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いかに生きて、いかに死ぬのか。此岸と彼岸の境界に存在する“死役所”が問う生き方【書評】

  • 2026.3.18

【漫画】本編を読む

※この記事には刺激的な表現が含まれます。ご了承の上お読みください。

『死役所』(あずみきし/新潮社)は、「死んだあと」にようやく言葉になる後悔や本音を通して、私たちの〈生き方〉を静かに問い返してくる作品だ。舞台となるのは、此岸と彼岸の境界に存在する“死役所”。そこを訪れるのは、いじめ、事故、事件など、不本意な最期を迎えた人々である。彼らが口にするのは、「もっと家族と話し合っていればよかった」「本当の気持ちを伝えたかった」という、もう取り戻すことのできない想いばかりだ。

一話完結形式で綴られる各エピソードの構成が見事で、温かさ、哀しさ、怖さ、悔しさ、切なさ、やりきれなさ――去来する感情は実に多様である。描かれているのは決して特別な人生ではない。私たちが日常の中で抱え込み、目を背け、やり過ごしてきた感情や関係そのものだ。「いかに死んだか」と「いかに生きたか」が等価であることを、読むたびに突きつけられる。

特に印象に残ったのは、顔が半分の女性・涼子のエピソードである。犯罪歴があることで41社から不採用となり、社会から拒絶され続けてきた彼女は、公園で自分を拾い上げてくれた社長を“命をかけてでも守るべき存在”だと信じていた。働く場所を与えてくれたその人は、彼女にとって救世主だった。しかし、死後に明かされるのは、ワケアリの人間ばかりを集め、異常な低賃金と重労働を強いる歪んだ職場の実態だった。感謝と自己犠牲の裏に潜んでいたのは、極端に下がった自己肯定感と、「こんな私なんか」という自己価値の軽視である。

このエピソードは、「自分の命を擲って誰かを守ることは、本当に正しいのか」という重い問いを投げかけてくる。正義感や恩義の名のもとで、自分の命を粗末にしてしまうことは、美徳なのか。それとも、悲しい錯覚なのか。たとえ心から感謝している相手であっても、自分の命も等しく尊い。その当たり前の事実を、痛みを伴う形で突きつけてくる。

また、短編集のような構成の中で、職員・シ村をはじめとする死役所の面々の過去が少しずつ明かされていく点も見逃せない。読み進めるほどに、怒りや無念、そしてほんのわずかな救いが積み重なり、物語に奥行きを与えていく。

死んでから後悔しても、やり直すことはできない。だからこそ、今この瞬間をどう生きるのか。『死役所』は重く、時に残酷な問いを投げかけながらも、「今世を一生懸命生きてほしい」という確かなメッセージを、静かに、しかし力強く手渡してくれる作品である。

文=ネゴト / すずかん

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