1. トップ
  2. 万博最終日、撤去されるはずの壁には「無数の書き込み」100回通った男性が目撃した“特別な光景”に涙

万博最終日、撤去されるはずの壁には「無数の書き込み」100回通った男性が目撃した“特別な光景”に涙

  • 2025.10.20
undefined
出典元:万博ニキ氏による提供

2025年10月13日、大阪・関西万博、最終日。

解体が決まっていたパビリオンの壁には、無数のメッセージが刻まれていました。

「感動ありがとう」「万博延長してくれ」

書き込んでいる人の多くが泣いていたといいます。

100回以上通い詰めた万博マニア、万博ニキ(通称:パクニキ)氏が最終日に目撃したのは、スタッフも来場者も、誰もが感情を隠さなかった瞬間でした。号泣しながら手を振り続けるスタッフ。約5,000人が歌い上げた大合唱。

半年間の熱狂が、ひとつの終わりを迎えた日。そこには、万博のすべてを知り尽くしたパクニキ氏だからこそ感じ取れた、特別な光景がありました。

約5,000人の大合唱が会場を包んだ瞬間

最終日の会場は、別れを惜しむ人々で溢れていました。

パクニキ氏は、当時の様子をこう振り返ります。

「胸が熱くなる場面が、本当にたくさんありました」

その中でも最も印象的だったのは、大阪ヘルスケアパビリオン前で行われたクロージングセレモニーだったそうです。来場者の空気が一変したのは、コブクロのお2人が登場した瞬間でした。

「5,000人近くの観衆が集まり、会場が一体となっての大合唱が始まりました。その歌声は、万博のフィナーレを象徴する光景でしたね。多くの人が万博との別れを惜しんでいました」

パクニキ氏がそう語るように、コブクロと大阪府吉村知事、来場者、スタッフがテーマソング「この地球の続きを」を歌い上げました。未来への希望と感謝が歌声となって夜空に響いた瞬間です。

「撤去を待つ壁」だからこそ許された一度きりの書き込み

会場の至る所で、涙が見られたとパクニキ氏は話します。

「一般の方もスタッフの方も、感動して泣いている方がたくさんいらっしゃいました」

その中で、パクニキ氏が「忘れられない」と表現したのが、パビリオンの壁一面を覆い尽くした来場者やスタッフからのメッセージでした。

通常、展示施設への書き込みは許可されていません。しかし、これらの建物は万博終了後にすべて取り壊されることが決まっていました。だからこそ、最終日という特別な日に限り、自由なメッセージの書き込みが許されたのです。

パクニキ氏はその様子をこう語ります。

「『感動ありがとう』『万博延長してくれ』といったメッセージが壁という壁に自由に書き込まれている光景は、今も目に焼き付いています」

パクニキ氏は、このメッセージを見ているだけで、涙が出そうになったと振り返ります。

号泣しながら手を振り続けたCA

会場で多くのスタッフが感涙している中、パクニキ氏の目に留まったのは、あるスタッフの姿でした。空飛ぶクルマステーション内のJALブース。ここで来場者を迎えていたのは、本物のキャビンアテンダント(CA)の方々です。

閉館時刻を迎え、スタッフ一同が外に出て最後の来場者への挨拶を行いました。その時のことを、パクニキ氏はこう話します。

「そのうちの1人のCAさんが、号泣しながら、ずっと手を振り続けていたんです」

パクニキ氏は、その光景を今も鮮明に覚えているといいます。

「半年間、どれだけ大変だったか。それでも最後までやり切ったんだな、っていう想いが伝わってきました」

彼女の涙には、それまでの努力と情熱が凝縮されていました。

「今思い出しても、もらい泣きしそうになるくらい、深く感動しました」

プロフェッショナルが任務を全うした後に見せた涙。それは、万博という舞台で懸命に働いた人々を代表するような、純粋な感情でした。

万博が教えてくれた「一度きりの熱量」

パクニキ氏が最終日に目撃した光景。それは、来場者とスタッフ、1人ひとりのリアルな感情によって完成されていました。

壁に刻まれた感謝のメッセージ。

任務を全うしたプロフェッショナルが見せた涙。

万博という祭典は終わりました。しかし、そこで感じた熱量と、他者とのつながりから生まれた感動は、決して消えることはないでしょう。100回以上通ったパクニキ氏が最後に見たものは、イベントの終わりではなく、来場者やスタッフが生み出した「一度きりの熱量」だったのかもしれません。


取材協力:万博ニキ(パクニキ)さん(YouTube)

大阪市内在住の20代後半男性。大阪・関西万博に100回以上訪れ(2025年10月時点)、全パビリオン、および全公式スタンプラリーを制覇済みの万博マニア。週に複数回、「インパク」(万博に入場すること)することが多く、万博の魅力を発信している。