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燃費も税金も安くなったのに…セダンからコンパクトカーに乗り換えた女性が「前のほうがよかった」後悔したワケ

  • 2026.1.17

 

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出典元:PIXTA(画像はイメージです)

これは、私が以前、ある知人の女性から聞いた話です。彼女はライフスタイルの変化を機に、長年愛用したセダンから燃費の良いコンパクトカーへ乗り換えました。

しかし、彼女は納車後にふと「前のクルマのほうがよかった」と漏らしました。実は彼女、スペックとプロの意見を信じ込み、試乗もせずに契約していたのです。なぜ「ディーラー任せ」の合理的な選択が後悔に繋がってしまったのか。

その原因は、カタログには載らない「身体が覚えている感覚」にありました。

「前のクルマが恋しくなってしまう」

ある知人女性と久しぶりにお茶をしたとき、彼女が少し寂しそうな顔でこんなことを漏らしたのです。

「この間、思い切ってクルマを買い替えたのよ。燃費もいいし、税金も安い。近所のスーパーに行くのもすごく楽になったわ。頭では『これでよかった』って分かっているの。……でも、なぜかしらね。ハンドルを握るたびに、前のクルマが恋しくなってしまうの」

彼女はそれまで、家族の歴史が詰まった、しっかりとした造りの中型セダンに乗っていました。しかし、子どもたちも独立し、彼女ひとりで乗る機会が増えたことを機に、「ひとりで乗るには大きすぎるし、これからは身の丈に合ったクルマがいいわね」と、最新のコンパクトカーに乗り換えたのです。

話を聞くと、彼女は長年の付き合いがあるディーラーの担当者に、こうリクエストしたそうです。

「私、機械のことはよく分からないから、あなたに任せるわ。維持費が安くて燃費が良くて、私でも運転しやすい小回りのきくクルマを持ってきて」

信頼関係があったからこそ、彼女は試乗すらしなかったといいます。それなのに、納車されて日常に戻ったとき、言葉にできない「喪失感」のようなものが彼女を襲ったというのです。

この知人の話は、決して特別なケースではありません。実は今、多くのベテランドライバーたちが、ダウンサイジングの過程で同じような“説明のつかない違和感”に直面しているようなのです。

その選択は、間違いなく「正解」だったはず

まず強調しておきたいのは、彼女の決断も、提案したディーラー担当者の判断も、客観的に見れば「正解」だったということです。

納車されたコンパクトカーは市場でも評価が高く、燃費性能や安全装備においては、彼女が以前乗っていた古いセダンよりも優れている点が多くありました。

今の時代、物価もガソリン代も上がっています。生活のために維持費を下げたい、あるいは年齢を考えて取り回しの良いサイズにしたい。そうした理由でクルマを小さくすることは、彼女のこれからの生活に合わせた非常に賢い選択といえるでしょう。

担当者も、彼女の「維持費・燃費・小回り」という3つのリクエストに対して、100点満点の提案をしたはずです。論理的には、どこにも間違いはありません。しかし、クルマ選びには落とし穴がありました。論理的な正解が、必ずしも「情緒的な満足」とイコールにならなかったのです。

彼女が感じた「前のほうがよかった」という感覚。その正体を探っていくと、カタログの数字には決して表れない、ある「身体的な記憶」に行き着きます。

「良いクルマ」の基準を、身体は無意識に覚えている

彼女は「私なんて、クルマにこだわりはないから」と笑っていました。だからこそ、試乗もしなかったのでしょう。しかし、長年セダンや上級SUVといったいいクルマに乗ってきた人の身体は、知らず知らずのうちに良質な質感や乗り心地の基準を記憶してしまっていることもあるものです。

ドアを閉めた時の「ドスン」という重厚な密閉音。高速道路で横風を受けてもビクともせず、路面に張り付くような直進安定性。荒れたアスファルトを走っても、遠くの方で「トン、トン」と衝撃を丸めてくれるサスペンションの動き。

これらは、毎日触れているとそれが当たり前の基準になってしまいがちです。人は、新しく得た機能の便利さにはすぐに慣れてしまいますが、失ってしまった質感や重みには、意外なほど敏感なのかもしれません。

新しいクルマに乗り換えた瞬間、身体が記憶していた「当たり前の心地よさ」とのギャップを、脳が「違和感」として警告する。彼女が感じた寂しさの正体は、まさにこれだったのではないでしょうか。

中型セダンとコンパクトカー、それぞれの「得意種目」の違い

では、具体的に何がそれほど違うのでしょうか。少し専門的な視点でいえば、それはクルマの構造の違いによる、得意分野の差といえるかもしれません。

かつて彼女が乗っていた「中型セダン」と、現在の愛車である「コンパクトカー」。この二つは、クルマの大きさや構造の基準で見ると、実はまったく別のカテゴリーと言えるほど離れた存在なのです。これはクルマの優劣というよりも、アスリートの「競技種目」の違いに近いものかもしれません。

例えば、「タイヤの間隔(ホイールベース)」の長さ。コンパクトカーは、街中での扱いやすさやキビキビとした小回りを実現するために、この間隔をあえて短く設計しています。対してセダンは、高速道路などでのゆったりとした直進安定性を重視し、長く作られています。

また、「重さ」に対する考え方も異なります。現代のコンパクトカーは、優れた燃費性能を実現するために、最新技術を駆使して徹底的な「軽量化」が図られています。重厚な遮音材をふんだんに使って「重さで静けさを作る」かつての高級セダンとは、そもそも目指しているゴールが異なるのです。

彼女が感じた「何かが軽い」という感覚。それは決してクルマの質が低いわけではなく、むしろ「軽快さ」や「効率」という現代のクルマのメリットそのものです。ただ、彼女の身体が慣れ親しんでいた「重厚感」とは、物理的な方向性が真逆だった。そのギャップが、言葉にできない違和感となって現れたのでしょう。

ハイブリッド=快適、とは限らない理由

彼女もこう言っていました。「ハイブリッドだから静かなはずでしょう? でも、なんだか逆に音が気になるのよね」と。

確かに、モーターで走る時間は静かです。しかし、ここにも落とし穴があります。エンジン音という大きなノイズが消えることで、今度は逆に、タイヤが路面を転がる「ゴーッ」というロードノイズや、風切り音が耳につきやすくなってしまうのです。静かな図書館にいると、衣擦れの音が気になるのと同じ理屈かもしれません。

さらに、燃費重視のエコタイヤは転がり抵抗を減らすために硬めに作られていることが多く、路面のザラつきを拾いやすい傾向があります。

「燃費が良いこと」と「上質でしっとりとした乗り心地であること」

この二つは、似ているようでいて、実は設計のベクトルが異なる場合があるのです。

試乗をしなかったことの本当のリスク

ここまでの話を踏まえると、彼女の最大の失敗は「クルマ選び」そのものではなく、「試乗をしなかったこと」にあったといわざるを得ません。

「信頼できる担当者さんに任せたんだから大丈夫」「性能はカタログを見ればわかるし、今はどれも良いクルマでしょう」

そう思う気持ちは痛いほどわかります。しかし、ディーラーの担当者は、あなたの「未来の条件(予算や燃費)」は完璧に満たせても、あなたの身体に染み付いた「過去の体験(乗り味の記憶)」までは想像できません。

試乗の本当の目的は、性能の確認ではありません。「自分の身体の記憶との答え合わせ」なのです。

「このロードノイズの音量は、毎日耐えられるレベルか?」「段差を乗り越えた時の突き上げ感は、腰に響かないか?」「シートの座り心地は、1時間座っていても疲れないか?」

このネガティブな要素の確認だけは、どれだけ優秀な担当者であっても代行することはできません。ハンドルを握り、自分の身体でシートの感触を確かめる、あなた自身にしかできない作業なのです。

コスパを優先することが失敗なのではない

コストパフォーマンスを優先してコンパクトカーを選ぶことが「失敗」だと言いたいわけではありません。浮いた維持費で旅行に行ったり、美味しいものを食べたりすることは、人生を豊かにする素晴らしい選択です。

大切なのは、「何かを削っている」という事実を、自分の感覚で理解した上で選ぶことではないでしょうか。

「静粛性や重厚感といった贅沢を手放す代わりに、私はこの経済的自由と気楽さを手に入れるのね」

そう納得してハンコを押したのであれば、そのクルマはきっと、あなたの新しい人生の良き相棒になるはずです。

そして先日、その彼女とまた会う機会がありました。彼女は「まあ、この軽さにもだいぶ慣れてきたわ。ガソリンスタンドに行く回数が減ったのは、やっぱりありがたいわね」と、少し穏やかな表情で笑っていました。

最初の違和感を乗り越え、彼女は彼女なりに、新しい相棒との付き合い方を見つけたのかもしれません。



ライター:根岸 昌輝
自動車メーカーおよび自動車サブスク系ITベンチャーで、エンジニアリング、マーケティング、商品導入に携わった経験を持つ。
現在は自動車関連のライターとして活動し、新車、技術解説、モデル比較、業界動向分析など、業界経験に基づいた視点での解説を行っている。