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40年前、“おニャン子”の逸材が放った「静寂」 春の光に溶けた“切なくも美しい”卒業の名曲

  • 2026.2.26

1986年の春。街にはまだ、どこか浮き足立ったような華やかさが残っていた。しかし、その喧騒の裏側で、多くの若者たちが教室の窓から眺めていたのは、もっと静かで、手の届かない場所にある「青い時間」だった。新しい世界への期待と、慣れ親しんだ場所を去る心細さ。そんな春特有の不安定な情緒を、一枚の薄いベールで包み込むように表現した楽曲があった。

河合その子『青いスタスィオン』(作詞:秋元康・作曲:後藤次利)――1986年3月21日発売

当時、社会現象を巻き起こしていた「おニャン子クラブ」のメンバーでありながら、彼女が放ったこの3枚目のシングルは、周囲の熱狂とは一線を画す「静寂」をまとっていた。それは単なるアイドルのヒット曲という枠を超え、聴く者の記憶の中に永遠に溶け込むような、不思議な透明感を持った一曲だったのである。

喧騒の中に現れた美しいメロディ

1986年という時代は、まさにアイドル黄金期の絶頂にあった。テレビをつければ煌びやかな衣装を纏ったスターたちが歌い踊り、お茶の間は賑やかなエネルギーに満ちていた。その中心にいたのが「おニャン子クラブ」であり、河合その子はその中でも際立った存在感を放っていた一人だ。しかし、彼女のソロ作品として発表されたこの曲は、グループの持つ賑やかさやバラエティ的な要素を一切排除した、極めて純度の高い「音楽作品」として構築されていた

タイトルの「スタスィオン」とは、フランス語で「駅」を意味する言葉だ。日常と非日常の境界線。卒業という人生の節目において、昨日までの自分と明日からの自分を繋ぐ場所。その舞台設定の妙が、楽曲全体に高貴な孤独感を与えていた。

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河合その子-1985年撮影(C)SANKEI

職人たちが編み上げた「青」のグラデーション

この名曲の背後には、当時の音楽シーンを牽引していた二人の天才の仕事がある。作詞の秋元康と、作曲・編曲の後藤次利だ。彼らがこの楽曲に込めたのは、単なる別れの悲しみではない。それは、言葉にできないほど淡く、それでいて一度触れたら忘れられない「青」の情景だった。

後藤次利によるメロディとアレンジは、当時の歌謡曲としては極めて実験的かつ洗練されていた。ベースラインは主張しすぎず、しかし確実に楽曲の骨格を支え、幾重にも重なる音のレイヤーが奥行きのある空間を作り出している。特に、サビに向けて高揚していく構成でありながら、最後まで温度が上がりきらない「クールな情熱」のようなものが貫かれている点は、後藤流の美学の結晶といえるだろう。

そして秋元康の綴る言葉は、当時の若者たちが抱えていた「名前のない感情」に、見事な輪郭を与えていた。卒業を迎え、離れ離れになっていく二人。そこにあるのは、永遠を誓うような強い約束ではなく、ただ静かに過ぎ去っていく時間への諦念と、それでも消えない淡い想いだ。情景描写の一つひとつが、まるで現像されていく写真のようにリスナーの脳裏に浮かび上がり、その場所へ連れて行ってくれる。

この楽曲において、河合その子のボーカルは一つの楽器として機能していた。彼女の持つ透明感のある声質は、後藤の描く緻密なサウンドスケープに見事に溶け込み、秋元の描く繊細な世界観を等身大のリアリティで伝えていた。派手なパフォーマンスを必要としない、歌声そのものが持つ説得力。それこそが、この曲を「時代を越えるスタンダード」へと押し上げた理由に他ならない。

時代を越えて響く、さよならの余韻

今、私たちは40年前とは全く異なる世界を生きている。連絡手段は便利になり、離れていても繋がっていられる時代だ。しかし、だからこそ「二度と会えないかもしれない」という予感を含んだ、あの頃の切実な別れの感覚が、この曲を通じて鮮やかに蘇ってくる。

私たちは、いつの間にか大人になり、あの頃見ていた「青い空」の色を忘れかけているかもしれない。それでも、ふとした瞬間にこの旋律が流れれば、一瞬にして1986年のあの場所へと引き戻される。冷たいホームのベンチ、遠くから聞こえる列車の音、そして言葉にできなかったあの日のみずみずしい感情。

『青いスタスィオン』は、単なる懐メロではない。それは、今も私たちの心のどこかに存在し続ける「記憶のプラットホーム」に、そっと寄り添い続けている。どんなに時代が変わっても、春が来るたびにその「青」は鮮やかさを増し、私たちの胸を静かに、深く締め付ける。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。