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いま見に行ける、日本建築三大巨匠の名建築11

  • 2026.1.19
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日本の近代建築を語るうえで欠かすことのできない三人の巨匠建築家がいる。ル・コルビュジエに学び、日本にモダニズム建築を根づかせた前川國男。軽やかで洗練された空間構成によって、建築と都市の関係を更新した坂倉準三。そして、モダニズムの思想を日本の住まいへと静かに定着させた吉村順三だ。スケールもアプローチも異なる三人だが、その仕事はいずれも、私たちの暮らしと建築の関係を深くかたちづくってきた。 本記事では、日本建築を代表する三人の巨匠が手掛けた名建築の中から、いまも実際に見に行くことができる建築を厳選して紹介する。時代を超えてなお色あせない空間を、ぜひ体感してほしい。

写真提供:国際文化会館

国際文化開館(1955年)/東京

前川國男、坂倉準三、吉村順三の3人の建築家が共同で設計した唯一の建物。戦後日本における国際文化交流の場として構想された。計画地として選ばれたのは、実業家の岩崎小彌太が名造園家「植治」こと7代目小川治兵衛に作庭を依頼した日本庭園が残る場所。

当初は、3人それぞれから設計案を募ったものの、それを一本化するのは困難で、共同設計をするに至った。

写真提供:国際文化会館

この時点で前川は自らの案を棚上げすることとし、坂倉と吉村が設計案を出しながら新たなプランを作成。前川は調整役を担った。3人がスタッフを出し合い、議論が重ねられて、最終案がまとまったのは、最初の提案から1年後のこと。

坂倉と前川はル・コルビュジエ、前川と坂倉はアントニン・レーモンドのもとで働いた経験から得た国際感覚を生かし、モダニズムと日本の伝統的な美意識を見事に融合させた。

<写真>日本庭園を望むロビー。

写真提供:国際文化会館

1954年に着工し、建設中にはヴァルター・グロピウスも来日した。竣工は、1995年5月。コンクリート仕上げながら、杉板型枠を用いたことにより浮かび上がる木目や、水平に連続する窓を彩る木製サッシが、日本庭園と調和する。

1958年には、吉村が池に迫り出した食堂を増築、1975年には前川がレンガ造の新館を完成させた。2006年、登録有形文化財に登録。

写真提供:国際文化会館

国際文化会館
住所/東京都港区六本木5-11-16

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前川國男自邸(1942年)/東京

前川國男が自邸を完成させたのは、太平洋戦争が始まった翌年のことだった。戦時体制下にあった当時は、30坪以下という建築制限に加え、金属が手に入らないなど建築資材の調達も困難な中、この木造2階建ては計画された。設計を担当したのは、前川國男設計事務所の所員だった崎谷小三郎。

1973年まで自邸として使われていたが、その後解体。部材のまま保管されたものが、「江戸東京たてもの園」に復元された。

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切妻造に瓦屋根をのせた家の北側から室内に入ると、1階には庭を望む開放感のある吹き抜けの居間があり、これを囲むように3つの寝室やキッチン、浴室を配置。戦時下の制約を感じさせないおおらかな空間に驚かされる。

この居間は、戦後しばらくの間、事務所の製図室として使われた。銀座にあった前川事務所が空襲の被害にあったためだ。ここに置かれたダイニングテーブルは、前川自身によるデザインなので、訪れた際は、ぜひチェックしてみてほしい。

前川國男自邸
住所/東京都小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内)

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東京文化会館(1961年)/東京

ル・コルビュジエ設計の西洋美術館と通りをはさみ、並び立つ「音楽の殿堂」。(1457年の江戸築城から起算した)開都500年記念事業、そして戦後復興の象徴として計画された東京文化会館は、延べ面積2万1,234平方メートルと、竣工した1961年当初、日本最大規模を誇った。

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コンクリート打ちっぱなしの庇を3面に張り巡らせた重厚な外観に目をやりながら内部に入ると、巨木のような柱に支えられた内部空間が広がる。その先には、星空に見立て、不規則に照明をちりばめたホワイエが。オペラやバレエも上演できるよう設計された大ホールへの期待を高める。

<写真>大ホールのホワイエ。床には木の葉を思わせるタイルを貼った。

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5階建て2030席の大ホール。舞台脇の壁面に設置されている印象的な木製の反射板は、彫刻家、向井良吉によるもの。

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コンクリート壁に流政之の作品を合わせた649席の小ホールは2階に、地下には楽屋やリハーサル室が入る。この他、3階と4階には音楽資料室、大小の会議室がレイアウトされた。

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もう一度外に出て向かいに立つ西洋美術館と見比べると、その高さが、東京文化会館と同じであることに気づく。前川が師ル・コルビュジエ敬意を払い、駅の改札を出た人々を上野公園に迎え入れるこの場所に、一体的な環境をつくり上げたのだ。

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東京文化会館
住所/ 東京都台東区上野公園5-45

©東京都美術館

東京都美術館(1975年)/東京

建築家の岡田信一郎が設計し、東京府美術館として開館した美術館の改築工事という形で始動した計画。企画展の開催と公募展の開催、そして教育・普及のための文化活動という3つの独立した機能が求められていたものの、風致地区における15メートルの高さ制限に加え、公園法の関係で建築面積を旧館以下にしなければならなかったため、前川は総面積の約60%近くを地下に設ける案を採用した。

敷地の周囲に連なるイチョウやシイ、ケヤキといった巨木を横目にエスプラナード(遊歩道)を歩くと、公募展示棟、企画展示棟、文化活動棟が次々とリズミカルに姿を現し、来場者の足を地下の広場にあるメインエントランスへと向かわせる。

©東京都美術館

内部の各所で見られる、かまぼこ(ヴォールト)天井は、鉄骨の骨組みに短冊状のパネルをつり下げて固定する工法で実現。温かみのある色は、インド砂岩によるもの。カラフルな色の椅子やスツールも、オリジナルの色が再現されている。

各棟の外壁を覆うの素材はレンガのようにも見えるが、実はタイル。前川が考案した「打ち込みタイル」技法だ。コンクリートを流し込む際にタイルをのせ、これを杭で打ち込み、強度を上げる。タイルに目を近づけると、この穴が見えるので、見学の際は確認してみてほしい。

©東京都美術館

東京都美術館
住所/東京都台東区上野公園8-36

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弘前市民会館(1964年)/青森

前川は、デビュー作で1932年に竣工した木村産業研究所、1954年の弘前中央高校講堂、1959年の弘前市庁舎に続いて、1964年に弘前市民会館を完成させた。前川の母の故郷でもある青森県弘前市には、前川作品が計8点現存する。

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青森県産材のヒバの型枠を用いたコンクリート打放しの外壁は表情豊かで、周囲のマツ、ケヤキ、サクラなどと調和する。ホール棟の開口部は、厳しい冬を想定し、スリット状に。ホワイエへと続くエントランスまわりには壁柱を採用した。内部には前川がデザインしたベンチも置かれている。

<写真>ホール棟のベンチも、前川が手がけたもの。「おにぎり型」の照明は後から設置された。

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大ホールの緞帳は、棟方志功が原画を描き、配色を行なった。この緞帳制作する際、棟方は前川の事務所を訪れ、前庭に原寸大の下絵を広げ、3階の窓から前川とともに下絵を見下ろし、色見本の中から「ここは、この赤」、「青はこれ」といった具合に指示を出したというエピソードが残されている。

<写真>大ホールで存在感を放つ、棟方志功の緞帳《御鷹揚ゲノ妃々達々》

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ホール棟とピロティ形式の車寄せ棟を介してつながる管理棟の内部は、近年の改修で天井の色を、群青色からもっと濃い「成層圏ブルー」に変更。東京文化会館でも試された星空のような天井の照明のイメージが強調された。

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弘前市民会館
住所/ 青森県弘前市下白銀町1-6

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神奈川県立近代美術館 旧鎌倉館(鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム)(1951年)/神奈川

1951年、日本初の公立近代美術館として鶴岡八幡宮の境内に誕生した「神奈川県立近代美術館」。坂倉準三が設計を手掛けた美術館は、葉山館の開館を受けて2003年に施設の名称を「神奈川県立近代美術館 鎌倉」(略称「鎌倉館」)と改め、2016年1月までその役割を果たしたものの、同年3月に閉館。神奈川県から鶴岡八幡宮に本館の建物が無償譲渡され、現在は「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」として運営されている。

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旧鎌倉館には、坂倉が学んだル・コルビュジエの影響が色濃く感じられる。鉄骨構造2階建て、延床面積1575㎡の建物は、中心にある四角形の中庭を、展示室やさまざまな機能が取り巻く。主要部分は2階に配置し、それをル・コルビュジエが「近代建築の五原則」の筆頭に挙げたピロティが支える。

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また、建築と庭園の関係性や、水や木々の自然風景と溶け合う姿は、桂離宮など日本に固有の建築を想起させる。

施工当初における最新技術と伝統的な素材が共鳴している点にも注目。高圧プレスされたアスベスト・ボードを特注のアルミ・ジョイントでとめつけるなどする一方で、1階部分には古くから建築材として使われてきた栃木産の大谷石を採用している。

明るく軽やかなモダニズム建築と、随所に使われた伝統的な素材、緑豊かな環境など、さまざまな要素の調和を堪能してほしい。

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鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム
住所/神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-53

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東京日仏学院(1951年)/東京

「神奈川県立近代美術館」と同年に竣工し、翌1952年に東京・神楽坂に開校したのは、フランス政府公式の語学学校・文化センター、「東京日仏学院」。

通りを行き交う人々の目を引くのは、水平方向に連続する窓と、それぞれのフロアを支える特徴的な柱だ。フランス語で「キノコ」を意味する「シャンピニオン」の愛称で呼ばれるこの柱は館内にも使われて、外観と内部の視覚的な一貫性を実現している。

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特筆すべきは、中庭に面してそびえる塔だ。天窓からやわらかい自然光が差し込む内部には、二重螺旋階段が入る。入り口から入った生徒が教室まで向かう階段の下に、シンプルな構造の裏階段がつくられているのだ。

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坂倉は、ここ以外ではフランスのシャンポール城しか見られないという珍しい二層式の螺旋階段を、美しい曲線でモダンに仕上げた。

講座だけでなくフランス文化に触れられるイベントを年間を通じて行なっている「東京日仏学院」は、2021年には藤本壮介が南仏の村をイメージして設計した棟が完成。各教室や映画館、図書館、ギャラリーに加え、2024年6月にグランドオープンしたレストラン「ロワゾー」や2024年10月にオープンした書店「パサージュ・リヴ・ゴーシュ」も併設する。

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アンスティチュ・フランセ東京
住所/東京都新宿区市谷船河原町15

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岡本太郎記念館(旧館)(1954年)/東京

東京・南青山の骨董通りから脇道に入り、歩いていると、人間の目のような形の屋根を乗せた特異な建物が目に入る。岡本太郎が42年にわたって住み、作品をつくり続けたアトリエとサロンが入る旧館に、新築の展示棟を加えた「岡本太郎記念館」だ。

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坂倉が設計を手掛けた旧館は、1954年に完成した。岡本と同じ時期にパリに滞在し、当時より親交のあった坂倉が設計し、坂倉準三建築研究所の所員でのちにル・コルビュジエに師事することとなる村田豊が現場を担当。

限られた予算の中、コンクリートブロックを積み上げて壁面とするなど工夫をこらした。広々としたアトリエは、木材を使って凸レンズを2つ組み合わせたような屋根の反発力を利用した応力外皮構造を採用することによって実現されている。

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応接や打ち合わせに使われていたサロンでは、大きな掃き出し窓が庭との一体感・連続感を演出。アトリエは岡本の「創造のゆりかご」となり、この建築に触発されるように、それまでの絵画だけではなく、壁画や彫刻、陶芸、写真など、新しい表現ジャンルを次々と開拓していった。

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岡本太郎記念館(旧館)
住所/東京都港区南青山6-1-19

Photo : Hiroaki Tanooka

旧上野市庁舎(1964年)/三重

坂倉が、「まちを見下ろさない庁舎」を目指し、三重県上野市(2004年に伊賀町など6市町村と合併し、伊賀市となった)に設計した市庁舎。1964年に竣工してから、2019年に行政機能が現在の新庁舎へと移されるまで、市民に開かれた公共施設として愛されてきた。

Photo : Hiroaki Tanooka

しかし、老朽化とともに解体の危機に直面し、市民有志による保存運動を経て、伊賀市指定文化財として保存・再生されることが決定。図書館、観光交流、宿泊施設という3つの機能を内包する複合施設「旧上野市庁舎 SAKAKURA BASE(サカクラベース)」として、新たな命が吹き込まれることとなった。

<写真>ホテルとして2025年にオープンした泊船の客室は、建物2階に入る。

Photo : Hiroaki Tanooka

外観を覆うのは、打ちっぱなしのコンクリート。館内でも柱や梁に使われ、目を近づけると木目がうっすらと見える。これは建設の際、コンクリートを加工するために使われた杉板型枠の跡だ。さらに壁面にタモ材が使われていたり、開口部が大きく開けられ、自然光をふんだんに取り込んだりと、自然との接点を増やした。

Photo : Hiroaki Tanooka

現在は2階部分を宿泊施設「泊船」に。リノベーションは、MARU。architecture(マル・アーキテクチャ)が担当。坂倉の「建築は生きた人間のためのもの」という哲学を大切にしながら、これを現代の技術と美意識でていねいにアップデートした。

<写真>図書館は、2026年4月に開業予定。

Photo : Hiroaki Tanooka

泊船
住所/三重県伊賀市上野丸之内116

提供:脇田美術館

脇田和アトリエ山荘(1970年)/長野

軽井沢を愛した吉村は、レーモンド事務所時代にはレーモンドがこの地に設計した別荘で夏を過ごし、その後、自身の山荘も建てた。1970年竣工の「脇田和アトリエ山荘」は、吉村の友人で東京藝術大学の教授を務めた洋画家、脇田和のために設計したアトリエ兼山荘だ。

提供:脇田美術館 写真:高梨光司

この山荘は脇田の作品を収蔵・展示する美術館に隣接し、くの字を描くように東西に棟が立つ。1階はピロティとし、主要な部屋は2階にレイアウトした。1階部分をコンクリート造としているのは、湿度の高い寒冷地である軽井沢の気候を考慮してのこと。吉村が自らのために建てた山荘と同じ構造だ。

提供:脇田美術館 写真:高梨光司

木造の2階の外壁は下見板張り。暖炉のあるリビングや寝室が入る東棟は南に向けて大きな開口を設けて庭を望む。西棟には、今もなお脇田が使用していた時の状態がそのままのこるアトリエと書斎が配置されている。

2021年には、国の登録有形文化財に指定された「脇田和アトリエ山荘」は、毎年秋に一般公開しているほか、建築家を招いたシンポジウムや勉強会なども行う。

提供:脇田美術館 写真:高梨光司

脇田和アトリエ山荘
住所/軽井沢町旧道1570-4

画像提供:奈良国立博物館

奈良国立博物館 新館(1972年、77年)/奈良

東大寺や正倉院を要する奈良公園の広大な土地に佇む「奈良国立博物館」の新館。高床式の正倉院を思わせる外観が目を引く東館と西館が、エントランスをはさむように立つ。

画像提供:奈良国立博物館

1972年竣工、56mの長さを誇る西館の1階部分はガラス張りとし、独特な形状のコンクリートの柱が上階を持ち上げるピロティに。(木材を水平方向に積み重ねる)校倉造を模した水平目地が印象的な2階には、開放的な無柱空間が広がる。

画像提供:奈良国立博物館

敷地内にあった池や周辺の樹木、既存の低層の旧本館などの配置を踏まえて外構に池を設えたり、低層2階建てとしたり、環境とのコンビネーションを考えた設計にも注目したい。

同博物館の中でも高い人気を誇る『正倉院展』等への来場客の増加に対応し、1977年には東新館を増築するとともに西館を内部改修。東新館は、屋根材を耐候性鋼板からチタンに、外壁を耐候性鋼板からライムストーン・石貼りに変えた。

画像提供:奈良国立博物館

奈良国立博物館
住所/奈良県奈良市登大路町50

参考文献:
江戸東京たてもの園『前川國男邸復元工事報告書』1999年
松隈 洋『建築の前夜――前川國男論』(みすず書房)2016年
松隈 洋『未完の建築――前川國男論・戦後編』(みすず書房)2024年
モダニズム ジャパン研究会 『再読/日本のモダンアーキテクチャー 』(彰国社)1997年
吉村 順三『小さな森の家: 軽井沢山荘物語 』(建築資料研究社)1996年

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