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【ある日突然、親が病気になったら?】CLASSY.世代が話す「やっておいてよかったこと」

  • 2026.9.13
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親の“もしも”は老後だけじゃない。突然訪れる変化へのシミュレーションはできていますか?看病を経験したCLASSY.世代4名にどんな行動を取ったか教えてもらいました。あなたの心の備えにしてみてください。

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Case.01 介護も楽しみながら笑いながらでいい

暗い顔をしていてもみんなが暗くなるだけ 誰も文句を言わないし喧嘩をすることもなかった

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糖尿病とがんを患っていた父。いつどうなるかわからないという心構えはいつもあった気がします。失明したのは本当にある日突然。介護が必要になり、家族の生活は一変。最初はショックでしたけど、父の体の変化も笑って受け入れながら介護できたのがうちの家族。家族仲が良いこともあって、父の世話はまったく苦ではありませんでした。半年ほどの自宅介護が続き、父の体力は落ち症状も悪化したため入院に。先が長くないと悟ってからは、姉が予定していた家族挙式を早め、父に出席してもらえるよう家族で力戦奮闘。

看病以外の目標があると頑張れた 姉は家族婚を早め、私は フルマラソンを完走。安心させたかった

それから父はマラソン好きで、自分の走りで少しでも元気が出ればと思い、私はフルマラソンの大会に挑戦。応援しに来てもらいました。でもこれは、自分たちのためでもあったんです。誰かのために動くことは物事が良く回ることが多いし、闘病以外の目標ができたことで家族の気持ちも前向きになれたから。介護が始まってから亡くなるまではほぼ友達と会わず、事情も誰にも言いませんでした。もし話して「大変だね」と言われたときに現実を認めるのが怖かったんだと思います。自分を誤魔化す手段だったのかも。闘病していた約2年間、家族の誰も文句を言わなかった。

ハッピーが溢れる家族だったから 父が変わっていく姿にも 明るく、笑顔で寄り添った

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ただ、しばらく経って母と喧嘩したときに「あのときもっと気にかけて欲しかった」と言われて。仕事を頑張って父を安心させたい気持ちがあったんですけど、その分母に寄り添えてなかったのかな。もっとサポートすべきだったと初めて気付かされ、後悔を感じることもあります。でも基本的にはよくやった。ハッピーな家族だから、介護を悲観的に捉えず、楽しむマインドでいられたことは、家族全員の何よりの救いだったと思います。

響いたコトバ

一回みんなで泣こう(from 母)
父が失明した数日後、みんなが戸惑い心ここにあらずで、母が突然言い出した言葉。堰き止めていた感情が一気に溢れ出し、家族で号泣。この時間があったから、その後前向きに過ごせたのかもしれません。

CLASSY.リーダーズ5期生
長江里穂子さん
34歳・メディア関係勤務。「父・母・2人の姉・私の5人家族。8年前に父が糖尿病とがん起因により失明、家族での介護生活がスタート。通院しながらの自宅介護が約半年、その後入院が1年ほど続いた後、鬼籍に」

Case.02 母不在でも変わらぬ生活を続ける それが母の何よりの安心になった

母にどう気遣いをすればいいかと悩んだけれど
「乳がんの手術をします。もしものことがあるかもしれない」と突然母に告げられたのは3年前。通院していることは知っていたものの、以前に別の治療をしていたから定期検診かな…としか思っていなかったんです。手術に成功して日常生活に戻れた今でこそ体調のことは聞くけど、もっと普段から気にかけてあげるべきだったと思います。母は「もしも」のことも考えていたようで、父を中心に私たちが家事分担をして、家庭をきちんと回せていることが何よりの安心のようでした。母への対応に悩むことも多かったけれど、無理して励まそうとするよりも、家族への愛を持った生活をすることが、何よりの応援になることを実感しました。

響いたコトバ

話したいときは聞くけど、普段はそっとしておくね(from 夫)
当時はまだ彼氏だった現夫に言われた言葉。「自分ができることは何もないけど、落ち込んだときに支えられる存在でありたい」と言ってくれたのが何よりの助けでした。

Nさん(28歳/不動産関連勤務)
「父・母・弟・私の4人家族。突然母に『手術をする』と告げられ寝耳に水状態。父も直前まで知らず、母は友達に相談していたらしい。抗がん薬治療の副作用などあったけど今は日常生活を送れています」

Case.03 同じがんと闘う人をSNSで探し情報収集 生活の注意点や名医を知るために

「退院後何食べに行く?」未来の約束で前向きになれた
ステージ4のがんが発覚した母。入院中は一切の固形物を食べられず、点滴による栄養補給と水分のみ。一方で私は好きなものを食べている現実に罪悪感を抱いたこともありましたが、母は退院したら何が食べたいと楽しそうに話すので、私の不安を吹き飛ばしてもらったくらいでした。病気のことをインターネットで調べているうちに、同じ病を患い情報発信をしている、母と同世代の方を見つけてDM。病状や治療法を教えてもらい、励ましの言葉までいただいて「自分だけじゃない」という心強さと優しさをもらった瞬間もありました。闘病はイメージするほど悲観的なことばかりでなく、前向きさと人の優しさが集まっていると感じます。

響いたコトバ

ママは強いから大丈夫(from 家族)
誰よりも前向きで楽観的だった母。家族が落ち込むことももちろんあったけれど、その度にこの言葉をかけ合い「笑う門には福来る」を信条に笑顔を絶やさないようにしました。

Tさん(27歳/広告関連勤務)
「父・母・姉・私の4人家族。去年母が大腸がんに。ステージ4で転移もあり、何も食べられない期間が半年あったけれど母持ち前の前向きさで乗り越え、現在は元の生活に戻れています」

Case.04 「付き添って欲しい」母の不安に応えるべく 職場に伝えて、病気と伴走する毎日に

知らない親の姿がある…その事実にハッとした
地域の健康診断を受診した母。精密検査を勧められ、いい病院を調べるも診察が不十分だったり、大病院だと予約が取れるのが少し先の日程だったりと、予想外の空白の時間がありました。その間はステージ1のがんとはまだ知らないため、万が一があったらと毎日が怖かった。ひとりっ子なので父としか気持ちを共有できないことも心許なかったです。母が入院してハッとしたのは、母が弱っているときにどうして欲しくて何を食べたいのか知らなかったこと。私のことは把握してくれているのに、私は元気なときの親のことしか知らないんだなって。これからまたいつか両親のこんな場面に遭遇するはず。知らない親の顔を少しでも減らしていきたいです。

響いたコトバ

今は家族優先で考えてくれていいよ(from 上司)
「仕事は気にせずお母さん優先で」と言ってもらえたので、有休を取るのにも後ろめたさを感じずに済みました。検査や面談をするときも母をひとりにすることなく過ごせて良かった。

Hさん(31歳/食品関連会社勤務)
「父・母・私の3人家族。6年前、母が60歳のときに地域の健康診断を受診。還暦の節目だからと私がオプション検診をつけたら精密検査となり、乳がんが発覚。現在は定期検診のみで元通りの生活に」

撮影/イマイハルカ 取材/野田春香 編集/宮島彰子 再構成/Bravoworks,Inc.
※CLASSY.2026年9月号「ある日突然、親が病気になったら。」より。
※掲載中の情報は誌面掲載時のものです。商品は販売終了している場合があります。

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