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「Women by Women と連帯の秘める力」──Photo Vogue Festival 2026 に参加した写真家による現地レポート

  • 2026.3.18

ファッション写真の領域を超え、社会や文化と写真の関係を問い続けてきた Photo Vogue Festival。2026年のテーマは “Women by Women / South East Asia”。世界中から集まったアーティストと写真愛好家の来場者によって、ミラノの会場は多様な視点が交差する場となった。

私は現在日本を拠点に活動する写真家・大田詩織として、“Very Nice Space”という作品がショートリストに選出された。選出後まもなくポートフォリオレビューが開催され、国際的に活躍する編集者やイメージメイカーと対話する機会が設けられた。提出作品へのフィードバックに加え、今後の方向性や新たなプロジェクトについて議論できたことは非常に貴重であり、本フェスティバルが単なる展示にとどまらず、アーティストの実践に深く関わる場であることを実感した。

本展は約9,500人の応募者の中から選ばれた150名の作品が展示されるという規模で開催された。展示のキュレーションで特に印象的だったのは、その空間構成である。会場は、実際に学生が通うブレラ美術アカデミー内にあるブライデンセ図書館。写真展としては非常にユニークなコンセプトが採用されていた。その内45名のファイナリストの作品は、大きく開かれた本の見開きの上に展開される形式で展示され、来場者はまるで本を読み進めるように作品を辿っていくことになる。

展示の中心には、すべての参加アーティストの作品が流れるスライドショーが設置され、2階部分には大型プリントが並ぶ。歴史を感じさせる煌びやかな建築空間の中で、現代を生きる女性アーティストたちの視点が力強く立ち並んでいた。

入り口に配置されたオランダ出身の写真家 Jip Schalkx の作品は、親と子どもの関係を繊細に写し出すシリーズで、会場の導入として強い印象を残していた。親密さと距離感が同時に存在するその写真は、本展のテーマである「女性が女性を撮る」という視点を象徴しているようでもあった。

次の部屋では “South East Asia” のセクションが展開され、日本人写真家であるUsui Kazuyoshi、Fumi Nagasaka、PICZO、Saito Hinakoらの作品が並ぶ。地域的な文脈を横断しながら、多様な語りが交差していた点も印象的である。

Fumi Nagasakaの作品“Laughing Through It”では、祖母を題材にしたドキュメンタリー映像と写真が展示されており、日常の断片を美しく捉えながらも、日本特有の文化や価値観、時間の流れを静かに浮かび上がらせていた。その親密なまなざしは、どこか個人的な記憶と結びつき、私自身の故郷を想起させるような感覚を呼び起こした。

Photo Vogue Festivalで毎年特に注目されるのが、来場者もアーティストも自由に参加できるトークセッションである。今回は“Women by Women”というテーマのもと、多くの女性写真家やアーティストが登壇し、それぞれの実践について語った。会場にはインディペンデントマガジンや写真集が数多く並び、誰もが自由に手に取れるよう配置されていた。展示を見るだけでなく、出版文化やアーティストの思想に触れることができる空間でもあった。

トークの中で特に印象的だったのは、女性写真家として既存のパワーダイナミクスを崩すこと、そしてコラボレーションの精神を大切にするという姿勢である。被写体の許可なく写真を使用することはナンセンスであり、写真は撮る側だけのものではないという意識が共有されていた。また、フィメールゲイズの議論についても、「誰の視点を通して世界を見るのか」という問いが繰り返し語られていた。多くのアーティストが、被写体との深い信頼関係や対話を制作の中心に置いていることが印象的だった。

そのほかにも、母と娘、ケア、親密性、少女性、女性の空間、そしてシスターフッドといった広範囲なトピックが行き交い、それぞれのテーマが文化的背景や個人の経験と結びつきながら語られ、女性主体のストーリーが多層的に展開されていた。

こうした議論は、私自身にとっても非常に共感するものだった。2020年以降、女性クリエイターのコミュニティを形成し、BURNING MAGAZINEというプロジェクトを通じて写真集やZINEを制作する中で、フォトグラファーという個人が女性であることはどのように作品に作用するのか、長く問い続けてきたからである。

フィメールゲイズには、明確な定義や特定のスタイルがあるわけではない。しかし、この空間に集まった作品やアーティストたちの言葉を通して、そこには確かに共通する感覚が存在していると感じた。それは、調和や優しさ、そして強さといった、言葉にしきれない大きなエネルギーである。そしてそれは制限ではなく、むしろ新たな可能性として機能している。ジェンダーという境界線が緩やかになりつつある今の時代において、「女性」というカテゴリーは意味を規定するものではなく、個人を耕すための温かな土壌や光のようなものなのかもしれない。

トークショーのトピックもまた非常に広範だった。Motherhood、Mother Earth、Girlhoodといったテーマが、それぞれの文化的背景や個人的経験と結びつきながら語られていた。ファッションの文脈を持つPhoto Vogueという媒体の中で、このように女性主体のストーリーが多層的に展開されていることは非常に象徴的である。

日本においても、女性の身体や生き方をめぐる議論は現在も続いている。世界に目を向ければ、女性の尊厳や身体の自由、クィアの結婚の権利、そして生殖の自由がいまだ完全には認められていない国や地域も多い。多くの国で中絶の権利が制限され、LGBTQ+の結婚が法的に認められていない場所も存在する。女性の身体や生き方が、いまだ政治や社会制度の中でコントロールされ続けている現実がある。そのような時代において、この展覧会は女性たちが自らの物語を語り、互いに連帯するための重要な場となっていた。

Photos & Text: Shiori Ota Editor: Yaka Matsumoto

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