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ロバと一緒に…旅は北海道から東北へ「どうしても行きたかった」場所で聞いたあの日のこと

  • 2026.1.30

「ロバと一緒に働き合いたい」

その一心からロバを相棒に、全国を旅する元新聞記者がいます。
前回の記事では2025年11月に、北海道から千葉県を目指して手作りの塩を売る行商の旅に出ましたが、どんな道中になったのか追いかけました。

北海道を旅立ち1か月後、宮城へ

真っ直ぐな道を、ゆっくりと…。
元新聞記者の高田晃太郎さん、年齢は36歳。そして旅の相棒はオスのロバ、名前はクサツネといいます。

Sitakke

この旅に備え半年ほど過ごしたのが、北海道の日本海沿岸にある八雲町熊石地区。

海洋深層水をクサツネと運び、釜で煮詰め、塩を手作り。
400袋ほどの『ロバ塩』を用意しました。

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リヤカーに積み込んだ「ロバ塩」は全部で40kg近く。
野営するための道具と合わせると、相当な重さになりますが、クサツネの足取りに不安はないようです。

クサツネと共に『ロバ塩』を行商する旅。2025年11月に熊石地区を旅立ち、北海道を南下して函館から津軽海峡を渡り、東北地方へ…。
青森から岩手、そして宮城へと、荷物をリヤカーに載せて一歩一歩、旅をしてきました。

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旅立ちから1か月が過ぎ、宮城県石巻市に入りました。
目指すゴールは千葉県。用意した『ロバ塩』の売れ行きも上々。

出会った人に「お塩を買うことはできますか」「元気で旅を続けてください」と声をかけられます。

黙々と働く姿に「心を打たれる」

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京都出身の高田さんは、北海道大学へ進学し、卒業後は、札幌に本社を置く新聞社に入社。記者として日々取材に追われていましたが、26歳のときに退職し、海外を放浪する旅に出ます。

そんな旅先で、黙々と働くロバの姿に心を打たれ、それからはロバを相棒に旅を重ねてきました。

今回の旅を始める前、ロバへの思いをこんな言葉にしていました。

「どれだけ重い荷物を背負っても涼しげな目で、つらそうな姿を見せない。いつも笑っているような、微笑んでいるような顔をしながら、黙々と働く姿に、自分は心を打たれます」## 誰かのためじゃない、大切な旅の時間

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何か大きな目的があるわけでも、誰かのために旅をしているわけでもありません。
ただ『ロバと一緒に働き合いたい』。
高田さんがクサツネと重ねてきた、とても大切な旅の時間です。

クサツネの健康状態やルートを確かめながら、進んでいきます。
しかし、起伏に富んだ三陸特有の地形。思うように距離は進みません。

「港まで下りて、また上って、港に下りて、また上って…だから思ったより時間がかかりました、三陸は」

4000人近くが犠牲になった石巻市へ

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2011年3月11日に発生した東日本大震災。
巨大な津波が押し寄せた宮城県石巻市では、震災関連死を含めて4000人近い死者・行方不明者を出しました。

高田さんとクサツネが辿り着いた地区は、復興計画に基づき、かつての街並みは海辺から離れ高台へと移っていました。

「長崎の島原から熊本に渡るフェリーに乗船しているとき、東日本大震災が起きて、船内のテレビで津波の映像を見て、唖然としていました」

ロバのクサツネと歩く海岸沿いの道。すぐ横には高い防潮堤が続き、海と陸を隔てています。

「やっと北上川が見えてきた。ここからもうほぼ平坦だな」

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クサツネは青草を食べてひと休み。
お腹いっぱいになり満足したのか、独特の鳴き声をあげます。

石巻市の釣石神社に立ち寄り、高田さんも休憩タイムです。

もしかして「クサちゃん」?旅先で出会う人情

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境内の石段横には、神社の名前の由来にもなったという『落ちそうで落ちない巨石』があります。
過去の地震にも耐え、東日本大震災でも動くことがなかった巨石には、多くの受験生が願いを託しています。

高田さんが、神社の敷地にある唐揚げ店『こっこ屋』を訪ねてお弁当を買おうとしたとき、店で働く武山幸江さんがこう声をかけてきました。

「もしかして『クサちゃん』連れてきた?」

「誰かから聞いたんですか?」

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クサツネを連れた旅人の姿は、やはり道中でも目立つようです。
この唐揚げ店は海外の旅行者も訪ねる有名店ですが、さすがにロバを連れた旅人は初めてとのことです。

「クサツネが来た、かわいい!もうずいぶん懐っこいのね」

クサツネが店を切り盛りする武山さんに頭をこすりつけ、軽くパクリと甘噛みです。

「イテッ!私を食ってもうまくねぇぞ、ばぁさんだから」

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そう笑うと武山さんがもう一言。

「ちょっとばあちゃんさ、夜食用におにぎり作ってくるから待ってて…」

武山さんが用意してくれたのは、ビッグサイズのおにぎり2個と大きな唐揚げです。

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「そんなにたくさん」

「いいの食べなさい、食べなさい」

その日は、12月の冷たい雨が降る中でテントを張って野宿。
冬の寒さが身に染みる夜でしたが、旅先で触れた温かな人情に高田さんの心は満たされていました。

どうしても訪ねたかった

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翌日、どうしても訪ねたい場所がありました。
太平洋沿いの海岸から4キロほど離れた距離にある震災遺構です。

その場所には、震災発生の当日まで、大勢の子供たちが通っていた石巻市立大川小学校がありました。

本震の51分後。北上川を遡った津波が、大川小学校の児童74人、教職員10人の命を奪いました。

「初めて?」

高田さんにそう話しかけたのは大川伝承の会で語り部を務めている只野英昭さん。

「ロバと来たと聞きましたけれど、どこまで行くんですか?」

「北海道から千葉です」

只野さんはここで、震災の記憶をつないでいます。

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「当時3年生の長女、5年生の長男の2人が通っていたんですけれど、結局あの日の津波に2人とものまれちゃって、長女が亡くなって…。長男は助かった児童4人のうちの1人です」

只野さんの長男・哲也さんを含め、本震のあと、その場にとどまり、助かった児童は4人だけ。
当時、小学3年生だった長女の未捺(みな)さんは、津波の犠牲となりました。

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校庭脇に続くゆるやかな斜面には『津波到達点』と記された白いプレートが建てられています。

「あの白いプレートの場所で、こういう風にしいたけの実習授業を毎年3月にしていた。それなのに、あの日、地震が起きてから51分もの時間があるのに、そこに登らせてもらえなかった。その部分が、遺族にとってみれば『なんで?』と思っています」

高田さんが「あの白いプレートのところより上に登っていたら…?」と口にします。

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「助かっていた…という話です。ちなみに校庭から走れば1分」

防災体制の不備などをめぐって、児童23人の遺族が石巻市と宮城県を提訴。
損害賠償金14億円あまりの支払いが確定しています。

高田さんが『津波到達点』のプレートが建てられた斜面を、一歩ずつ確かめるように登っていきます。

「裏山がどんな感じなのかなっていうのは、やっぱり一番経験したかったことなので。こんなに緩やかな傾斜で登れるんだから『揺れの後に津波が来る』っていう認識があれば、絶対に避難したわけですから…」

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「ただ震災前の自分だったらどうするのかなっていうのは考えますね」

只野さんは、高田さんをこう送り出してくれました。

「寒いので体調を崩さないように、がんばってください」

高田さんとクサツネは険しい峠を越えていきます。
目的地は決まってはいますが、新たな出会いに思いがけない回り道も…
ロバを相棒にした旅路の続きは次回の記事でお伝えします。

文:HBC報道部
編集:Sitakke編集部あい

※掲載の内容は「今日ドキッ!」放送時(2026年1月21日)の情報に基づきます。

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