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朝ドラが描いた“確かな段差”に励ます声「気持ちわかる」「どうか幸せに」橋を通して描かれる“切ない演出”

  • 2026.1.23
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『ばけばけ』第16週(C)NHK

『ばけばけ』第16週「カワ、ノ、ムコウ。」は、物語が穏やかに進む一方で、人間関係に確かな“段差”が生まれた週だった。ヘブン(トミー・バストウ)の日本滞在記が完成し、新聞に日常が載るようになったトキ(髙石あかり)は、いつの間にか町の有名人になる。しかしその称賛は、彼女を祝福すると同時に、生活や関係性を静かに変質させていく。橋の向こうへ渡ったトキと、こちら側に立ち尽くすサワ(円井わん)。ふたりの距離が言葉にならないまま広がっていく過程を、第16週は驚くほど繊細に描き出した。

※以下本文には放送内容が含まれます。

“奥方トキ”という記号

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『ばけばけ』第16週(C)NHK

ヘブンとトキが町を歩くだけで、人々が振り返る。声をかけられ、英語で話してほしいと頼まれ、好奇と羨望の入り混じった眼差しを浴びる。ヘブンが英語で「世界で一番可愛い女性です」とトキに伝える場面も、夫から妻への愛情表現であると同時に、周囲へのアピールの意味合いも込められていた。

女性たちが歓声を上げ、トキは照れ笑いを浮かべる。しかし、その場面は決して無邪気な幸福としては描かれない。

ヘブンにとって、人に見られること、異人として声をかけられることは、もう“いつものこと”だ。しかし、トキにとっては違う。ついこのあいだまで、しじみを売り、家族と肩を寄せ合って暮らしていた彼女は、突然“ヘブン先生の奥方”という記号に変貌し、見られる側に立たされたのだ。

暮らしぶりが新聞に載る生活。店先に並ぶ人形や絵。名所のように語られる自宅。それらは祝福の形をしていながら、トキから“ただの生活”を静かに奪っていく。母のフミ(池脇千鶴)でさえ、町中で人々に声をかけられ、ゆっくり話す時間もない。その描写は、変化の残酷さを物語っていた。

渡りきれなさと、追いつけなさ

この週で光っていたのは、髙石あかりの“喜びきれない笑顔”だ。

彼女は決して露骨に戸惑いを表に出さない。しかし、笑顔を作るまでのほんの一拍、視線がわずかに遅れる間、相手との距離を測るような立ち位置。そのすべてが、もう戻れない場所を意識していることを伝えてくる。

トキは“橋の向こう”へ行った、成功した、と周囲から見なされている。しかし彼女自身は、まだ完全には渡りきれていないのではないか。称賛や祝福を受け取りながらも、その裏で、置いてきてしまったものの輪郭を確かめているようにも見える。

だからこそ、ヘブンから英語を教わる場面でも、トキはどこか心ここにあらずだ。ヘブンが「ココロ、タッシャ、ナイ?」と心配するのは、単なる夫婦の気遣いではない。トキ自身が、自分の立ち位置を見失いかけていることへの、無意識のサインだったのだろう。

この変化について、キーパーソンとなるのはやはり、トキの友人のサワである。新聞を通して知るトキの暮らし。町にあふれる噂や商品。彼女が教員試験のため出入りしているサロン・白鳥倶楽部で投げかけられる“ヘブン先生やトキのようになりたいんだろう”と決めつけてくる言葉。

サワの憤りは、嫉妬ではない。それは、自分の努力や志が、誰かの“付属物”として語られてしまうことへの拒否反応だ。彼女はトキのようになりたいわけではない。ただ、自分自身として、橋を渡りたいだけなのだ。

井戸端で橋の向こうを見つめ、涙も流さず立ち尽くすサワの姿は、その思いを雄弁に物語る。泣かないのは、感情がないからではない。言葉にしてしまえば、自分のプライドが崩れてしまうことを、彼女自身がよく分かっているからだ。SNS上でも彼女に対して「めちゃくちゃ気持ちわかる」「どうか幸せに」と励ます声が多く挙がっている。

トキが“書かれる側”になったことで、サワは逆に“書かれない時間”を生きる決意を固めつつある。その選択は孤独で、険しい。しかし、彼女はまだこちら側に立ちながら、自分の足で橋を渡ろうとしている。

親友同士の切実な対比

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『ばけばけ』第16週(C)NHK

第16週が描いたのは、成功や幸福そのものではない。それによって生じる距離とズレ、そして関係性の変質だった。トキとサワは、優劣ではなく、速度の違いによって引き離されていく。

祝福されながら戸惑うトキ。取り残されながらも前を向こうとするサワ。その対比は、この物語が一貫して描いてきた“橋”というモチーフを、これ以上ないほど切実なものにしている。

橋の向こうへ行くことは、必ずしも幸せの保証ではない。しかし、橋のこちら側に留まることもまた、安定を意味しない。第16週は、そのどちらもが等しく不確かであることを、静かなタッチで私たちに突きつけてきた。


連続テレビ小説『ばけばけ』毎週月曜〜土曜あさ8時放送
NHK ONE(新NHKプラス)同時見逃し配信中・過去回はNHKオンデマンドで配信

ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。X:@yuu_uu_