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『オデュッセイア』クリストファー・ノーラン流の解釈を考察!主人公、オデュッセウスは本当に英雄と呼ぶにふさわしいのか?

  • 2026.9.12

果たして次はどんな世界を見せてくれるのか?いま、そんな期待を抱かせる監督はクリストファー・ノーランくらいだろう。しかも彼はそういう想いを裏切ったことがないという、まさに映画界のミラクルメーカー。『オッペンハイマー』(23)でアカデミー賞監督になって以来、初めてになるこの『オデュッセイア』(公開中)も世界中で大ヒットを更新し、そのミラクルは続いている。

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『オデュッセイア』は古代ギリシャの詩人、ホメロスが遺した冒険叙事詩を映画化したもの。ホメロスの作品には10年に及ぶトロイア戦争を語った「イーリアス」、ギリシャ軍を勝利に導いた知将、イタケの王・オデュッセウスの故郷に帰るまでの10年間を描く「オデュッセイア」があり、ノーランが選んだのは後者、長い旅の代名詞にもなった英雄譚であり冒険譚だった。

が、冒頭に流れるテロップで、原作に親しみがある者は少々驚かされる。「一見、夢のような時代の話」とあるからだ。これはなにを意味しているのか?

なぜオデュッセウスはマット・デイモンなのか?

主人公オデュッセウスを演じたマット・デイモン [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS
主人公オデュッセウスを演じたマット・デイモン [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS

ノーランの『オデュッセイア』は、私たちが原作で知っているそれとは大きく違っていた。英雄譚でもなければ、ある意味、神話的でもない。ノーランが常にこだわる“リアル”。それをこの誰もが知る物語に持ち込んだエピックドラマ。“ホメロスの『オデュッセイア』”ではなく、“ノーランの『オデュッセイア』”になっていると言っていい。ということはつまり、冒頭のテロップは、神や魔女やモンスターが存在する神話的、魔術や予言がまかり通る世界を、現実との境界線があやふやな“夢”という感覚で描いているというノーランなりのエクスキューズだったと解釈できる。

キャスティングが発表された時、オデュッセウスにマット・デイモンというのは、原作ファンからすると「ちょっと違う」だった。かつて映画でオデュッセウスを演じていたのは、カーク・ダグラスだ。1954年製作の映画『ユリシーズ』(ユリシーズはオデュッセウスのラテン語名の英語読み)の彼はまさに英雄らしく頼もしい王で、その印象が強烈だったからかもしれないが、もっとがたいのいいパワフルな俳優がよかったのではないかと思っていた。

が、物語が進むうちにデイモンを選んだ理由が見えてくる。ノーランはオデュッセウスを英雄として描こうとはしなかった。一緒に故郷を目指す部下たちから崇められるどころか反感を買われ、彼らのほうも命令に背いてばかり。いや、原作もそういうところは多々あるのだが、デイモンが演じることでより英雄部分が削ぎ落されていく、という効果が生まれている。考えてみればオデュッセウスは、自分だけが故郷の土を踏み、部下を全員失ったのだから…というところに、リアリストのノーランは目をつけたのかもしれない。「本当に英雄と呼んでいいのか?」ということだ。

 炎に包まれるトロイア。合戦中のオデュッセウスの姿はどう描かれている? [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS
炎に包まれるトロイア。合戦中のオデュッセウスの姿はどう描かれている? [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS

では、ノーランの創造したオデュッセウスはどんなの人物なのか?彼を待ちわびる妻ペネロペ(アン・ハサウェイ)が授かる予言、「海からやって来る男が世界を滅ぼす」がいい当てているように、新しい価値観をもった男として描かれる。自分が仕掛けた木馬によるトロイアの陥落を悲しみをたたえた目で見つめ、ギリシャ軍に蹂躙される人々から目を背けるような男。炎に包まれ、阿鼻叫喚の地獄絵を繰り広げるトロイアの首都イーリオス(前日譚となる「イーリアス」はここから取られている)の描写をアクションシーンとしてではなく、オデッセウスの痛み、彼の価値観を変えたに違いない忌まわしい記憶として表現したことで、その変化と想いが伝わってくる。しかもノーランは、そんな世界を呆然と見つめるオデュッセウスに「また過ちを繰り返すだろう」と言わせている。そう、いまの時代と重ね合わせてもいるのだ。神話が現代も読み継がれているひとつの理由が浮かび上がって来るではないか。

故郷イタケでは王妃を巡った争いも…。オデュッセウスの妻ペネロペをアン・ハサウェイが演じる [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS
故郷イタケでは王妃を巡った争いも…。オデュッセウスの妻ペネロペをアン・ハサウェイが演じる [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS

世界中の誰もが知る物語を自分の色に染めかえる、ノーランの挑戦

 『オデュッセイア』はクリストファー・ノーラン監督作として全米、全世界で最高の興行収入を更新! [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS
『オデュッセイア』はクリストファー・ノーラン監督作として全米、全世界で最高の興行収入を更新! [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS

おもしろいのは、トロイア戦争のもう一人の英雄、ギリシャ軍の総大将、アガメムノンの扱い方だ。(ほぼ)顔を出さず、常にマスクを被った状態で登場させている。やはり英雄色をなくすための手法のひとつなのかもしれない。余談だが、アガメムノンは黄金のデスマスクで有名な人物。それで常にマスクを被らせたのか?なんて深読みもできないことはないのだが。

ギリシャ軍総大将アガメムノン(ベニー・サフディ)。劇中でも素顔はほぼ見えないが… [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS
ギリシャ軍総大将アガメムノン(ベニー・サフディ)。劇中でも素顔はほぼ見えないが… [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS

また、もうひとつ、キャスティングとして問題視されていたトロイア戦争の発端となったスパルタの絶世の美女、ヘレンをルピタ・ニョンゴに演じさせた点。筆者も観る前は疑問符だらけだったのだが、リアルを根幹においた本作では違和感が薄れていた。戦争の発端とは言及されるが、「絶世の美女」という説明はなされてない。

ルピタ・ニョンゴがアガメムノンの妻クリュタイムネストラと、スパルタ王妃ヘレンを一人二役で演じた [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS
ルピタ・ニョンゴがアガメムノンの妻クリュタイムネストラと、スパルタ王妃ヘレンを一人二役で演じた [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS

つまりノーランは、オリジナルをベースに自分の紡ぎたい物語にふさわしい世界観を創り上げて行ったのだ。それはファンタジー的なパートにも及んでいる。おなじみの一つ目の巨人ことサイクロプス(キュクロプス)のデザイン。レイ・ハリーハウゼンの『シンドバッド七回目の航海』(58)に登場するサイクロプスのデザインがスタンダードになっているのだが、ノーランのそれは鼻と目がいびつなかたちで配置されたスタイル。彼の感覚ではおそらく一種の異形であり奇形なのだろう。もう一人、オデッセウスの部下たちをブタに変えてしまう魔女キルケー(サマンサ・ノートン)の呪術は、呪文を唱えたりスティックを振ってブタにするのではなく、男たちへの不平不満をこぼしながら、彼らの顔を手でこねくり回して変身させるという表現。そもそもキルケーは絵画等からの印象では若い美女なのだが、本作では中年のおばさん。彼女の恨みのこもった悪態はその年齢だからこそだ。巨人たち(原作では風の神アイオロスの島の住人)もノーランは、大きな彼らに銀の甲冑を着せることでクリーチャー感、モンスター感を払拭。しかもこのシーンはとりわけ美しくミステリアスで、強烈な印象を残すエピソードになっている。

オデュッセウスを進むべき道へと導く、闘いの女神アテナ(ゼンデイヤ) [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS
オデュッセウスを進むべき道へと導く、闘いの女神アテナ(ゼンデイヤ) [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS

神話部分にもその創造は及んでいる。原作ではたびたび顔を出すギリシャ神話の神や女神も名前だけ。オデュッセウスを導いてくれる女神としてアテナ(ゼンデイヤ)が登場するが、ノーランの描き方だと彼の“夢の存在”にも見えてくる。もっとも有名な“トロイの木馬”もリアルにこだわった機能と大きさ。やはり徹底している。徹底して自分の物語にしようとしているのだ。

海に潜む怪物たちと戦いながら、故郷イタケを目指すオデュッセウスたち [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS
海に潜む怪物たちと戦いながら、故郷イタケを目指すオデュッセウスたち [c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS

原作に忠実な部分ももちろんある。『オデュッセイア』は一つ目の巨人が出てきたり魔女が出てきたりで、その冒険譚が大半を占めているように思われがちだが、実は原作はオデュッセウスがイタケに隠密裏に帰国してからの攻防戦部分が意外なくらい長い。で、ノーラン版はちゃんと踏襲していて、2時間55分の後半1時間以上はそれに費やしている。乞食のような姿でかつての宮殿に戻って来たオデュッセウスが、そのボロ衣から短剣を取り出し相手を一撃で仕留めるシーンから、一気にテンションが上がりまくり。デイモンも突然、ジェイソン・ボーンに変身してアクション映画へとシフトする。音楽(『オッペンハイマー』などを手掛けたルドウィグ・ゴランソン)もドラムなのか、古代楽器なのかが効果的に使われたスリリングなサウンドで緊張感が加速する。こういうエンタテインメント的なサービスを欠かさないのもやはりノーラン。約3時間という長さにもかかわらず退屈とは無縁なのだ。

不満もないことはない。オデッセウスがその正体を現す“弓”のシーンが原作とは違う表現になっていた。ここはオデッセウスが一番、英雄として輝くシーンなのだが、ノーランの世界観からは外されてしまったようだ。

世界中の誰もが知る物語を自分の色に染めかえるというのはストーリーテラーとしては大きな挑戦に違いない。かつて、あのDCコミックスのスーパーヒーロー、“バットマン”を“ダークナイト”にしてしまったノーランだからこそできたのだ。すばらしいと思った。

文/渡辺麻紀

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