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「出られない選手の分まで…」負傷離脱中の経験を胸に、柏レイソル内定の東洋大DF山之内佑成がインカレ2連覇を目指す

  • 2025.12.12

今季、流れるようなパスサッカーでJ1を席巻するも、惜しくもタイトルに手が届かなかった柏レイソル。

柏のシーズンは6日のJ1最終節をもって終了したが、もう一つの最終決戦に臨む男がいる。

来季柏への加入が内定している東洋大DF山之内佑成主将(4年、JFAアカデミー福島U-18)は、13日(午後2時、静岡・草薙総合運動場陸上競技場)に大学最後の大会となる全日本大学選手権(インカレ)を迎える。

今回Qolyは、今季東洋大の主将としてチームを総理大臣杯優勝に導き、柏では特別指定選手としてルヴァンカップ決勝の舞台に立った山之内を取材。スタンドからチームメイトへ声援を送った負傷離脱期間の日々や、天皇杯での躍進、前回大会王者として臨む今年のインカレなどについて話を聞いた。

画像: 「出られない選手の分まで…」負傷離脱中の経験を胸に、柏レイソル内定の東洋大DF山之内佑成がインカレ2連覇を目指す

(取材・文・写真 縄手猟)

柏入団の決め手は練習参加時の「直感」

東洋大の練習後に取材を受けてくれた山之内は「汗、大丈夫ですか」と記者に気づかいながら席に腰を下ろし、少し引き締まった表情で柏を選んだ経緯について語り始めた。

「正直に言うと直感です」

山之内が初めて柏へ練習参加した時期は、2024年の2月。当時は井原正巳氏(現韓国2部水原三星コーチ)がチームを率いていた。

東洋大の背番号5は「練習参加したときの自分の感触であったり、直感があった」と、柏入団を決断した理由を明かした。

東洋大で存在感を放つ左サイドバックには、J1のファジアーノ岡山もオファーを提示した。

だが、当時の柏は「形がなく、自由にやっているイメージだった」ため、東洋大で培った経験が生きると考えた。

そして昨年6月に、山之内の2026シーズンからの柏入団内定が発表された。

画像: 東洋大の練習に励む山之内(写真 縄手猟)
東洋大の練習に励む山之内(写真 縄手猟)

今季からスペイン人指揮官リカルド・ロドリゲス監督が就任した柏だが、山之内の前への推進力やユーティリティ性は高く評価されており、早くも指揮官から信頼を得ている。

10月4日に行われたJ1第33節横浜F・マリノス戦では、1点リードで迎えた後半41分に途中出場し、プロデビューを果たした。

プロサッカー選手として初めて公式戦のピッチに足を踏み入れた瞬間は「うれしかったですが、めちゃくちゃ緊張して、あまり覚えていない」と率直な感想を口にした。

東洋大では左サイドバックでプレーする山之内だが、柏では日本代表MF久保藤次郎の穴を埋める形で右ウィングバックを任されている。

いままで同ポジションでプレーしたことはなかったが、「右サイドは少しぎこちなさはありましたけど、やりながら慣れていった感じです」と、試合を重ねながら適応している。

同月12日のルヴァンカップ準決勝2ndレグのJ1川崎フロンターレ戦ではプロ初アシストを含む2アシストを記録。

それでも山之内は「(右ウィングバックは)自分の特徴を出しやすいポジションだと思います。その反面、まだいろいろなタスクができていないところもある。できていることとできていないことが半分ずつですね」と謙虚に答えた。

画像: 今季は柏の特別指定選手としてプレーしている山之内(写真 縄手猟)
今季は柏の特別指定選手としてプレーしている山之内(写真 縄手猟)

山之内は先月1日に行われたルヴァンカップ決勝でも先発に抜てきされた。背番号32を背負い、右サイドで攻守にわたりほん走した同選手だったが、広島の強固な守備を前に持ち味を発揮できず、チームも1-3で敗れた。

さらに同選手は、リーグ優勝の可能性もあったJ1最終節の町田ゼルビア戦で、後半アディショナルタイムから途中出場。試合には白星を挙げたものの、首位の鹿島アントラーズが別会場の試合で勝利したため、リーグ戦最終順位は2位となった。

山之内は「一つ、一つのプレーのクオリティやポジショニング、すべてのところで進化しないと、来シーズンは(試合に)出られないと思っています。大学生ではなくて、選手として見られるので、一つ、一つのプレーに責任を持って、試合に絡めるように目の前の課題に向き合っていきたいと思います。レイソルの勝利に貢献できるように、自分のできることをすべて尽くします」と来季に向けて意気込みを語った。

来季さらなる飛躍を目指す山之内は、小学校時代にチームメイトとしてプレーした同級生が、今年日本代表に初招集されたことについて率直な想いを明かしてくれた。

「こんなチャンスはない」両親が背中を押す

愛知県一宮市出身の山之内は、兄の影響でサッカーを始めた。

「あまり覚えていませんが、小学生のころはやんちゃというか、常にふざけていましたね。当時は何も考えずに、楽しくサッカーをやっていました」

小学校低学年までは、先に習っていた空手に打ち込み、サッカーは週1回の練習だったという。

保育園年長のときに、全日本空手道選手権で見事に優勝。

いまでも空手で培った「目の前の相手に負けたくない」という闘争心が、一対一の局面が多いサイドバックでのプレーに生きている。

画像: 「こんなチャンスはない」両親が背中を押す

それでも、チームスポーツであるサッカーに強い魅力を感じていた山之内は、小学4年のときに愛知県江南市の町クラブFC DIVINE(ディバイン)に入団。本格的にプロサッカー選手を志すようになった。

現役時代にFC東京でプレーした経験を持つ青井健(たけし)氏が代表を務める同クラブは、近隣地域から元Jリーガーの指導を受けたい多くの小学生が集まり、山之内自身も「レベルが高かった」と感じていた。

同クラブでは、今年6月に日本代表デビューを飾ったデンマーク1部コペンハーゲンDF鈴木淳之介と同学年のチームメイトだった。

当時センターバックとしてプレーしていた山之内は、FC DIVINEではボランチを務めていた鈴木とポジションが近く、頻繁にピッチ内外でコミュニケーションを取る間柄だった。

現在も連絡を取り合う関係が続いており、鈴木が代表に初招集された際には「おめでとう!」とメッセージを送ったという。

今年10月に味の素スタジアムで行われた日本対ブラジル代表の試合をテレビ観戦していた山之内は、「素直にすごいなと思うし、(僕も)もっと頑張らないといけないなと。もう、手の届かないところに行っちゃいましたね…(笑)」と苦笑い。

日本代表で地位を確立しつつある幼馴染の活躍が刺激になっている。

画像: 日本代表としてブラジル戦に出場した鈴木。小学生のときに山之内と同級生のチームメイトだった(写真 Getty Images)
日本代表としてブラジル戦に出場した鈴木。小学生のときに山之内と同級生のチームメイトだった(写真 Getty Images)

小学校卒業までFC DIVINEでプレーした山之内は、中学校入学を機に、JFAアカデミー福島U-15(WEST)に入団した。

JFAアカデミー福島は、日本サッカー協会(JFA)と福島県広野市と楢葉町、富岡町が連携して設立されたサッカー選手のエリート教育機関で、アカデミー生はJヴィレッジ近郊の寮で寄宿しながら練習場に通い、プロサッカー選手を目指す。

山之内が在籍したJFAアカデミー福島WESTは、2011年3月11日に発生した東日本大震災に伴う一時避難によって、一時的に静岡県御殿場市時之栖(ときのすみか)で活動していたチームだ。

当初はJFAアカデミーへ行く気はなかったという山之内。FC岐阜など地元のクラブチームに進む選択肢もあったが、両親から「こんなチャンスはない。チャレンジをしてみたら?」と背中を押され、より良い環境を求めて静岡へ飛んだ。

当初は寮生活に対して「めちゃくちゃ抵抗があった」という。12歳でいきなりの寮生活は、想像通り簡単ではなかった。

「最初はやっぱり大変でしたね。自分のことを全部自分でやるので。 洗濯をしたり、携帯の使用時間も限られていました」

それでも徐々に共同生活に慣れ、JFAアカデミーの充実した練習環境の中で実力を磨いた。

JFAアカデミー福島U-18(WEST)へ昇格後は、高校1年からトップチームの試合に絡み、高校3年では、公式戦全試合に出場したという。

だが、高校2年のときに新型コロナウイルスが全国的に流行した。

山之内は「(寮では)なるべく密にならないようにして、ほぼ隔離状態のような状態でしたね。大会や遠征もコロナで出られなかったこともありました」と振り返り、歯がゆさを感じた。

東洋大進学後は、柏の入団内定を勝ち取った一方で、負傷の影響でスタンドからチームを見守る時期もあったという。

リハビリ期間中に感じた“仲間の声援の力”

中学校入学から高校卒業までJFAアカデミー福島でサッカーの技術を磨いた山之内だが、Jリーグクラブからのオファーはなかった。

山之内は「高校を卒業してプロになるレベルではないと思っていた」と当時の自分を評価し、その上で東洋大へ進学した理由を明かした。

「JFAアカデミーの先輩方も(東洋大へ)行っていて、東洋大のサッカーの内容などをいろいろ聞かせてもらっていました。一番は監督から声をかけてくださったのが大きいですね。そこを踏まえて決めました」

もともと“常に考えてプレーすること”を心がけていた同選手は、東洋大を率いる井上卓也監督からの勧誘を受け、東洋大に進学。自身が意識している「考えるサッカー」をさらに深めていった。

画像: 東洋大を率いる井上監督(写真 縄手猟)
東洋大を率いる井上監督(写真 縄手猟)

大学3年だった2024年6月に柏への入団内定が決まった東洋大の背番号5だが、同年9月ごろから右足首の関節ねずみ(関節内遊離体)を発症。痛みを感じながら同年12月に行われたインカレに臨んだ。

同大会では、左サイドバックとセンターバックの二つのポジションでプレーした。痛み止めの注射を打ちながら試合に出場したが、大阪体育大との準々決勝では自慢の攻撃力で存在感を示し、2アシストを記録してベスト4進出の立役者となった。

東洋大はこの大会で、山之内の一学年先輩であるDF稲村隼翔(はやと、スコットランド1部セルティック)、MF新井悠太(J1東京ヴェルディ)らの活躍もあり、初の大学日本一に輝いた。

優勝が決まった瞬間を回想した東洋大の背番号5は、「そのときは実感がないというか、『本当に全国優勝したんだ』みたいな感じでしたね」と、素直に喜びを噛みしめる余裕はなかったと明かした。

画像: リハビリ期間中に感じた“仲間の声援の力”

山之内はインカレ終了後の今年1月に関節ねずみの除去手術を受けた。

手術後のリハビリから復帰しかけていた中、今度は右足ハムストリングの肉離れで再離脱した。

「焦りはありましたし、このまま大丈夫かなという不安もありましたね」

それでも山之内は、新体制のキャプテンとしてチームを献身的にサポートし、試合では応援席からピッチ上で戦う選手たちへ声援を送り続けた。

「リーグ戦で勝てない時期が続いたときに、自分が出てなんとかしたいという気持ちがありました。試合に出られない悔しさがあった分、違う面でチームをサポートできたらと考えながらやっていました」

その後、約5カ月間のリハビリを経て、6月8日に行われた関東大学サッカーリーグ1部第10節の明治大戦で復帰。同月11日に行われた天皇杯2回戦では、内定先の柏と対戦した。

画像: 内定先の柏相手に先制点を奪った山之内(写真 縄手猟)
内定先の柏相手に先制点を奪った山之内(写真 縄手猟)

延長戦にもつれ込んだこの試合は、延長後半2分に山之内が値千金の先制弾を挙げた。

「リハビリ期間中もそれ(柏との試合)がモチベーションになってやり続けることができた」という東洋大の主将は、内定したクラブを相手に「点を決めたらすごいことになる」と考えていたが、得点を挙げた直後はスタンドで応援していた仲間への想いでいっぱいだった。

「自分にとっては、仲間の応援がすごく力になっていました。ケガの期間は一緒に応援して、改めてすごさを感じていましたし、(得点直後は)応援席に飛び込むことしか考えていなかったです」

柏との試合に2-0で勝って下剋上を起こした東洋大は、その後J1アルビレックス新潟相手にもジャイアントキリングを達成した。だが、J1ヴィッセル神戸に敗れて天皇杯ラウンド16で大会を後にした。

山之内は3回のJ1クラブとの対戦に、「チームとしては守り切る、 簡単に失点をしないというところが成長できたかなと思います。個人としては攻守の対人プレーで通用したかなと」と手ごたえを感じた。

今季の経験を最後のインカレにぶつける

山之内は、今季途中から東洋大で公式戦に出場しながら、柏で特別指定選手としてJリーグでも出場機会を増やしていった。

ハードなスケジュールをこなしながらも、6月にはアミノバイタルカップに出場。決勝で流通経済大に敗れて準優勝に終わったが、9月の総理大臣杯では見事に大会初優勝を成し遂げた。

関西学院大との総理大臣杯決勝の試合前には、選手を集めて円陣を組み、「出られない選手の分までピッチで表現しよう」と全員に伝えたという。

「総理大臣杯の決勝は、アミノバイタルカップの悔しさがあったからこそ、チームが一つになれました。ケガ人も出ていたので、(試合に)出たくても出られない選手の想いも、自分たちの力になりました」

昨年度のインカレ優勝に続いて夏の総理大臣杯を初制覇した同大は、史上7回目、5校目となる冬夏連続優勝を達成した。

画像: 総理大臣杯決勝に出場した山之内(写真 縄手猟)
総理大臣杯決勝に出場した山之内(写真 縄手猟)

夏以降は柏のトレーニングに帯同する機会が増えている同選手は、今季のJ1で優勝争いをした同クラブで日々自身の成長を実感している。

「(柏の選手)全員に衝撃を受けました。考えてプレーしているだけでは活躍できないと思います。それを基盤にして、さらにいろんな選手の上手さであったり、判断などを吸収して、考えながら自分なりに消化して成長していきたいです」

J1でも屈指のタレント力を誇る柏のレベルの高さを肌で感じた東洋大の背番号5だが、特に日本代表DF古賀太陽については「本当に一対一で負けないんですよ。カバーリングの広さだったりは、大学サッカーでは経験できない」と、同じDFとして吸収できる要素が多い。

来季は柏でのさらなる飛躍が期待される東洋大の大型サイドバックだが、今月の大学生活最後のインカレに向けて照準を合わせている。

「インカレ2連覇に向けて、チーム全員がチャレンジャーとして挑むことを考えながら、全力で目の前の勝利を目指してやっていきたいです」

画像: 主将としてインカレ2連覇を目指す山之内(写真 縄手猟)
主将としてインカレ2連覇を目指す山之内(写真 縄手猟)

東洋大は13日午後2時から静岡県の草薙総合運動場陸上競技場で、東海学園大と決勝ラウンド初戦を戦う。

インカレ2連覇に向けて全身全霊を捧げる東洋大の背番号5は、仲間とともに臨む最後の冬で、いよいよ集大成の一歩を刻む。

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