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かつて“カリスマ高校生”と呼ばれた186cmのモデル。マラリアに感染→九死に一生を得て挑んだ主演映画

  • 2026.10.16
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2008年撮影、「NETCINEMA Presentsうさもちウィーク in 東京駅」のトークショーに出席した高田宏太郎(C)SANKEI

25年前の2001年秋といえば、多くの映画ファンは窪塚洋介主演の『GO』を思い出すかもしれない。だが、その同じ秋、もうひとつの「GO」がスクリーンを駆け抜けていたことをご存じだろうか。

タイトルは『Go!』。こちらの「!」がついた映画は、ピザ屋でバイトする男子高校生が、年上の女性との約束を守るためだけに、東京から長崎までバイクでピザを届けに行くという破天荒な青春ロードムービーだ。

主演を務めたのは、公開当時19歳の高田宏太郎。普段は本をあまり読まないのに、読んでいるうちにすっかり物語の虜になっていた。演りたくなって、自ら監督に頼んだ。

モデルとして注目を集めていた若者が、小細工も理屈も捨てて、泥臭くダサい高校生役へと飛び込んでいく。その無鉄砲な熱量は、四半世紀が過ぎたいま振り返っても、清々しい。

カリスマ高校生から洗礼だらけの銀幕へ

当時の高田宏太郎は、中高生に人気のストリート系ファッション誌「ストニュー」が生んだ「カリスマ高校生」だった。『MEN'S NON-NO』などでモデルを務め、身長は186cm。高校を卒業して本格的に芸能活動を始めたばかりだったが、キャリアの滑り出しから主演作はすでに3本を数えていた。

初主演作『9-NINE』(2000年)では挿入歌も担当し、わずか2週間の過酷な撮影で体重が7キロも落ちた。映画ってこんなに大変なものなのかと思い知らされた。それでも、手酷い洗礼を浴びながら最後までやり切った経験が、役者としてのささやかな自信になっていた。

翌2001年の夏は、さらに怒涛の展開が待っていた。8月には主演映画『バックステージ』が公開され、『世界ウルルン滞在記』のロケでアフリカ・エチオピアへ。ロケ中に3日間熱を出し、帰国後も舞台挨拶などの仕事をこなしていたが、夜になると40度近い熱がぶり返す。血液検査の結果マラリアと判明し、1週間の入院となった。

『Go!』の公開を前に彼がインタビューに応じたのは、そんな九死に一生を得たあとのことだった。

ダサさの奥にある愛嬌

『Go!』は矢崎充彦監督にとって初の劇場用作品だった。物語の主人公・西野康助は高校2年生。配達中にプロカメラマン・令子のレンズを壊してしまい、弁償の代わりに自分で焼いたピザを持っていく約束を交わす。だが、彼女は故郷の長崎へ帰ってしまっていた。

約束を果たすため、康助はバイト先の宅配三輪バイクにまたがり、1300キロもの無謀なデリバリーの旅に出る。当時の公式サイトは、この型破りな主人公を「激レア・セブンティーン」と称した。

高田の目に映った康助は、愛嬌こそあれど、かなり危ういキャラクターだった。他人の財布をくすねたり、ラブホテルから無銭退室したりと、なかなかの悪童ぶりも見せる。脚本を読んだときは、なんでこんなダサいヤツがいるんだろうと思った。ただ、そのダサさをちゃんとやり通せば、かわいくも、かっこよくもなりそうだった。

自分と性格が似ているわけではない。ただ、本当に好きなことをやっているときにガーッと突っ走ってしまうところには、共感できた。当時の高田にとっての映画の現場やバンドへの衝動は、康助がバイクを走らせて長崎を目指した盲目的なエネルギーと、たしかに共鳴していた。

制服を着たまま寝て起きたら別の県

ロケは真冬に敢行された。ロケバスで移動しているあいだも、高田は宅配ピザの制服を着たままで過ごした。寝て起きたら別の県に着いていて、さあ降りて、と言われればそのままバイクにまたがる。撮影の前半は、睡眠時間が4時間取れればマシという過酷なロードロケだった。寒さのなか、微熱を抱えてカメラの前に立った日もある。クリスマスの夜は雪の降る広島あたりでの撮影だった。

だが、現場で燃え盛っていたのは矢崎監督のほうだった。高田に言わせれば、監督は自分よりも、劇中の康助よりも熱かった。康助って監督の17歳の頃なんじゃないかと思ったほどだ。お尻を出すシーンでは、監督から、もっと出せ、もっと出せと熱烈な指示が飛び続けた。

ロードムービーの醍醐味として、共演陣も贅沢を極めた。ハーレーを駆る謎の男を演じた山崎努をはじめ、ピザ屋の店長役に伊集院光、尾道の警官役に光石研が名を連ねる。行く先々で、共演者が次々と現れては通り過ぎていく。それでも高田は、相手の芝居に合わせようとはあまり考えなかった。康助は康助だったからだ。『9-NINE』の頃の自分なら、相手の空気に呑まれていたかもしれない。

役を作らず自分が康助に合わせる

監督からの要求に応えつつも、高田は、作るんじゃない、自分が康助に合わせるんだと自身に説いた。台本は数回読めば頭に入る。脚本を読めば人物の輪郭を掴み、ここはこうしなきゃいけない、といった頭でっかちな計算はしない。型にはまった芝居を嫌い、舞台は観る分にはいいが、自分で演りたいとはまったく思わない。

役柄を頭で組み立てるのではなく、宅配ピザの制服に身を包み、冬の道をバイクで走る康助の時間のなかに、丸ごと自分を投げ出す。それが、当時の高田が選んだ表現のあり方だったのだ。

その後、本作は2002年のサンダンス映画祭へ海を渡った。つけられた英題は『Go! Heat Man!』だった。

主人公の康助よりも熱かった監督と、凍てつく冬の道を駆け抜けた18歳の青年。彼らが映画に注ぎ込んだむき出しの体温を思えば、これ以上ないほどぴったりのタイトルだったと思う。


※記事は執筆時点の情報です

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