは武井秀介編集長以下、堀菜々子WEBプロデューサーや動画カメラマン、動画の案内役を担った竹村真琴プロが飯能ゴルフクラブを訪れ、各々がプロの腕を振るった。

夕暮れどき。パーティー会場に響き渡った歌声を聞き、みんなの笑顔を目にしたとき、このプロジェクトが「ようやく実現された」ことを安堵し、とてもうれしく思った。

ゴルフクラブに「歌」がある⁉

1993年から25年間、米国に滞在し、ゴルフ取材と執筆を重ねてきた私は、2019年から拠点を日本に戻し、四半世紀ぶりに日本のゴルフを楽しみ始めた。

帰国直後は、日米ゴルフの違いに戸惑うことも多かったが、ホテルにチェックインするかのようにクラブハウスで受付を行ない、ハーフターンで昼食を取り、ラウンド後にお風呂に入る「日本のゴルフ」は、大学時代に慣れ親しんだ慣習に久しぶりに触れるようで懐かしい気持ちになった。

ある日。高校の後輩のお誘いで飯能ゴルフクラブを訪れた私は、クラブハウスの閑静な趣きやメンテナンスが行き届いたコースの美しさ、スタッフの細やかな気遣いや笑顔に魅了され、一目惚れで入会を決意。それから半年後、メンバーの端くれに加えていただいた。

私なりにクラブライフを楽しみ始めていた2024年の春。昼食の際、何気なく開いた箸袋の裏面に「飯能ゴルフクラブの歌」の歌詞が1番から3番まで記されているのを発見。歌の存在を初めて知って、驚かされた。

作詞は星野哲郎、作曲はサトウ進一、唄は若山彰と書かれた箸袋を持ち帰って母に見せると、「まあ、すごい。全員有名よ」と言われ、ますますびっくりさせられた。歌詞がなんとも素敵だと思った。

18ホールを「18人の恋人」に見立て、「姿やさしく われを待つ」という1番には、こそばゆさを覚えたが、最も惹かれたのは3番だった。

「もしもゴルフが人生に たとえられるとするならば ここに集まる人の和は 愁いを砕く杖となり 生きる喜び 倍にする」そして、好奇心はどんどん膨らんでいった。

独自の歌を持つゴルフクラブは他にもあるのか?この歌はどんな曲なのか?メンバーは、みなこの歌を歌えるのか?次々に浮かぶ疑問を解明すべく、私は動き出した。

「歌」はこうして生まれた

飯能ゴルフクラブの総務課の協力を得て、関東・関西のいくつかの名門ゴルフクラブに「独自の歌、ありますか?」と尋ねたところ、「ある」という返答は皆無だった。この歌の誕生の経緯も、ほぼ知ることができた。

1960年(昭和35年)開場の飯能ゴルフクラブに独自の歌が誕生したのは、創立20周年を迎えた1980年(昭和55年)9月のことだった。同クラブのメンバーだった星野哲郎氏は、当時すでに売れっ子の作詞家として多忙だったが、創立20周年の節目に歌を作ろうと思い立ち、開場記念杯の初日に間に合わせるために徹夜で作詞。

やはりメンバーだった作曲家のサトウ進一氏が即興で3種類の曲を付け、星野氏が「これが一番良い」と選んだ。初日の表彰パーティーでは、星野氏を交えてメンバーたちが合唱。2日目には、やはりメンバーだった歌手の若山彰氏が独唱して会場を大いに沸かせたという。

せっかく誕生したこの歌は、その後は忘れられた存在になっていったそうだが、2009年に同クラブで開催された日本女子シニアゴルフ選手権に訪れたゴルフ評論家の福島靖氏が箸袋に記された歌を発見し、同年7月に日刊工業新聞で紹介した。

それがきっかけとなり、翌2010年(平成22年)の創立50 周年の開場記念杯では、誕生から30年が経過して忘れられかけていたクラブ歌を蘇らせようという動きが起こり、メンバーたちが合唱。その翌月、星野氏は、この世を去った。

希少で貴重なクラブの財産

ゴルフを愛する人々の和「飯能ゴルフクラブの歌」を唄うプロジェクト
「飯能ゴルフクラブの歌」プロジェクトについては、YouTube61 「ワッグルチャンネル」もぜひご覧ください。

「歴史は繰り返す」と言われるように、この歌も披露されては忘れられる運命を繰り返し、昨今は「箸袋に書いてあるね」と言われるだけの存在と化していた。しかし、クラブ歌を誇るゴルフクラブは希少であり、この歌は飯能ゴルフクラブの素晴らしき財産である。

作詞・作曲・歌のすべてを当時のメンバーが手掛けたという、さらなる独自性もある。音源を再生してもらったら、昭和ムードと意外にポップなリズムの絶妙なマッチングに心が弾んだ。唯一無二のこの歌を、同クラブの現在のメンバーはもちろんのこと、日本のゴルフファンにも広く知っていただきたい。

そう思ってワッグルの武井編集長に歌の存在を告げたところ、「誌面で紹介しましょう」「せっかくならユーチューブ・チャンネルでも立体的にアピールしましょう」という話へ発展した。そして、同クラブと同編集部とのコラボ・プロジェクトが進行され、今年の開場記念杯で「飯能ゴルフクラブの歌を唄う」企画が、ついに実施された。

20名超の有志がパーティー会場の中央に集まり、メンバーの一人で高校の音楽教師の古野千恵子さんが指揮者を務め、キャディで俳優の服部富士子さんの力強い歌声に導かれながら、みんなで元気に合唱した。

「歌を知らないから」と躊躇して、座ったままだったメンバーの間から手拍子が起こったことも、とてもうれしく感じられ、1番から3番まで歌い終わったとき、会場は不思議な一体感に包まれていた。

飯能ゴルフクラブでは、この歌をクラブ競技などの表彰式開始の合図として日々活用していくことも決まり、すでに実施されている。もう一度、強調させていただくが、独自のクラブ歌はゴルフクラブの貴重で希少な財産である。

その財産を愛でながらメンバーが憩うことこそは、素晴らしきクラブライフと言えるのではないだろうか。そして、「飯能ゴルフクラブの歌」をみんなで唄うプロジェクトは、ゴルフを愛し、人と人との和を大切に思う人々によって、1年半以上の時間をかけて進行され、成功へと導かれ、この歌詞にある通り、「生きる喜び 倍にしてくれた」ように思う。

いかがでしたか? ぜひ、ワッグルチャンネルで「飯能ゴルフクラブの歌」についてご視聴ください!

文=舩越園子(ゴルフジャーナリスト)
写真=益子麻千子

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