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「派手」なのに「さりげなく」?45年前、17歳が背負った“ツッパリの美学”の一曲

  • 2026.10.12
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2022年7月、バースデーライブをおこなった近藤真彦(C)SANKEI

「ギンギラギンにさりげなく」

派手に光ることと、何気なく振る舞うこと。並べてみると、2つの言葉はまるで反対の方向を向いている。目立ちたいのか、目立ちたくないのか。理屈で読もうとすると、たちまち迷子になる。

ところが、口にしてみると不思議なほど迷わない。ぎらぎらした熱を胸に抱えたまま、涼しい顔で背中を向ける。矛盾した2語は、説明を待たずにひとりの少年の立ち姿になってしまった。この決めゼリフは、意味を考えるより先に、態度として胸に入ってくる。

派手さとさりげなさを、同時にやってのける。大人でも難しいこの芸当を、まだ10代の歌い手がまっすぐに背負ってみせた。

近藤真彦『ギンギラギンにさりげなく』(作詞:伊達歩/作曲:筒美京平)ーー1981年9月30日発売

隠すほど伝わってしまう胸の内

曲の主人公は、胸の内に燃えるものを確かに持っている。命がけと言っていいほどの想いだ。けれど、その熱を相手の前で見せびらかすことはしない。派手に生きることと、ひけらかさないこと。2つを両立させるのが、この男の決めた流儀だ。

肩で風を切るツッパリの美学は、強がりと照れくささがいつも背中合わせになっている。本当は熱いのに、熱くないふりをする。その不器用さが、どうしようもなく愛おしく映る。

発売時、近藤は17歳。大人の男の処世を語るには、まだ若すぎる年齢だ。大人が歌えば渋い人生訓になる言葉も、10代の少年が真顔で歌うと、精いっぱい格好をつける宣言に変わる。強がりの奥から初々しさが透けて見える。この曲の甘酸っぱさは、背伸びと素顔のあいだのわずかなずれから生まれているように感じる。

朝まで灯る部屋から少年へ言葉が渡る

詞を書いた伊達歩は、のちに作家として名を成す伊集院静の別名だ。

近藤が初めて伊集院に会った日の記憶は、どこか映画の一場面のようだ。黒いロングコートで現れた男が手渡したのは、逗子のなぎさホテルのマッチ。当時の伊集院は海辺のホテルに長く身を寄せ、先の見えない日々を送っていた。夜更けまで灯りの消えない部屋で、無頼の大人が書きつけた言葉が、駆け出しの少年のもとへ届いたことになる。

ホテル暮らしの男の詞だと知ると、さりげなくという言葉の響きが少し変わって聞こえる。見栄も弱さも知りつくした人の手で書かれたからこそ、熱を隠して涼しく笑うことの難しさがにじむ言葉に聞こえる。

近藤は、大人の美学をそのままなぞろうとはしなかった。借り物の渋さではなく、自分の年齢なりの格好よさとして着こなしてみせた。大人が差し出した流儀が、歌ううちに本人の流儀になっていく。詞と歌い手のあいだで起きたこの受け渡しが、曲にまっすぐな体温を与えている。

洗練の名手が鳴らした荒削りなロック

作曲は、デビュー曲『スニーカーぶる〜す』から近藤の初期作を手がけてきた筒美京平。本作は4枚目のシングルにあたる。編曲は馬飼野康二が担当した。

筒美といえば、洗練されたメロディで歌謡界を支えた作曲家だ。ところが、この曲から聴こえてくるのは、まっすぐで荒々しいロックの手ざわりだ。洗練の人が書いたとは思えないほど、理屈より先に体が前へ出る曲に聴こえる。

主人公は考えるより先に動き、迷う前に決めてしまう。この衝動は、当時の近藤がまとっていたやんちゃで反骨的なにおいと、ぴたりと重なった。上手に歌いこなすより、まっすぐにぶつけてくる歌のほうが似合う。近藤の歌声は、多少荒っぽくても前のめりに飛び込んでいく若さを隠さず、曲の勢いをそのまま自分の体温に変えているように聴こえる。

荒々しく突き進む曲が派手さの側を引き受け、涼しい顔の詞がさりげなさの側を引き受ける。タイトルの2語は、音と言葉の役割分担としても鳴っている。

賞を重ねるうちに歌手のスイッチが入る

この曲で近藤は、第23回日本レコード大賞の最優秀新人賞を手にする。生放送の歌番組が全盛だった時代、あちこちの番組をめぐってこの曲を歌った。

歌の世界に飛び込んだ少年にとって、新人賞を重ねていく日々は、初めて歌手としての自覚が芽生える時間でもあった。のちに近藤自身は、この曲が出る前は歌手という選択肢がまだはっきりしていなかったと振り返っている。

売れ行きも息が長かった。1981年の年間ランキングで21位に入り、年が明けた1982年も年間37位に名を残す。売上は80万枚を超えた。

さらに、発売年の大みそかの紅白歌合戦にも出場。『オレたちひょうきん族』では片岡鶴太郎がマッチこと近藤の物真似でブレイクし、歌い手の姿は笑いとともにお茶の間へも広がっていった。

嫌った看板が感謝の一曲になるまで

若い頃の近藤には、マッチといえばこの曲、と言われることが嫌だった時期もある。自分を広く知らしめた代表曲は、ときに、そこから先へ進みたい歌い手の足を止める看板にもなる。それでも、のちに近藤がこの曲について語ったのは、感謝の言葉だった。伊集院を見送ったあとのステージで、アンコールに選んだのも『ギンギラギンにさりげなく』だった。

2026年7月には、近藤のオリジナル曲339曲の配信が解禁され、約2か月で全体の再生数は500万回を超えた。かつての歌声に、いま触れられる入口が増えている。

17歳の少年が背負った決めゼリフは、若さを閉じ込めたまま、歌い手とともに歳月を重ねた。あの頃は精いっぱいの背伸びに聞こえた言葉も、いま聴けば、その後の長い歩みまで重なって響く。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

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