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蓮舫、かとうれいこを輩出した“老舗コンテスト”の最後のグランプリ。20年前、4946人の頂点に立った19歳

  • 2026.10.14
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2006年9月、クラリオンガールに選ばれた尹うり(C)SANKEI

蓮舫、かとうれいこ、原千晶や相沢紗世らを世に送り出してきた老舗コンテスト「クラリオンガール」。昭和から平成へと30年以上の歴史を重ねたそのコンテストが、2006年を最後に休止したことを覚えているだろうか。

最後のグランプリに選ばれたのは、当時19歳の尹うり(ゆん・うり)。お台場のステージで彼女が披露したのは、意外にもテレサ・テンの名曲『つぐない』だった。

応募者4946人の大会で響いた昭和歌謡

2006年9月、東京・お台場で決勝を迎えた「Clarion MEDAMA 2006」は、カーオーディオメーカーのクラリオンとフジテレビがタッグを組んで開いたコンテストだった。ガール部門に掲げられていたのは、「メディアデビューを目標とし、音楽を愛する女性」。

応募者は4946人にのぼった。激戦を勝ち抜いた12人のファイナリストが並ぶ決勝の舞台では、アクションやバスケ、弾き語り、さらにはエアギターまで、バラエティに富んだ特技が次々と繰り広げられた。

そんなにぎやかな顔ぶれの中で、尹うりが歌ったのが、昭和の哀愁漂う『つぐない』だった。

「黙って立っているとき、歌っているとき、しゃべっているときの表情がすべて違う」と、審査員は彼女を高く評価した。本人はといえば、まさか自分が決まるとは思っておらず、名前を呼ばれた瞬間は「頭が真っ白になった」と振り返っている。手にしたのは、グランプリの栄冠だった。

哲学と「未来の旦那さん」

特技として挙がっていたのは、英語、韓国語、そして哲学すること。当時は『チャーリーとチョコレート工場』を原文で読み終えたばかりで、知性派の一面を持っていた。

ところが、グランプリを一番に伝えたい相手を聞かれると、返ってきた答えは「未来の旦那さん」だった。クレバーな文学少女の顔を見せたかと思えば、どこか夢見がちなロマンチストの顔ものぞかせる。

かと思えば、フジテレビの公式サイトに掲載された一問一答では、喜びを伝えたい相手に「親友」と等身大の答えを返している。

また、歌を披露して栄冠を掴みながらも、本人の視線はすでにその先を見据えていた。憧れのタレントには鈴木えみと梨花を挙げ、「お芝居に一番興味がありますが、いつかは歌にも挑戦したいです」と夢を語っている。いつかは歌も、と言い添えつつ、一番に挙げたのはお芝居だった。

有言実行のドラマ出演と海を渡ったランウェイ

その言葉通り、彼女の歩みは早かった。

選出からわずか4か月後の2007年1月には、BS-iのオムニバスドラマ『恋する日曜日』第3シリーズの一編「マネキンの恋」で和田聰宏と共演。続く6月にも同じBS-iの『怪談新耳袋』スペシャル「黒い男たち」に出演し、小出早織演じる主人公の同級生・栄子役を務めた。お芝居に一番興味があると口にしてから、1年も経たないうちのことだった。

さらに活躍の場は演技にとどまらない。同じ年の秋には「ミス東京ガールズコレクション」のファイナリストに選出。11月には日本代表7人のうちの1人として、韓国・ソウル郊外で開催された「THE ASIA-PACIFIC SUPERMODEL CONTEST 2007」の舞台に立っていた。

中国、韓国、タイのファイナリストたちとともに、1か月に及ぶ合宿生活を乗り越えて臨んだアジアの大舞台。クラリオンガールに選ばれたとき特技に韓国語を挙げていた19歳は、翌年には海を渡り、国際的なランウェイを歩いていたのである。

歴史の幕引きに刻まれた自由な足跡

1975年に初代のアグネス・ラムが選ばれてから、昭和と平成の芸能界に数々のタレントを送り出してきたクラリオンガール。だが、この2006年大会を最後にコンテストは休止となり、その栄光の系譜は事実上の幕引きを迎えた。

名簿の最後に刻まれた名前、尹うり。

立ち姿、歌、おしゃべり。審査員が見抜いた三つの表情にとどまらず、彼女はその歩みをたどるたびに新しい顔を見せてくれる。昭和と平成を駆け抜けた老舗コンテストのラストを飾ったのは、ひとつの型に収まらない19歳だった。


※記事は執筆時点の情報です

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