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映画『オデュッセイア』における「ゼウスの掟」とは何か?専門家に聞く【ネタバレ】

  • 2026.9.4
photo by Melinda Sue Gordon © Universal Studios. All Rights Reserved.

※この記事は映画『オデュッセイア』のネタバレを含みます

クリストファー・ノーラン監督が放つ超話題作『オデュッセイア』が、ついに9月11日(金)より日本でも全国公開される。ホメロスによる古典を実写化した本作には、前もって知っておくとより理解が深まる言葉がいくつか登場するが、そのうちの最たるものが、ギリシャ神話の最高神ゼウスの名を冠した「ゼウスの掟(Zeus's Law)」だろう。

この掟とは一体どんなものなのか、ノーラン監督の解釈はどういうものなのかを、専門家の意見も交えつつ解説する。US版『エル』より。

本作で初めて「ゼウスの掟」という言葉を口にするのは、主人公オデュッセウス(マット・デイモン)の妻、ペネロペ(アン・ハサウェイ)だ。彼女はひとり息子のテレマコス(トム・ホランド)への警告として、押し殺した厳しい声でこう言う――「ゼウスの掟を破ってごらんなさい。そんな口実を与えたら、彼らに何をされるかわからないわよ」と。

ここでの「彼ら」とは、イタケの次なる王の座に就こうと、オデュッセウスの宮殿に客人として居座る数多くの求婚者たちのこと。オデュッセウスたちがミケーネ王アガメムノン(ベニー・サフディ)の軍に加わりトロイアへと出航してから、すでに20年近くが経過しており、ロバート・パティンソン演じる冷酷なアンティノオスを筆頭とするこの求婚者たちはみな、オデュッセウスはとっくに死んだものと考え、ペネロペを妻に迎えようと企んでいる。

テレマコスはオデュッセウスの後継者として王座に就くことを望んでいるが、求婚者たちはそれを許すくらいなら彼を殺してしまおうと企んでいる。しかし、もしテレマコスが求婚者たちに牙を剥けば、彼自身が「ゼウスの掟」を破ることになってしまうのだ。

photo by Melinda Sue Gordon © Universal Studios. All Rights Reserved.

ノーラン監督による「ゼウスの掟」の解釈と活用は、本作のあちこちに見られるクリエイティブな脚色と同じく、非常に興味深い“発明”といえる。監督は、ホメロスの壮大な叙事詩を映画化するにあたり、視覚的な要素や言語(もちろんそれらも豊富だが)よりも、むしろテーマにおいて親しみやすく、そしてモダンに感じられるものにしたいと繰り返し語ってきた。

ノーラン監督が観客に求めているのは、この物語が古代のものでありながら、同時に「驚くほど現代にも通じるもの」だと感じてもらうこと。つまり、この映画を私たち自身のものとしてとらえてほしいと願っているのだ。

彼は2026年6月下旬、『ニューヨーク・タイムズ』紙のインタビューでこう語っている。

「この叙事詩の偉大なところは、異国や古代の出来事としてアプローチしたはずが、掘り下げていくうちに、突如として驚くほど現代との結びつきを感じさせる点にあります。『ゼウスの掟』とは、つまり“黄金律”――自分がしてほしいことを相手にもすること――です。彼らの世界にはそこに神学的な裏付けがあり、目の前にいる客人は、実は人間に姿を変えている神かもしれない、という考えがありました」

「彼らの世界において、それは明らかな生存戦略でした。数日以上家を空けるとなると、必然的に見知らぬ人々の慈悲に身を委ねることになります。それこそ、社会を機能させる唯一の方法だったのです。その概念は今回の映画で非常に重要な要素となりました。そしてさらに掘り下げていくと、現代と何も変わっていないことがわかるでしょう。文明を維持する、あるいは文明そのものを定義づける上で、それがすべてなのです」


photo by Melinda Sue Gordon © Universal Studios. All Rights Reserved.

原作に魅了されてきた者として、私は最初、劇中で「ゼウスの掟」が耳慣れないかたちで使われていることに少し戸惑いを覚えた(ただし、ノーラン監督がこの「掟」をどう理解させたがっているかは容易に想像がついた)。私が読んだ翻訳版の『オデュッセイア』にはこの言葉は登場しなかったうえ、また古代ギリシャにおいて「クセニア」と呼ばれる「もてなし・歓待の概念」とも、やや違うように感じられたからだ。また、ノーラン監督が具体的に「黄金律」に言及したことにも興味をそそられた。

言葉のニュアンスをより深く理解したい、そしてまた、この掟は、クセニアや、多くの宗教や伝統に見られる互恵の精神、あるいは聖書に記されたイエスの教え(「何事でも、人からしてほしいと望むことは、人にもそのとおりにせよ」)とはどう違うのだろうかと考えた私は、ホメロスの世界に深い見識を持つ、2名の古典の教授に話を聞くことにした。

メールを通じて、私は2人に「ゼウスの掟」が古代ギリシャで実際に使われていた言葉なのかを尋ねてみた。

「端的に言えば、ノーラン監督が提示しているような意味での、つまりイエスの『黄金律』の一形態としての『ゼウスの掟』という概念は、存在しませんでした」と解説するのは、ミズーリ大学のジム・クロージャー教授(古典・考古学・宗教学)だ。

ノースカロライナ大学チャペルヒル校のスザンヌ・ライ教授(古典学)もこれに同意し、こう語る。

「『ゼウスの掟』というものはありません。古代ギリシャ、特に叙事詩が文字に書き起こされていたアルカイック期には、特定の分野に関連した人間の法や行動規範は存在しました。これらは神の意志に基づいており、さまざまな神により監督されていると考えられていましたが、神々による成文化された単一の法典や、ギリシャ世界全体に適用されるような単一の大原則は存在しなかったのです」

それでも、クロージャー教授もライ教授も、ノーラン監督が「ゼウスの掟」という言葉を採用したことや、その適用においてクリエイティブな自由を行使したことに対して、決して批判的ではないようだ。

photo by Melinda Sue Gordon © Universal Studios. All Rights Reserved.

もし主人と客人としての一定の儀式的な振る舞いを怠れば、神の怒りを買い、あなた自身や家族、コミュニティ全体がトラブルに見舞われる

なおクロージャー教授は、古代ギリシャの宗教には「アブラハム系の宗教に見られるような正統性」は欠けていたものの、ホメロスが手がけた叙事詩『イリアス』や『オデュッセイア』、さらにヘシオドスが書いた『仕事と日』や『神統記』といった作品は存在したと説明する。

教授によると、「ホメロスの叙事詩は、古代ギリシャ人、特にアルカイック期から古典期にかけての貴族階級の男性たちにとって、人間社会における適切な振る舞いの手本を確立するのに役立った」という。またヘシオドスは、『神統記』の中で「宇宙そのものとギリシャのあらゆる神々の起源を明らかにし」、『仕事と日』では、全知全能の神ゼウスを「王たちの振る舞いや誓い、客人歓待の義務としてのクセニアを監督する神」として位置づけたのだという。

ゼウスはクセニアを統括する神だったと、クロージャー教授は続ける。「したがって、ノーラン監督が言う『ゼウスの掟』がこれを意味するなら、両者は同じものです。ただし、クセニアは黄金律と比べると、倫理的観点においてより根本的なものでした」

では、クセニアとは一体何だったのだろうか? 要するにそれは、当時のもてなしや「客人との友情」に関するルールを定めたものだ。主人(ホスト)は客人を手厚くもてなすことが求められ、客人(ゲスト)は主人に敬意を払うことが期待されていた。

「つまり、主人は客人の物を盗んだり、弱みにつけこんだり、危害を加えたりせず、客人もまた同じように振る舞うことになっていました」「ホテルも高速道路もなかった時代に、人々が旅の途中で互いに助け合い、信頼し合えることは極めて重要でした。古代において、旅は総じて安全なものではなかったからです」とクロージャー教授は付け加える。

だからこそ本作でのペネロペとテレマコスは、神の怒りを買うリスクを冒すことなしに、(一応は客人である)求婚者たちを家から追い出すことができなかったのだ。

それでもなお、ライ教授は「クセニアは黄金律と同じではない」と繰り返す。「特にクセニアについては、『もし、主人と客人としての一定の儀式的な振る舞いを怠れば、ゼウス・クセニオスの怒りを買い、あなた自身や家族、あるいはコミュニティ全体が大きなトラブルに見舞われることになる』というニュアンスの方が強いです」と彼女は指摘している。なお彼女の補足によると、「ゼウス・クセニオス」とは「クセニアや主人と客人の関係を重視する、神ゼウスが持つ側面のひとつ」のことを指すそう。

photo by Melinda Sue Gordon © Universal Studios. All Rights Reserved.

本作の全体を通じて、登場人物たちは、「歓待」の文脈で「ゼウスの掟」について頻繁に言及する。例えばペネロペは、求婚者たちをもてなす主人として「ゼウスの掟」を破ってはならないと息子に警告する。一つ目の巨人キュクロプスの洞窟では、オデュッセウスが臣下たちに対し、火の番をし、主人が帰還した際には「ゼウスの掟」にふさわしい形で出迎えよと命じる。イタケでは、エウマイオス(ジョン・レグイザモ)が、主の不在中に「ゼウスの掟」がいかにズタズタにされてしまったかを嘆く。そして魔女キルケ(サマンサ・モートン)は、客であるオデュッセウスの臣下たちを豚に変えることで、「ゼウスの掟」を破る(もっとも彼女は、彼らの真の姿を暴いただけだと主張するが)。

これらの個々のエピソードはすべて、迫り来る“ある脅威”の噂の中で描かれる。それは、「ゼウスの掟」を尊重せず、文明そのものを脅かすとされる、いわゆる「海から来た人々」だ。ペネロペとテレマコスは、王が不在のままのイタケに、この海から来た人々が上陸するのではないかと恐れている。しかし映画の終盤でオデュッセウスは、自分と臣下たちこそが、その「海から来た人々」だと明らかにする。トロイアでの彼らの行いが、まさに「ゼウスの掟」に対する究極の裏切りだったからだ。

「トロイの木馬」のアイデアを思いついたのは、他ならぬオデュッセウス自身だった。女神アテナ(ゼンデイヤ)への捧げ物としてトロイア人に贈られた木馬の中に身を隠し、城門を通り抜けて内側からトロイアを制圧し、オデュッセウスたちとアガメムノンの軍はいにしえの戒律を破ったのである。ようやく故郷へ戻ったオデュッセウスは、「ひとりの男の策略が、『ゼウスの掟』を永遠に破ってしまった」と、妻に対し苦々しく語っている。

「ゼウスの掟」という概念を用いたことで、神の力がもたらす影響が現代の観客にも理解しやすくなっている

ライ教授は、ノーラン監督がクセニアのような概念を、黄金律といった「より一神教的な宗教概念」と結びつけたことは驚きではないと語る。「彼がそうした理由はよくわかります。『ゼウスの掟』という概念を用いたことで、神の力がもたらす影響が現代の観客にも理解しやすくなっています。ただし、古代ギリシャ人やローマ人がゼウスをどうとらえていたか、あるいは、神々が彼らの生活や世界においてどのように作用すると考えていたかという点では、必ずしも正確だとは言えません」

「古代ギリシャにおけるクセニアのような概念は、表面的には似て見えても、そもそもの意図において、私たちが考える黄金律と結びついていたわけでも、反映していたわけでもないのです」

それでも、「人間が互いに公正に接し合う」という点では、これらの概念にはある程度重なり合う部分がある、とクロージャー教授は述べる。

「ヘシオドスの『仕事と日』における大きな革新は、『ディケー』、つまり『正義』とは、ゼウスが人間たちの間に特別に確立したものである、と説いた点です。動物はこの概念を持ちませんが、人間にはあるのです。これによりゼウスは、人間同士が公正に接することに深く関わる神となりました」

「ただ、これが『黄金律』と同じかと問われれば、私はノーと答えます。ノーラン監督は、このキリスト教的な概念を意図的にこの映画に取り込み、独自の解釈として用いているのでしょう」

photo by Melinda Sue Gordon © Universal Studios. All Rights Reserved.

『オデュッセイア』でノーラン監督は、これまでの作品、特に2023年公開の『オッペンハイマー』でも繰り返し提起してきた倫理的な問いを投げかけている。オデュッセウスが抱える罪悪感は、原子爆弾を生み出した物理学者、J・ロバート・オッペンハイマーが抱えていたものと同じく、彼を押しつぶすほど重い。

2人はともに天才と称されながら、自身の輝かしい才能がどんな結果をもたらしたのかを思い知ることになる。勝利を追い求めるあまり、人間同士の根源的なつながりである「互いを思いやり気遣う掟」を断ち切り、その結果、深い闇へと通じる門を開いてしまったのだ。オデュッセウスは、ペネロペにこう告げている。「トロイアの城壁を焼くことは、世界全体を焼くことだった」と。

映画のラストで、オデュッセウスとペネロペの2人は、テレマコスをイタケの王として残し、自ら追放の身となって旅立つ。これは罰としてというより、エモーショナルでありながら希望に満ちた結末として描かれている。冥界を訪れた際に予言者テイレシアス(ジェームズ・レマー)から言われたとおり、西へと向けて出航するのだ。西の地で2人が行うのは、トロイア戦争で失われた命を悼むこと。しかし、それだけではない。「疫病のように世界に広がる、ゼウスの掟の崩壊」を悼むためでもある。

戦争の英雄であるオデュッセウスは、自分の生きた文明の時代が、やがて歌を通してのみ記憶されることになるだろうと悟っている。それでもなお、彼らは新しい時代を待ち望んでいる。オデュッセウスが言うように、「暗闇に包まれた世界に新たな夜明けが訪れ、我々の過ちが再び忘れ去られる」時代を。

ノーラン監督は、自身の解釈による『オデュッセイア』を通じて伝えたい倫理的な教訓を隠そうとはしていない。黄金律やクセニアといった複数の道徳的アプローチを、「ゼウスの掟」という名のもとにひとつに織りあげることで、観客が目を背けることのできないかたちで、その教訓を華麗に描き出してみせたといえるだろう。

彼が『ニューヨーク・タイムズ』紙に語った言葉が、そのすべてを物語っている――「『オッペンハイマー』と同様、『オデュッセイア』が素晴らしい物語である理由は、深く共鳴できる部分や、複雑な問題、倫理的なジレンマを含んでいるからです。私自身、このストーリーが倫理的な意味でいかに私の心に訴えかけるかについて、並々ならぬ思いを抱いています。観客のみなさんにも、私と同じように感じてもらえればと願っています」

『オデュッセイア』
9月11日(金)日本公開 ※9月4日(金)~10日(木)IMAX®先行上映中

2D(字幕/吹替)、IMAX®(字幕)、Dolby Cinema®(字幕)、4DX(字幕/吹替)、MX4D®(字幕/吹替)、35mm(字幕)の全6種9バージョンで公開

© 2026 UNIVERSAL STUDIOS

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