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「妥協のない作り込み」「素晴らしい」ただの“訓練ドラマ”で終わらなかった…!最終回に止まらない絶賛の声

  • 2025.6.27

「最後の砦」にふさわしい、壮絶かつ静謐なフィナーレだった。航空自衛隊のなかでも“人命救助の最終手段”とされる精鋭部隊、航空救難団。内野聖陽演じる教官・宇佐美誠司が率いる救難教育隊の1年を描いたドラマ『PJ~航空救難団~』が、6月19日(木)放送の最終回でついに訓練生5人の卒業という節目を迎えた。だが、このドラマの魅力は単なる成長物語や熱血ドラマにとどまらない。視聴者の胸を打ったのは、彼らが流した汗と涙の意味を、繰り返し問い直す“人生の重み”そのものだった。

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(C)SANKEI

ヒーローは空から降ってくる──最終回が見せた「卒業」の美しさ

航空救難団、通称PJ(パラレスキュージャンパー)は、人命救助の“最後の砦”と呼ばれる精鋭部隊だ。気象や地形、あらゆる条件が過酷な環境のなかで、命を救う。その任務には、心身ともに極限まで追い込まれる覚悟が求められる。

その覚悟を背負って、沢井(神尾楓珠)、白河(前田拳太郎)、近藤(前田旺志郎)、東海林(犬飼貴丈)、ランディー(草間リチャード敬太)の5名は、見事に卒業を果たす。修了式の厳粛さと、静かに交わされる眼差しのなかに、“ヒーローになる”という夢を現実に変えた証がにじんでいた。

そんな感動の余韻をさらに高めたのが、“7人の宇佐美”のサプライズだった。訓練生たちがTシャツをまくり上げると、そこには宇佐美教官の顔がプリントされており、一瞬で「宇佐美化」できる仕掛けに。実はこれは、かつて山岳訓練時の余興として準備していたものの、藤木(石井杏奈)の除隊騒動でお蔵入りになっていたアイテムだ。

“卒業”という節目を迎え、ようやく実現したこのいたずらに、宇佐美も思わず「お前らも、あっぱれだー!」と笑顔で応える。この瞬間、もはや彼らは“教官と訓練生”ではない。同じフィールドに立つ「仲間」になったことが、ユーモアというかたちで描かれる。

本作が優れていたのは、こうした“人間味”の描き方だ。厳しい軍事訓練のリアルに迫りながらも、決して堅苦しさや無機質さに終始せず、関係性のなかにあたたかさと笑いを織り込んでいく。これにより視聴者は、“遠い世界”としての自衛隊ではなく、“等身大の人間”としての隊員たちに共感し、物語に深く入り込むことができた。SNS上でも「こんなに熱くなるドラマ初めて」「すべてのシーンで涙が……」「妥協のない作り込み」「素晴らしい」と本作を推す声が止まらない。

『PJ』が描いた“個の物語”

『PJ』がただの訓練ドラマで終わらなかった最大の理由は、キャラクターひとりずつの“物語”を丁寧に掘り下げてきたことだ。

たとえば、東海林は幼い子どもと妻を抱える父親として、任務と家族の間で揺れ続けた。白河は高所恐怖症に苛まれ、一度はPJの道を諦めかけた。近藤は山岳訓練で迷子になった責任に打ちひしがれ、沢井は「絶対に救難員になる」と言い切る強い意志の裏に、大切な人を守れなかった過去を背負っていた。

誰もが最初からヒーローだったわけではない。それどころか、彼らは救う側である前に、まず“救われるべき存在”でもあった。仲間や教官、そして自分自身との対話のなかで、自らの弱さを認め、それでも一歩前に踏み出す。そのプロセスが、『PJ』という作品を、リアリティと感動の両面で特別なものにしていた。

メインストーリーと並行して描かれてきた、宇佐美と娘・勇菜(吉川愛)の関係もまた、大きな感動を呼んだ。卒論の題材に「航空救難団」を選んだ勇菜は、最初こそ父の仕事への距離感を拭えなかったが、取材を通して徐々にその重みを理解していく。そして、失われかけていた父娘の信頼が再びつながっていく過程は、教官・宇佐美ではなく、“父・宇佐美”としての彼の姿を深く照らし出した。

救うということは、ただ命を拾うことではない。その人が帰る場所を守ることでもある。勇菜との再接続は、宇佐美自身が向き合ってきた「人を育てる」ことのもう一つの現場、すなわち“家庭”での教官業の集大成でもあった。

さらには、訓練中に殉職した仁科(濱田岳)の存在は、彼ら全員の胸にいまも生きている。

ドラマ中盤で訪れた仁科教官の死は、多くの視聴者にとって衝撃だった。仲間を救うために自ら命を賭した彼の選択は、「未来を救わない大人がどこにいる」という一言に集約される。その熱意と信念は、宇佐美の精神を受け継ぐものであり、学生たちの心に火を灯す存在だった。

彼の妻・芽衣(黒川智花)が「私だけは褒めてあげたい」と涙ながらに語った言葉が忘れがたい。生と死の境界線で揺れながらも、仁科の選択には決して後悔がなかった。その魂は学生たちのなかで静かに、しかし確実に生き続けている。

“心のコンパス”を信じて生きるドラマ

最終回のエンディング。近藤が「迷ったときは、ここのコンパスを信じて進む」と自分の胸を指して言ったシーンは、まさにこの作品の核心を突いていた。外部の状況がいかに過酷でも、自分のなかの信念を指針に生きること。それが『PJ』というドラマが伝えたかった“生き方”そのものだったのかもしれない。

一見すると、本作は“自衛隊モノ”というジャンルに属するように見える。しかしその実態は、組織の枠を越えて人間を描くドラマだった。軍服を着ていても、彼らは悩み、迷い、笑い、涙を流す。そして、誰かの命を救うために、自分自身の限界と日々向き合っている。

配属後の描写で、訓練を終えた沢井が宇佐美と再び小牧基地で働く姿が映る。一年前は「教官と学生」だった二人が、いまでは「同僚」として並んで立っている。その横顔には、本当の意味でのプロフェッショナルの表情が刻まれていた。

航空救難団の世界を描きながら、“人を救うとは何か”を根底から問いかけた本作。誰かの命を守るために自らを律し続ける人々の姿は、視聴者の心にも確かに残った。

『PJ〜航空救難団〜』は、静かに、しかし力強く、私たちにこう語りかけてくる。「ヒーローは、どこか遠くにいるわけじゃない。あなたのすぐ隣にいるかもしれない」と。


ライター:北村有(Kitamura Yuu)
主にドラマや映画のレビュー、役者や監督インタビュー、書評コラムなどを担当するライター。可処分時間はドラマや映画鑑賞、読書に割いている。X(旧Twitter):@yuu_uu_