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21年前、初デートで“求婚”→美人アナと結婚「子育てのため」看板ドラマを降板した【異色の元アスリート俳優】

  • 2026.10.22
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2005年10月、結婚会見を開いた照英(C)SANKEI

元やり投げの選手で、俳優・タレントとして活動する照英。そんな彼が人生の重大な岐路に立ったときに見せる決断の早さは凄まじい。

今から21年前の2005年10月、照英とフリーアナウンサーの阿部和加子の結婚が明らかになった。当時ふたりは31歳。照英はTBS系の時代劇『水戸黄門』で風の鬼若役を務めており、婚姻届を出す予定だった10月10日は、奇しくも新シリーズ(第35部)の初回放送日でもあった。

記念すべきドラマの幕開けと慶事が重なった形だが、何より驚かされるのは、会見で明かされたあまりにも電撃的なプロポーズの顛末だ。

福島の巨大イワナ釣りで出会った“体育会系”のふたり

ふたりの出会いは、結婚の4年前にさかのぼる。きっかけは福島県のローカル番組での共演だった。のちに照英本人がテレビで明かしたところでは、福島で巨大イワナを釣る番組で、そのナビゲーターを務めていたのが阿部だった。

ただ、そのロケですぐに交際へ発展したわけではない。2004年秋、照英が仕事で再び福島へ行くことになったのをきっかけに、ふたりは再会を果たす。

照英は東海大学時代に関東学生選手権のやり投げを制した経歴を持つ。一方の阿部も剣道3段の腕前を持ち、水泳やスケートも得意だった。

当時の夕刊紙が「“体育会系”婚」と見出しを躍らせたのも納得のお似合いのカップルだ。ふたりは再会を機に意気投合し、2005年の夏にはすでに同居をスタートさせていた。

初デートでの「結婚してください」

神奈川県内のスタジオで行われた結婚会見。阿部の写真を手に笑顔を見せた照英は、「心がピュアでほれてしまいました」「ジャスト・マイ・タイプです」とノロケた。

そしてスポーツ紙の見出しを飾ったのが、そのプロポーズだ。照英は食事に誘った最初のデートで、「会った瞬間に結婚してくださいと言った」と明かしたのである。

ムードのいいレストランで食事を終え、頃合いを見計らって指輪を取り出す……などという手順は踏まない。顔を合わせたその刹那に、もう結婚を申し込んでいる。

照英は「一緒にいて、見てて飽きない」とも語り、愛した女性だからかわいいと思う、とメロメロぶりを隠さなかった。

長男誕生と看板時代劇『水戸黄門』の電撃降板

照英が風の鬼若として『水戸黄門』を支えたのは2002年から2007年まで。そしてレギュラー最終年となった2007年2月、長男が誕生する。

出産に立ち会った照英は、感動のあまり涙が止まらなかったとブログに告白。なんといっても妻の頑張りが忘れられないと書き、妻への愛がそれまで以上に深まったと熱く綴った。

そして、照英はひとつの大きな決断を下す。『水戸黄門』のレギュラーを降りたのだ。降板の理由は「子育てをしたいから」だった。月曜夜8時の時代劇といえば、お茶の間でおなじみのドラマだ。俳優にとってそのレギュラー枠を手放すことが、どれほど重い選択だったかは想像に難くない。

本人いわく、もともとは子どもが苦手だった。その照英が、家族と育児を最優先にする道を選んだ。ここでも照英は、最初のデートでプロポーズしたときと変わらない即断即決ぶりを見せたように思う。その後、2010年に長女、2016年に次女が誕生し、照英は3児の父親となった。

歳月が流れてもブレない直感

結婚9周年を迎えた2014年10月、照英はブログで、毎年贈る花束が1年に1本ずつ増えていくことに触れ、妻への感謝をまっすぐに綴った。

そして2026年9月、照英は初となる子育てエッセイ『Family First 子どもに泣かれた戦隊ヒーローがたどり着いた「家族」と「育児」のかたち』を上梓した。妻から「ママは2人もいらないよ!」と言われて考え方がすべて変わったエピソードや、妻との関係、そして『水戸黄門』を降りた本当の理由までが綴られている。

1998年に『星獣戦隊ギンガマン』で俳優デビューした照英は、福島の釣り番組で運命の出会いを果たし、直感のままに家族を築き上げてきた。その歴史が、この一冊に詰まっている。

初デートでのプロポーズという一見無鉄砲に思える直感は、決して勢いだけの思いつきではなかった。


※記事は執筆時点の情報です

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