1. トップ
  2. エンタメ
  3. 25年前、明るいのに切ない高音が空へ抜けた うまくいかない日常をそのまま肯定した国民的デュオ

25年前、明るいのに切ない高音が空へ抜けた うまくいかない日常をそのまま肯定した国民的デュオ

  • 2026.6.11

明るい曲だ、とまず思う。アコースティックギターが軽快に刻まれ、サビが空へ向かってまっすぐ伸びていく。競馬のCMから流れてきたとき、芝の緑とゲートの開く瞬間に、これ以上ないほどよく合っていた。

だが、口ずさんでみると気づく。この曲は、ただ前向きなだけの応援歌ではない。歌われているのは、繰り返される毎日への小さな苛立ちと、そこから抜け出したいという願いだ。期待どおりの雨に打たれ、調子外れのまま続いていく日々。そのざらついた手触りを、爽快なメロディの裏側にそっと忍ばせている。

ゆず『3カウント』(作詞・作曲:岩沢厚治)ーー2001年5月23日発売

数字では測れない何かを掴もうとする歌が、勝ち負けと数字の世界である競馬のCMに乗った。この取り合わせのねじれにこそ、この一曲の面白さが詰まっている。

軽さの奥に、確かな手応え

『3カウント』を一度でも本気で歌おうとした人は、この曲が見た目ほど素直でないことを知っている。耳ざわりはあくまで軽い。アコースティックギターが転がるように進み、サビではコーラスがぐっと厚みを増して、視界がいっぺんに開ける。畳みかけるように高みへ駆け上がっていくその勢いが、聴き心地の軽やかさと裏腹の、確かな手応えを生んでいる。

サビへ向かう一直線の加速は、芝を蹴って馬群が前へ前へと出ていく疾走感とぴたりと重なった。重なったのは偶然ではない。前へ進みたい、今より高い場所へ抜けたいという衝動が、メロディそのものに刻まれているからだ。

これを書いたのが岩沢厚治だという事実は、ゆずを聴いてきた耳にはむしろ腑に落ちる。彼の作る曲には、口ずさんだときに身体になじむ自然さと、よく聴くと一筋縄ではいかない芯の強さが同居している。耳ざわりはあくまで軽い。けれど、後に残る。その二枚腰こそ、岩沢のメロディが愛される理由だ。

undefined
2011年11月、ニッポン放送「第37回 ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」メインパーソナリティを務めたゆず(C)SANKEI

二人で一つを地でいく呼吸

彼らほどの国民的グループならご存知かもしれないが、ゆずは片方が前に立ってもう片方が支える、そういう構図のデュオではない。北川悠仁と岩沢厚治、二人ともが曲を書き、二人ともがメインを歌う。それがこのバンドの素顔だ。

ハーモニーの組み立てを聴けばわかる。低い側を支えるのが北川、その上で伸びていく高音を担うのが岩沢。誰もが口ずさめる『夏色』も『栄光の架橋』も、書いたのは北川だが、印象的なあの高い声は岩沢のものだ。『3カウント』のように岩沢が作詞も作曲もメインも引き受ける一枚は、特別な例外ではなく、二人組というあり方がそのまま表に出ただけのことだ。

岩沢の高音には、突き抜ける爽快さと同時に、どこか切実な震えがある。『3カウント』のサビが、明るいのにただ明るいだけでは終わらないのは、この声が日常への違和感ごと旋律を持ち上げているからだ。前作『飛べない鳥』も岩沢による作詞作曲だが、彼の描くサウンドは北川とはまた違った独特の質感があり、心をぐっとえぐってくる。

詰め込まないという選択

意外なことに『3カウント』は、ゆずにとって初めて表題とカップリングの二曲だけで構成されたシングルだった。それまでは3曲以上を収録しているのが常だったことを思えば、この絞り込みは小さな決断ではない。

表題を岩沢が書いて歌い、カップリングの『夕暮れどき』は北川が書いた。一枚の中で二人の筆が並び立ち、しかも余計なものは足さない。曲をたくさん並べて聴かせるのではなく、一曲の輪郭をくっきりさせて差し出す。この潔さは、アルバム『ユズモア』へ向かおうとしていたこの時期の、楽曲そのものの強度に賭ける姿勢とよく響き合っている。

路上で足を止めさせた二人が、作品としての密度へ重心を移していく。その舵切りが、二曲だけの一枚にはっきり刻まれている。

芝を駆ける二つの声

数字で測れる勝ち負けの世界に、数字では語れない毎日の機微を持ち込む。『3カウント』がやってのけたのは、そういう静かな反則だ。爽快なギターと駆け上がるサビに乗せて、調子外れの日々をそのまま肯定してみせる。

岩沢厚治の高い声が、サビでまっすぐ空へ抜けていく。その瞬間、競馬場の開けた空気と、うまくいかない日常を抱えた誰かの胸とが、同じ高さでつながる。ゆずという二人組が二つの声で世界を広げてきたことを、この一曲は軽やかに、しかし確かに証している。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

の記事をもっとみる