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19年前、総額“6億円”披露宴の【セレブタレント】まさかの結婚式“9回”→還暦で10回目宣言

  • 2026.10.23
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2007年10月、挙式後に記者会見した神田うの(C)SANKEI

「神田うの」という名前が、戸籍の上で「芸名」になった日がある。

明治神宮での挙式から5日後、大安にあたる2007年10月13日の秋晴れの午前、タレントの神田うの(当時32)は、レジャー産業グループ社長の西村拓郎氏とともに東京都内の区役所を訪れ、婚姻届を提出した。

同じ日の午後、うのは自身の公式ホームページで、午前11時40分、素晴らしい秋晴れの中で晴れて正式な夫婦になったと喜びをつづった。その報告は、神田うのが芸名になったという一文で締めくくられていた。

だが、そのわずか5日前、総額6億円とも報じられた披露宴の日に、彼女は挙式後の会見で結婚した実感を問われ、「まったくありません」とあっけらかんと答えていたのだ。

700人以上が集まったド派手な披露宴の主役に、結婚の実感が少しずつ出てきたのは、スポットライトの下ではなく、区役所とお墓参りという、どこまでも地道で静かな日常のワンシーンのあとだった。

6億円の「感謝祭」と実感ゼロの単独会見

2007年10月8日、明治神宮で式を挙げた2人が披露宴の舞台に選んだのは、ホテルニューオータニだった。総額6億円と報じられた披露宴を、うのは32年の人生で多くの人に世話になったという思いから「感謝祭」と名付けた。料理から引き出物、果ては高さ4.7メートルに及ぶ巨大ウエディングケーキに至るまで、すべてを自らプロデュースした。

宴の途中で会場は一転、うのがデザイナーを務めるウエディングブランド「シェーナ・ドゥーノ」のショーへと様変わりする。15人のモデルに交じり、新婦自らもキャットウオークに出て、新作2点を含むドレス3着を披露してみせた。

当時の彼女は、タレントであると同時に気鋭のデザイナーでもあった。プロデュースしたストッキングは大ヒットし、パリやニューヨークのコレクションにも作品を発表していた。

駆けつけた顔ぶれも規格外だ。親友の美川憲一が『愛の讃歌』を歌って祝い、華道家の假屋崎省吾が生け花で空間を彩り、歌手の大黒摩季はこの日のために書き下ろしたバラードを2人に贈った。

ところが、挙式後の単独会見のうのは、拍子抜けするほど相変わらずの奔放さだった。

実感のなさを隠さないまま、指輪の交換では彼が間違って小指に入れ、2度はめることになったと明かした。三三九度では酒を少ししかついでもらえず、もっとついでと思ったことまで話している。

もっとも、決して心ここにあらずだったわけではない。宴のクライマックス、うのは母との約束をあえて破り、一言だけ感謝を伝えた。花束や手紙は湿っぽくなるからやめてと、母から釘を刺されていた。列席者はみんな泣き、それにつられて新婦自身も涙をこぼした。

参列した実弟の神田伸一郎(ハマカーン)は、とても素敵な式だったと祝ったうえで、「結婚式が2度も3度もないように」2人で仲良く歩んでほしいとコメントし、笑いを誘った。もっとも、この言葉がのちに絶妙なフリになるとは、このとき誰も知る由もなかったのだが。

綱渡りの婚姻届とワッキーの空振り

婚姻届は、次の大安の13日に出すと会見で約束していた。だが実は、提出の前日まで綱渡りが続いていた。

提出に必要な書類のうち、うのの戸籍謄本が前日の12日になってもそろわない。関係者も「13日と言いましたが、できるかどうかは分からない」と話すほどだった。当日になって書類はすべてそろい、2人は午前中に区役所を訪れた。

ちなみに、この10月13日にはクスッと笑えるサイドストーリーがある。お笑いコンビ・ペナルティのワッキーも、うのと同じ日に婚姻届を出すと表明して、都内の区役所を訪れていた。報道陣を警戒して妻に目深に帽子をかぶらせ、万全の態勢で出向いたワッキーだったが、区役所の前に取材カメラは1台もなかったというオチがついた。

一方、婚姻届を出したうのは、その足で西村家の墓参りへ向かい、結婚を報告した。

少しずつではあるが結婚の実感が出てきたのと同時に、家族が増えた喜びを感じている。墓参りのあと、うのはそう心境を明かした。挙式後の会見ではまだなかった結婚の実感が、区役所に書類を出し、墓前に結婚を報告したあとで、ようやく心に追いついてきた。

もっとも、そこはエンターテイナーだ。2日後の15日には映画『スターダスト』のジャパンプレミアに特別ゲストとして登壇し、4時間かけた特殊メークで魔女に変装していたのがうのだったと明かされた。新婚生活の中で魔女になることはあるかと問われると、「わたしは魔女じゃなくて小悪魔です」とにこやかに答えるなど、日常と非日常を行き来していた。

弟の心配を越えた9回の結婚式

半年後の2008年4月、映画の試写会のトークショーで、うのは、今まで付き合った人とは飽きたらさよならだったが、夫は初めて飽きたことのない人だと惚気ている。

ピンクのバラを1000本贈られたこともあり、お互いにサプライズを仕掛け合う関係は順調そのものに見えた。

だが、弟・伸一郎の「2度も3度もないように」という願いは、斜め上の形で裏切られることになる。夫婦関係が破綻したわけではない。なんと結婚式の回数のほうが、2度や3度では済まなくなってしまった。

2007年10月の東京を皮切りに、国内だけでなく世界各地を巡り、2011年7月の沖縄まで、2人が挙げた結婚式は実に計9回。最後の沖縄での式は、長女がお腹にいたときだった。長女は同じ年の10月に生まれている。

19年目の境地と60歳の10回目

なぜ、彼女はこれほどまでに式を繰り返したのか。

2026年1月20日、都内のイベントに登壇したうのは、式を挙げたあとにまた新たな誓いをするのが新鮮だと思ったと、その理由を明かしている。

最初の式は、新婚生活を経験しないまま誓い合った。その後の式は、いろいろな経験をしてお互いを深く知ったうえで、誓いますかと聞かれ、それでも「Yes」と言えるかを問う場だった。うのはこれまで、そのたびに同じ答えを返してきた。

同じ日、うのは結婚19年目を迎えた夫婦について、あんなにどうせすぐに別れると言われていたのに「こんなに長く持って自分でもびっくり」と、しみじみ語った。秘訣を私が偉そうに言えないと前置きしつつ彼女が挙げたのは、相手を尊重すること、受け入れること、相手を変えようとしないことという、驚くほど成熟した夫婦の知恵だった。

そしてこの日、うのは「10回目の結婚式は私が60歳の時にしたいと思います!」と、新たなサプライズを宣言した。

娘が生まれてからの14年間は子育てにいっぱいいっぱいで、式を挙げる余裕などなかった。だが、娘の手はだいぶ離れてきた。親になってから初めての式で、還暦を迎えた自分がどう思えるのかが楽しみだと、うのは見据えていた。

6億円の宴の日に「(結婚した実感は)まったくありません」とあっけらかんと答えてから19年。

区役所と墓前で芽生えた小さな「実感」は、8度の誓い直しを経て、19年続く夫婦の絆へと育っていった。60歳の神田うのが口にする10回目の「Yes」は、どんな響きになるのだろうか。


※記事は執筆時点の情報です

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