1. トップ
  2. 恋愛
  3. 目、首、背中、腰、膝、足首ぜんぶ痛い…「虚弱すぎて就職できない20代女性」が病院で検査を受けた結果

目、首、背中、腰、膝、足首ぜんぶ痛い…「虚弱すぎて就職できない20代女性」が病院で検査を受けた結果

  • 2025.12.3

「健康」が当たり前ではない人がいる。文筆家の「絶対に終電を逃さない女」さんは自身の虚弱体質をエッセイに綴り、話題を集めた。そもそも虚弱体質とは何が原因なのか。著書『虚弱に生きる』(扶桑社)より一部を紹介する――。「(第2回/全2回)

「虚弱体質」は何の病気なのか?

虚弱エッセイがバズった際、身体疾患の可能性の指摘も数多く寄せられた。具体的には、バセドウ病などの甲状腺疾患や膠原病、慢性疲労症候群、線維筋痛症など。

6年ほど前、腹痛だか頭痛だか発熱だかで内科に行った際に、原因不明の発熱や関節痛が多いことや疲れやすいといった症状から膠原病を疑われたことがある。大学病院への紹介状を書いてもらったものの、受診のタイミングを逃し続け、またその後全体的に不調が減ったため、結局行かずじまいになっていた。

したがって、まずは膠原病の検査をすることにした。

膠原病専門の病院にて、綿密な問診および触診の後、血液検査と尿検査とレントゲン検査を受けた。

採血の際、血管が細いと言われた。昔からどこで採血をしても決まって細いと言われたり血管を捉えるのに苦労されたりするので、なぜ血管が細いのか聞いてみたら、「多分生まれつきです」と返ってきた。低血圧でもあるので、このあたりも虚弱と関連があるのかもしれない。

血液検査の結果は「すべて異常なし」

就職したことがないために大学卒業以来健康診断を受ける機会はないものの、謎の不調が多くいろんな病院にかかっていた20代前半から半ばにかけては年に1回くらいのペースで血液検査を受けていた。ここ数年は不調が減っていたため機会がなく、久々の血液検査となった。

結果は全項目基準値内で、「バランスが良い」と褒められた。20代前半の頃でさえ異常がなく、やはりよく褒められたものだった。

甲状腺機能も異常なしとのこと。ちなみにこの直前に、自宅である書類を探していたところ偶然にも8年前の「甲状腺機能検査報告書」が出土したのだが、それも全項目基準値内だった。甲状腺疾患の症状には割と当てはまっているようには思えるが、その可能性も否定されたことになる。

患者に症状を説明する男性医師
※写真はイメージです
生理不順の原因もまるでわからない

膝の痛みも訴えたため撮られた膝のレントゲンも、何の異常もないとのことだった。膝は一時期よりだいぶ良くなったとはいえ微妙な痛みが続いているので、何かが起こっているのではないかと怖かったのだが、「まったく痛くない時があるなら病気ではない」と言われた。

結論として、「膠原病の可能性はないと思っていい」と告げられたうえに、あんまり病気と思わないで過ごしたほうがいいなどと、気にしすぎというニュアンスの助言をされて終了した。

その直後に低用量ピル処方のために受診した婦人科では多嚢胞性卵巣症候群を疑われてまた血液検査をしたが、またしても全項目基準値内だった。生理不順、肥満(隠れ肥満)、乳房が小さい、声が低い、毛深い、ニキビができやすい、など主症状には見事に当てはまっているように思えるが、ホルモン値に異常がなければ診断基準は満たさないらしい。

それどころか「生理不順になる要素が見当たらない」とまで言われ、初潮以来16年にわたって悩まされている生理不順の原因もまるでわからないのだった。

各専門医に診てもらっても「原因不明」

このように不調があって病院に行っても原因がわからないことが、今まで何度あっただろう。

高校に入学した頃、咳が止まらなくなり、呼吸器科で検査をしたものの原因不明で吸入薬も効かず、肺の収縮により負担がかかった結果肋骨が折れたことがある。後に大学入学直後などにも同じ症状が出た時、ストレスで咳が出ること(心因性咳嗽)があると知り、これだ! と思った。

大学3年の時に太腿に蕁麻疹が出た際は、皮膚科医がもう1人医者を呼んで2人がかりで「何だこれは……?」と長時間診察した挙句、わからないと告げられた。後から知ったが蕁麻疹もまた、心因性のものがあるらしい。

数年前にはマルファン症候群という難病の検査を受けたこともあり、マルファン症候群でもなかったうえに、大動脈の検査も異常なしだった。

他にも突然の腰痛や腹痛、頭痛、耳鳴りなどで複数の病院にかかったが、はっきりした原因や病名を告げられることはなかった(今思えば腰痛に関してはおそらくPMS〔月経前症候群〕だったのだが、当時は無知ゆえにその発想がなかった)。

次に慢性疲労症候群の主な症状や診断基準を調べてみたが、あまりピンと来ない。疲労感や倦怠感が突然強くなったという感じではないし、20代後半で徐々に改善しており、それだけで生活に支障をきたすレベルだとも思えない。

痛くない部位のほうが少ないのに…

線維筋痛症についても同様に調べてみたが、これも診断基準は満たさないように思えた。現在毎日のように痛いのは膝くらいで、基本的に膝に負担のかかる動作をすると少し痛むくらいだし、単にまだ筋力が足りないだけであってもおかしくない。

膝に加え、日によって頭や首、肩、背中、腰、目、顎、踵、胸、手首、足首、股関節など、もはや痛くない部位を書いたほうが早いくらい身体中に痛みが発生しており、どこも痛くない日は稀だが、20代前半の頃よりは頻度も痛みレベルもだいぶ下がった。ここ数年は一日合計1〜3箇所がそれぞれ数分から数時間、「なんか痛いなあ」という程度に軽く痛むことが大半である。

これらの痛みそのものが生活に支障をきたすことも滅多にないが、ほぼ毎日「なんか痛いなあ」と思い、椅子やトイレに座ろうとするたびにいちいち「膝痛いかも」と不安になるので、痛みに思考を奪われている損失は馬鹿にならないような気はしている。

家族・親戚に虚弱体質は1人もいない

子供の頃から虚弱だったのか、体力がなかったのか、ともよく聞かれる。

文筆家として活動する「絶対に終電を逃さない女」さん
文筆家として活動する「絶対に終電を逃さない女」さん

シャトルランやマラソンではだいたいビリだったが、体育を休んだりすることはなかったし、普通の生活を送る最低限の体力はあったように思う。

健康診断では毎年のように「ちょっと側弯気味だね」「ちょっと貧血気味だね」と言われ、毎日のように軽い立ちくらみを人知れず起こしていたが、倒れたことはない。風邪も引きにくく、学校を休むことも少ないほうだったが、胸に良性腫瘍ができたり顎関節症になったりウイルス性イボが多発したり咳のしすぎで骨折したりと、比較的マイナーな疾患はいくつか経験した。

慢性的な倦怠感を抱えるようになったのは中学生くらいからだが、一般的な学生として最低限のことはできていた。ちなみに貧血や立ちくらみは大人になってからなぜか治った。

家系的にはどうなのかともよく聞かれるが、両親も兄弟も体力があり、私の知る限り虚弱体質らしき親族は1人もいない。母方は少々短命の家系だが、父方にいたっては長寿の家系で、102歳まで生きた曽祖母もいる。父方の祖母は80代なのに私よりも明らかに元気で、私が開けられない瓶の蓋も開けてくれる。私の握力は80代の平均以下なのだから当たり前かもしれない。

あとは気圧や気候、季節などの影響も長年意識して過ごしているが、一向に関連性が見出せない。

「自分は虚弱なんだ」と認識した瞬間

ところで私は少し前まで、自分を説明する際に「虚弱」という言葉を使ったことがなかった。

すべての不調を包括的に説明しうる病名がついたことはないが、医者から虚弱体質だとお墨付きをもらったわけでもないし、この先、何かはっきりした根本的な原因や何らかの疾患が判明する可能性も否定できないからだ。

それに虚弱というと、幼少期から身体が弱く体育を見学したり突然倒れたり、アレルギーや喘息持ちだったり次々といろんな病気に罹ったりといったイメージがあった。私は持病もないし、大きな病気をしたこともなければ感染症に罹りやすいわけでもなく、ただよくわからない不調が常にあり、体力や気力がなく、活動量が少ないだけ。そういう状態を、虚弱と言っていいのかわからなかったのだ。

それが、虚弱体質と銘打った対談およびエッセイが不特定多数に受け入れられたことによって、「私も虚弱って言っていいんだ」と思えた。

「虚弱なんで」で理解してもらえるのは楽

あの対談とエッセイは、虚弱という言葉を使わずして、あそこまで広まっただろうか。「謎の不調がたくさんある」「20代にして身体は初老」「体力がなさすぎる」といったフレーズよりも、「虚弱」という二字熟語のほうが、キャッチーでインパクトがあるのかもしれない。

私自身は当初「虚弱体質エッセイ」と書いて告知したのが、読んでくれた人たちによって「虚弱エッセイ」と縮められて造語風になったのも拡散力が高まった要因の一つだったと思う。

その虚弱エッセイを、既存の読者やフォロワーのみならず仕事相手や友人知人まで周囲のほとんどの人が読んでくれたおかげで、社会生活上のあらゆる困難の説明が「虚弱なんで」の一言で済むようになり、格段に楽になった。

それまではそういう話の流れになっても、体力がなくていろんな不調があって云々と説明するしかなく、短い時間や文字数ではとても伝えきれず、なかなかわかってもらえなかったのだ。

健康が当たり前の人は健康を意識しない

むしろ、私の健康的なライフスタイルしか知らない人には、健康な人だと勘違いされることすらあった。これだけ若くして健康意識が高いのだから当然健康体に違いないということなのだろうが、逆である。人は当たり前にあるものほど意識しない。健康を意識せざるを得ないということは、それだけ健康が当たり前ではないということなのだ。

絶対に終電を逃さない女『虚弱に生きる』(扶桑社)
絶対に終電を逃さない女『虚弱に生きる』(扶桑社)

現時点でも、厳密には虚弱体質と断定はできない。本稿を通して述べるように、体質以外の原因があるかもしれないことには変わりなく、今後医学が進歩して新たな病気や原因が発見されることもあるかもしれない。

何事においても、わかりやすい名前をつけることによって溢れ落ちてしまうものもある。だがどうしても、わかりやすい名前をつけないと、読んでもらえない。読んでもらえなければ、わかってもらえない。

医学的知識のない立場でこのような本を書くのも迷いがあったが、知識がつくのを待っていたら寿命が来てしまうし、書いて読まれることで何かが解明されることもあるかもしれない。

だから私は、暫定的に「虚弱」という言葉を使って、この本を書くことを選んだ。

絶対に終電を逃さない女(ぜったいにしゅうでんをのがさないおんな)
文筆家
1995年生まれ、早稲田大学卒業。体力がないせいで就職できず、専業の文筆家となる。様々なWebメディアや雑誌などで、エッセイ、小説、短歌を執筆。著書に『虚弱に生きる』(扶桑社)、『シティガール未満』(柏書房)、共著に『つくって食べる日々の話』(Pヴァイン)がある。

元記事で読む
の記事をもっとみる