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SUPER BEAVER渋谷龍太のエッセイ連載「吹けば飛ぶよな男だが」/第63回「火災警報」

  • 2026.9.27

夜は自分にとって最も好きな時間である。夜は人と楽しく会える時間であり、また有意義な一人の時間を過ごすこともできる。約束があれば嬉しいし、約束がなくても嬉しい。毎日夜が待ち遠しい。

『吹けば飛ぶよな男だが』を読む

その日は人と会う約束がなく、何をして過ごそうか夕方あたりからワクワクしていた。

夜の選択肢は無限だ。まア朝と昼に覚醒できない私だからそう感じているだけなのだが。夕方あたりからどんどん元気が出てきて、0時がピーク。瞬きするのも勿体無いと思うくらい覚醒している。なので映画に集中したり、読書に没頭したり、入念にストレッチしたり、部屋を片付けたり、兎に角なんでも精度が上がるし、そして楽しい。もちろんこのエッセイも夜書いているものが多い。

何を始めるにしても、きっかけは入浴だ。長い時間湯船に浸かって一度自分のリセットボタンを押す。連絡が滞りやすい私はここで溜まった連絡を返す(後は移動中か、不意に発生した待ち時間。それ以外うまく連絡が出来ない)。風呂から上がったら、いざ本番、その日がスタートすると言っても過言ではない。

うまく連絡が返せた(形容し難いがうまく連絡が返せない日もあるのでこういう感覚が生じる)というのもあり、すごく機嫌が良かった。集中の第一歩は小さな物事の達成から始まる。よって、今日の読書は大成功が確定しているようなものだった。キテルキテルー! と目を開きっぱなしで環境を整える。

部屋着に着替え、コーヒーを淹れ、乾かしたばかりの髪の毛をまとめる。携帯電話は目に見えないところに置き、読みかけの文庫本をセット。後はページを開くだけ。どうしよう、もう楽しい、もう嬉しい。「あはは」と大きな声で笑い、いざ、とページを捲ったその時だった

ギュワ! ギュワ! ギュワ!

こんなに驚いたことがないという程驚いた。これが警告を告げる類の音だというのは知っている。ただ私は携帯も警報が鳴らない設定にしており、テレビももちろん消えている。

音の鳴る方へ目をやると、それは玄関から鳴り響いていた。え、玄関にスピーカーあったんだ! と、どうでもいいことで驚けるくらい気が動転していた。

なぜここまでパニックを起こしているのかというと、音のデカさが尋常ではないからだ。

何を隠そう私はフロムライブハウスの男であり、しかも自分で音楽をやる前から高円寺二万電圧のスピーカーの真ん前でライブを見ていたような男である。爆音なんて滅茶苦茶慣れている。そんな私が、ビビるくらいの爆音だったのだ。あとは音の種類もあるのだろう、本能的になんか怖い。危機感を募らせる独特のその音は、四十手前の男をワナワナさせるには十分過ぎた。

「おおお、やべ」

うっかり出た独り言が情けなさすぎて悲しくなった。そしてスピーカーからは機械的なアナウンスが続いた。

「マンション一階で火災が発生しました」

いや、待って、まじか。そして上の階ならまだしも一階て。やばいだろ。

警報、アナウンス、警報、アナウンスの順番で玄関のスピーカーからは爆音が鳴り続ける。ただ正直、今は火災が発生した事実より、この音の方が全然怖い。もうわかったから、火を消す前にこの音を消して欲しい。泣きそう。

爆音の隙間を縫って、マンションの廊下で人が往来するような音も聞こえる。本格的にこれはやばいかもしれない。

私のモットーは沈着冷静だ。特に緊急事態、トラブルにおいて一番大切にしている。ただ、大切にしているだけでいざ窮地に立たされると、モットーとか、なんかもう本当にどうでも良くなるのだということがわかった。私は目も当てられないほど慌てふためいた。

(どうしよ、何したらいいんだ、まず何からしたらいいんだっけ、あとモットーって言葉なんかムカつくな。まず何語だよモットーって)

思考ばかりが高速で巡る。

(多分これ、誰かと暮らしてたりしたらそんなことなかったんだろうなア。自分より安心させなければならない対象がいたのなら、多分こんな風になってないと思うわ、本当。嘘じゃないって。なぜなら私は生粋のええかっこしいだもん。一人暮らしの弊害だわ、良くない良くない)

そんなことを、凡そ0.5秒くらいで考えた。

ただそんなことを考えている場合ではないことくらいこの心境でもわかる。急いで行動だ。まず急いで立ちあがろうとしたが、もう既に立っていた。急いで寝室に行き、意味がないことにハッとして、リビングに戻る。腰に手を当て、持ち出さねばならないものを考えるも、まじで何にも思い浮かばない。どれも同じくらい大事で、どれを抜粋していいのか全く分からない。幸い猫は外出中。一から荷造り出来ればいいが、吟味してパッキングしている余裕なんかもちろんない。おそらく二分くらいうろうろした。そして私はこれだというものを手に取り、玄関を飛び出した。

その途端、警報がパタっと止み、機械音とは違う、管理人と思しき冷静なアナウンスが廊下に滔々と響いた。

「えエ、ただいまの警報ですが、誤報だということが判明いたしました。繰り返します、ただいまの警報ですが、誤報だということです。大変お騒がせ致しました。ただいまの警報は誤報であります」

こわばっていた全身から力がフッと抜けるのがわかった。住人たちはぶつぶつ言いながらも各々の部屋に戻っていく。私も大きく息を吐き、気持ちを落ち着かせ、自室へ引き返したのであった。

音の止んだ玄関のスピーカーを仰ぎ見る。なんだよ、と思う気持ちと共に、誤報で本当に良かった、と私は再度大きく息を吐き出した。

非日常から日常に戻すため、一旦歯でも磨いて心を整えようと洗面所に立つ。歯ブラシに歯磨き粉をつけ口に入れる。顔を上げて鏡に映った自分を見て、私は驚いた。

私は眼鏡を掛けていた。

ちなみに私は目が悪いわけではない。この眼鏡はパソコン作業の際にかけるブルーライトをカットするための眼鏡だ。

つまり何が起きているのかというと、慌てふためいた私は、立ち上がってるのに立ちあがろうとした後、無駄に寝室に向かい引き返し、腰に手を当て機能停止した後、あれこれ考えながら二分もうろついた挙句、家を飛び出す間際に掛けたのだ。眼鏡を。

人間、窮地に立たされると何をしでかすか分からない。火事場で馬鹿力を発揮する人もいれば、奇跡的な嗅覚で人命を救う人もいるのだろう。そんなヒーローたちを尻目に隅っこでいそいそと眼鏡を掛ける奇人もいる。しかもブルーライトカットするやつ。カットするブルーライトもない状況で。

窮地においての選択を間違えまくってる事実に直面して、募りに募った情けなさに、私は動けなくなった。鏡に映った私と目を合わせたまま切に思ったのだった。私って一体。

ギュワ!

爆音が鳴って、口から歯磨き粉が大いに吹き出る。直後にアナウンス。

「はい、えエ。間違って音が鳴ってしまいました。失礼しました」

私は玄関まで走り、スピーカーに向かって思い切り歯ブラシを投げつけた。

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