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【不登校】「親はいつまで待てばよい?」 専門家3人が明かす“見守り方と勉強・将来”

  • 2026.10.29
cocrecoイメージ写真:アフロ

子どもが不登校や登校渋りになったとき、「勉強の遅れ」「将来への不安」は親のもっとも多い悩みです。無理やり登校させないほうがいいとはわかっていても「いつまで待つべきなのか」と迷う親御さんも多いでしょう。

学びの現場を取材し続ける教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏と、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演した数学教師で、思考力教室「いもいも」創業者・最高教育責任者で、平日昼間の学びの場「いもいもデイクラス」も運営する井本陽久氏、4000人以上の子どもを指導しフリースクール「花まるAll Inclusive School」を立ち上げた相澤樹氏。

教育と子どもたちに真剣に向き合い続ける3人が、「学校に行っていない子どもたちの見守り方と勉強」について語り合いました。

※2026年8月に花まる学習会の「花まる子育てカレッジ」にて配信された3者対談を一部抜粋してお届けします。

プロフィール

●おおたとしまさ

教育ジャーナリスト。1973年東京生まれ。リクルートから独立後、教育に関してさまざまな観点から取材を行い、著書は90冊以上。どこの組織にも属さない在野の視点で現代の教育への考察・提言を続けている。メディアへの出演や講演も多数。中高教員免許をもち、小学校教員や心理カウンセラーとしての経験もある。

●井本陽久(いもと・はるひさ)

数学教師、思考力教室「いもいも」創業者・最高教育責任者。子どもが自分の感覚を拠り所に、試行錯誤しながら考え続ける授業が注目され、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演。トップ進学校・栄光学園の数学教師を経て、2016年「いもいも」をスタート。

●相澤樹(あいざわ・たつき)

フリースクール「花まるAll Inclusive School」(花まるAIS)代表。これまでに3歳から中学生まで4000人以上の子どもたちを指導。2025年、不登校や行き渋りの子どもたちが安心して挑戦できる学びの場をめざしたフリースクール、花まるAIS(アイス)を創設。現在は、流山おおたかの森校(千葉)、武蔵浦和校(埼玉)、武蔵小杉校(神奈川)、三軒茶屋校(東京)、門前中町(東京)を開校(2026年9月時点)。

子どもを変えようとする その心を問い直す

司会:親御さんからの質問で、「親は待つのが大事なのか」「いつまで待てばいいのか」「放っておくのと待つのはどう違うのか」という声を多くいただいています。わが子が不登校になったら親はどのように接したらいいのでしょう。

相澤:おおたさんの本『フリースクールという選択』(講談社)に、登校渋りや不登校になる前にいろんな居場所を知っておくといいと書いてあり、これすごくいいなと思ったんですよ。

前提として「学校に行けなくなっちゃった、どうしよう」ではなく、もし行けなくなったとしても「こういうところがある」とあらかじめ知っておくことは、心のゆとりとしてすごく大きなものになると思います。

登校渋りや不登校は本当にさまざまなケースがあるので正解はないと思いますが、私は「ひたすら子どもから動きだすのを待つだけ」というのは結構リスクが高いなと思っています。

学校に行く行かないは重要じゃないけど、社会との接続がまったくない状態が長年続くと、外に出る一歩目がなかなか難しくなる。

だからこそ、家以外にもう1ヵ所、どこか行ける場を持つことに保護者の方は積極的に動かれたほうが子どもの回復は高まるかなと現場で感じています。

井本:「待つ」ことの良し悪しって単純じゃないと思うんです。相澤さんのおっしゃってることは「じゃあ待たないほうがいいよ」という単純な答えでは決してなくて、大前提として「子どもをよく見る」が絶対にある。

学校へ行かず、もし部屋に引きこもったとしても、それは意識的に選んだというより、身体が動かないほど「今は自分を守らないと壊れそう」という状態になっていることもあると思うんです。であれば、まずはそこを理解することが絶対大事です。

そのうえで子どもを見ながら「ちょっと押してみようか」「今はやめといたほうがいいか」と親なりに試行錯誤する。だから「待つのか待たないのか」「放っておくのか放っておかないのか」の二択は本質的なことではないんですよね。何でも単なるハウツーで動くと危ない。

親と子の関係って、大人の側がつい「主従関係」を持ち込んでしまいやすいところがあると思うんです。親は不安があると、すぐ子どもを変えようとしがちです。

でも子どもは赤ん坊のころから、自分が世界に手を伸ばしたら、世界から何かが返ってくることを知り、さらに手の動かし方を変えてみたらまた違う反応があると知ります。そんなことを繰り返して、世界とのつながりを自分で学んでいきます。

そこに大人が入り、良かれと思って誘導すると「あ、手伸ばしちゃいけないんだ、引っ込めよう」と動かなくなってしまうんです。だから必要なのは大人の向き合い方のチェンジです。

大人が持っている世界を子どもに教えようとするんじゃなくて、子どもが見ている世界を教えてもらおうという姿勢に変えられるかどうか。

子どもは「自分はいつでも世界に手を伸ばしていいし、世界はちゃんと何かを返してくれる」という感覚があれば、困ったときにも、そこからまた自分で一歩二歩と踏み出していける。でも親が心配しすぎると、子どもにその不安が移ってしまい、動けなくなる。

相澤:おっしゃるとおりですね。お母さんやお父さんの状態がそのまま子どもの状態に現れているケースはよく見ます。

井本:ほとんどの親の心配事と相談って「どうしたら子どもがいい方向に変わるだろうか」なんですよ。

おおた:そのいい方向っていうのは、親が考える「思いどおりの方向」っていう意味ですよね。

井本:そうです。だから親がやることは改めて自分自身に「学ぶって何だろう」「生きるって何だろう」を問い続けるってこと。それは子どものためという以上に、自分のためにすることで。むしろ子どもが教えてくれる。だから「子どもを見る」が大事なんですよ。

おおた:子どもに教えてもらうためには、自分がもともと持ってしまっている前提や価値観みたいなものはいったん置いておく。じゃないと無意識のうちに自分の考えを子どもに重ねてしまうんですよね。

親御さんの中には「立派な人間になってほしいなんて全く思ってません」と言いつつも、「でもこれぐらいはできて当たり前ですよね」とおっしゃる方が多いんです。その「当たり前」が当たり前じゃないんだってことを、まず親が自覚しないといけない。

放っておいたほうがいいか、それとも働きかけたほうがいいかなど、どっちがいいかの損得勘定みたいになると、それは子どもに伝わってしまう。

フリースクールとかに見学に行くときも、親が一喜一憂しないことが大事です。

子どもが合わなくてもがっかりしないのはもちろんですが、もし子どもが楽しんで馴染んだとしても喜びすぎないことも覚えておいてほしい。親が喜びすぎると、子どもは無意識のうちにプレッシャーになってしまいます。

この(不登校の)状態がいつまで続くかわからないのは、親として確かに不安だけど「親がジタバタしてもしょうがない」と吹っ切れたとき、初めて子どもが自ら一歩踏み出したという話はよく聞きます。

子どもは「あるがままを受け入れてくれた」「理解してくれた」という安心感があって動き出せることがよくある。これを言うと「じゃあ手放せばいいんですね!」と受けとめられがちだけど、そうじゃない。

「手放したけどまだ動かないんですけど」って言ってるのは、それは自分の思いどおりの方向にものごとが進むことをまだ期待しているってことで、手放したことにはならないんですよね。

不登校で社会とつながれなくなるわけではない

司会:「勉強が遅れて進学できるんだろうか。この先、仕事はできるんだろうか」という、将来へのご心配もたくさんいただいています。

おおた:子どもがフリースクールに通うようになって「いいとこが見つかりました! 今通ってます」と親御さんはいったん安心するんだけど、しばらくすると「でも実はあまり勉強しない居場所系で、これで将来は大丈夫なんですかね」と言い出す。不安はなかなかなくなりません。

そもそもみなさん学校に行って勉強した記憶ってあります? 多くの方はそんなにしてないですよね。SNSとかで「学校へ行かなくて将来困っても誰も責任とってくれないぞ」といった投稿を見かけますが、学校行って困っても誰も責任とってくれないじゃないですか。同じですよ。

井本:学校へ行っていれば大丈夫ではまったくないです。

おおた:「勉強しないで大丈夫ですか」ともよく聞かれますが、受験でやった勉強なんて大人になってほとんど覚えてなくても実際に暮らせてますよね。単に勉強だけであれば今、便利なツールもたくさんあるし、まあ暮らしていけるでしょう。

でもその質問の奥には親御さんの「学歴社会で受験のための勉強ができてなくて受け入れられるんですか」という不安があるんですよね。

僕らは「学校に行かないと将来困るはず」と思い込まされてきたし、「不登校差別」も現実にまだあるから差別される側になってしまうのも怖い。これは大人が本格的に社会を変えなきゃいけないと思います。

これからはフリースクールのような一条校(文科省に基づいた一般的な学校)以外の場を経由して、社会でゴキゲンにやってる人がどんどん増えるだろうし、それがわかってくると「学校行かなくてもいいんだ」という認識が一気に加速すると思います。

井本:学校に行くか行かないかにかかわらず、道はいろいろあると思っています。

親御さんの「将来、社会に戻れないんじゃないか」という心配はわかるんです。ただ、ここは冷静に見てほしい。不登校が将来、社会とつながれなくなる原因になるわけじゃないんです。

僕がまず見なければいけないと思うのは、不登校という状態そのものより、その手前にある本人の傷つきです。

「学校が苦しい。もうこれ以上傷つけられたくない」と感じ、行かない選択をするわけですよね。その傷をさらに深くするのが「無理解」です。

周りに理解されないまま、ああしろこうしろと言われてしまうと、「うるせえ」「嫌だ」と反抗しつつも「やっぱり自分はダメなのか」ってなってしまう。そしてますます自分の存在価値を感じられなくなって、怖くて外に出られなくなる。

だからまずは子どもが傷ついていることを理解しないと。その子の状態を理解しないまま、親自身の不安から働きかけを重ねると、結果として傷つきを深めてしまうことがある。

おおた:「将来が心配だから、不安だから」って、今を否定されちゃう状態が続いてるのが一番よくない。それが、その子の傷を深掘りして動けないほどにしてしまう。学校に行かないことが問題なんじゃないんですよね。

司会:最後に「学びとは何か」を教えてください。

相澤:私が今現場で信じている「学びって何か」っていうと、私たちが「いろんな事象をおもしろがっていることを子どもたちに見せ続けること」と思っています。

私たちのおもしろがっている姿を見せることで、子どもたちが「もっと知りたい」と思えるような驚きや新鮮さを積み上げていきたい。まず私たちの「あり方」なのかなと考えつつ日々やっています。

井本:「学びとはこれだ」とひとつの定義に固定してしまうと、その新しい学びを子どもたちに「させよう」としてしまい、子どものことを見なくなってしまう。

だから「学びとは何か」「生きるとは何か」ということを「常に問い続ける」ことだと思うんです。まさに「探究」。それに尽きるかなと思っています。

おおた:「学習」と「教育」と「人材育成」ということが今ごっちゃに語られていて、それがすごく混乱をもたらすんじゃないかなと思っています。

そこを意識化していくと、これからの教育の議論は整理しやすくなるんじゃないかなと思って、今後、そんなことを書いていきたいなと思っています。

─・─・─・─・─・─・全3回にわたってお届けした教育対談。

親はスムーズにいかないわが子を見ると、つい「大変だ、親の私が何とかしなければ」と焦りがちですが、親自身が自分の中にある前提や不安を問いながら、子どもには今、どんな世界が見えているのか、理解しようとし続けることが大切だと教わりました。

急いで正解を探すのではなく、これからも子どもと一緒に悩み、迷いながら、探究をし続けていきたいと思います。

cocreco“フリースクール探し”で最初に読む本、登場! 『フリースクールという選択』(著:おおたとしまさ/講談社+α新書)
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