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「話をするのも店の仕事だ」理容店を継いで四十年。20年通った常連が怒鳴った日、店から消えたもの

  • 2026.9.17
「話をするのも店の仕事だ」理容店を継いで四十年。20年通った常連が怒鳴った日、店から消えたもの

朝いちばんの椅子で、鋏が止まった

理容店を継いで四十年になる。父の代から使っている椅子が二つ、鏡が二枚。

予約帳は今も紙のままで、朝いちばんの欄には長いあいだ同じ名前が入っていた。

20年通ってくれている常連客だった。

開店とほぼ同時に戸を開け、決まって窓側の椅子に座る。襟足の癖も、鋏を入れる順番も、私の手のほうが覚えていた。

「おはようございます。今日も、いつもくらいでいいですか」

「ああ。いつもので」

私は昔から、髪を切りながらよく話す。

天気や商店街のことなど、他愛のない話ばかりだ。

父から「話をするのも店の仕事だ」と教わり、それが当たり前になっていた。

ただ、その朝の常連客は何度も鏡越しに時計を見ていた。

耳の上を整えながら、私はいつもの調子で話しかけた。

「今年は桜、少し早そうですね」

その瞬間、相手が声を荒らげた。

「悪いけど、早くやってくれ」

思わず手が止まりかけた。

「急いでらっしゃいますか。もう少しで」

「だから、早くやれって」

さっきより強い声だった。

「はい。分かりました」

私は話すのをやめ、手元に集中した。急かされても雑に仕上げるわけにはいかない。

仕上げを終え、会計をして見送るまで、店には鋏とドライヤーの音だけが響いていた。

世間話をやめた、次の来店

その数日後、別の常連客を切っていたときのことだった。

前の一件が頭にあったので、私はいつもより話を控えていた。

それでも何度か話しかけると、相手が鏡越しに言った。

「悪いけど、今日は静かに切ってもらっていいか」

「あ…はい。もちろんです」

「今日はちょっと、喋る気分じゃなくてな」

怒っているわけではなかった。その一言で、私は初めて考えた。

自分では客を退屈させないために話していたつもりでも、話したくない人まで付き合わせていたのかもしれない。

その晩、店じまいをしながら決めた。長年続けてきたやり方を、少し変えてみよう。

次に、あの20年来の常連客が来た朝。

「おはようございます。今日も、いつもの長さでいいですか」

「…ああ」

それだけ確認すると、私は黙って鋏を動かした。

しばらくして、相手が鏡越しにこちらを見た。

「今日は、ずいぶん静かだな」

「そうですね。今日は手元に集中しようと思いまして」

「…そうか」

それきりだった。

次の来店でも、私は同じようにした。必要なことだけ確認し、こちらから世間話を始めることはしなかった。

そして、その次の予約は入らなかった。

翌月になっても、その次の月になっても、朝いちばんの欄は白いままだった。

妻が予約帳を見ながら言った。

「あの人、最近来ないね」

「……そうだな」

なぜ来なくなったのかは分からない。私が黙るようになったことと関係があるのか、それすら確かめようがなかった。

今、朝の店に流れているのは小さなラジオの声だ。二つの椅子を拭き終えると、私は戸を開け、いつものように店を開ける。


※本記事は、GLAMが独自に実施したアンケートで寄せられた60代以上男性読者の体験談をもとに、プライバシーに配慮し、人物・状況・会話表現などを一部編集・再構成して記事化しています

※本コンテンツ内の画像は、生成AIを利用して作成しています。

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