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世界GP帰りの清水雅広を撃破! 岡田忠之が1989年筑波で掴んだ全日本王座

  • 2026.8.30

1989年の全日本ロードレース最終戦、MFJグランプリ筑波大会。GP250クラスでは、世界GPランキング6位の清水雅広と、初の全日本王座を懸ける岡田忠之が真正面から激突した。追いつき、抜き、抜き返す。最終ラップ最終コーナーまでもつれた名勝負を、イラストレーター松屋正蔵が当時の熱気とともに振り返る。

※この記事は過去に掲載された内容をもとに、WEB向けに再構成しています。

世界GP帰りの清水雅広 vs 岡田忠之 1989年筑波、伝説のGP250決戦

1987年シーズン、新たに全日本へ味の素TERRAホンダチームが発足しました。エースライダーにはチャンピオン経験もある小林大選手、そして清水雅広選手が続く形で、このシーズンは始まります。

ちょうどこの年から、日本GPとして鈴鹿サーキットで世界GPが再開されるという、記念すべきシーズンでもありました。

そして全日本が始まってみれば、清水さんの快進撃が続く、続く。

「誰が清水を止めるのか!」

そんな言葉すら囁かれたほどでした。

1987年の筑波での清水さんは、まさに驚異的な速さでした。オープニングから1周ごとに1秒ずつ、2位以下のライダーを引き離していったのです。

正に“別次元”の速さだったことが分かります。1周約2kmの筑波で1秒差なら、1周約6kmの鈴鹿なら3秒差になる! なんて話までありました。

僕は関東圏に住んでいたので、全日本を観に行く時はほぼ筑波サーキットでした。1987年の全日本は全11戦、そのうち5戦が筑波開催。観る側も忙しいシーズンでした。

いつも数人の友人を誘い、真夜中の首都高を眠い目をこすりながら筑波へ向かいました。

ゲートオープン前には駐車場へ入り、ゲートが開くと皆でスタンド席へダッシュ。全員分の最上段を確保します。

そこまでできれば、あとはレースが始まるまで寝て待つだけ。

最上段なら後ろに人がいないので、誰に遠慮することもなく席の上に立てます。ダンロップ下あたりから最終コーナーまで、よく見渡せました。

ゲートオープンから5分ほどで、その日の観戦環境が決まるわけですから、こちらも必死です。

観客たちのレースは、朝イチから始まっていたということですね。

さて、本題に戻ります。

僕の中には“ベストレース”と呼べるレースがいくつかあります。

そのひとつが今回取り上げる、1989年の全日本最終戦、MFJグランプリ筑波大会のGP250クラスでした。

最終戦ということでシリーズチャンピオンが懸かっているうえ、そこに世界GP帰りの速いライダーが加わる。

「GP帰りが速いのか! 全日本を1シーズン戦ってきたライダーが速いのか!」

いつもの2倍は楽しめる状況でした。

当時の全日本には、多くの世界GPライダーが参戦していました。

鈴鹿の日本GPにはワイン・ガードナーさんやフレディ・スペンサーさん。菅生のTBCビッグロードレースにはケニー・ロバーツさん、バリー・シーンさん、エディ・ローソンさん、ウェイン・レイニーさん、ケビン・シュワンツさんらが参戦。

富士スピードウェイのスーパースプリントレースにも、各メーカーのエース級ライダーがこぞってエントリーしていました。

そして筑波のMFJグランプリにも、ファン・ガリガさんやニール・マッケンジーさんらが参戦してくれました。

今振り返ると、実に贅沢なレース環境だったと思います。

そのなかで今回取り上げるのが、清水雅広さんと岡田忠之さんの真っ向勝負です。

このレースは、岡田さんにとって初の全日本チャンピオンが懸かった大事な一戦でした。

そこへ現れたのが、世界GP帰りの清水雅広さん。

レースファンとしては、「いったいどちらが速いんだ!」となるわけです。

筑波サーキットのスタンドが超満員となるなか、GP250の決勝がスタートしました。

やる気も勝つ気も満々だったポールポジションの岡田さんがホールショットを決め、そのままグイグイ逃げていきます。

一方、スタートで出遅れた清水さんは追う展開。

ダリル・ビーティーさんをかわしながら、逃げる岡田さんとの差を詰めていきます。

約3秒あった差は、みるみる縮まりました。

そしてついに、清水さんが岡田さんのテールを捉えます。

数周にわたり岡田さんの走りを観察した清水さんは、ついにトップへ浮上。

観客席から見ていても違いは分かりました。

岡田さんがゼブラゾーンまで目一杯使って走るのに対し、清水さんは小さく向きを変える。ラインには明らかに余裕があるように見えたのです。

追いつく速さを考えれば、アベレージスピードは清水さんの方が段違いに高かったはずです。

ところが、その後の岡田さんが凄かった。

清水さんのテールから離れないのです。

「走りを変えたんだ」と僕は思いました。

そしてレース終盤、岡田さんは再び清水さんをかわしてトップへ。

勝負は最終ラップまでもつれます。

最終コーナーで清水さんがインへ飛び込み、一度は岡田さんの前へ出ます。

しかし清水さんがアウトへはらんだ隙を突き、岡田さんが差し返しました。

世界GPシリーズランキング6位だった清水雅広さんを破り、そのまま岡田忠之さんがチェッカー。

そして初の全日本チャンピオンまで手中に収めたのです。

観客席は大盛り上がり。

最後は悲鳴に近い歓声まで上がっていました。

このレースは地上波テレビでも放送されたので、普段ロードレースを観ない人たちにも届いたのではないかと期待したものです。

清水さんはこのレースでは敗れましたが、当時の世界GP250には世界中から強豪ライダーが集まっていました。

その中でシリーズランキング6位という成績を残していたのですから、もの凄いことです。

さて、清水さんのライディングフォームにも特徴がありました。

当時のホンダライダーらしいハングオフで、腰はやや後ろへ引き気味。その結果、外足はきれいにマシンのサイドカウルへ寄り添っていました。

リアステア的なフォームとも言えるでしょう。

世界GPのトップライダーと同様、アウト側ステップにはブーツの土踏まずで荷重していたため、つま先がピョコンと外側へ向いていたのも特徴でした。

そして清水さんは、強い気持ちでマシンを曲げているように見えました。

頭はイン側へ傾き、「曲がれ!」と念じるようにさらに内側へ入り、そのまま少し下を向くような姿勢になる。

これも清水さん独特のフォームでした。

清水さんとは個人的にお会いしたことがあり、その際に思い切って聞いてみたことがあります。

「頭を下げて、うつむくようにコーナリングしていますが、あれで前は見えているんですか?」

すると清水さんは、

「前が見えていないと危ないですよ!」

と答えてくれました。

それはそうですよね! と笑いながら、失礼なことを聞いてしまったと反省しました。

さらに、清水さんも岡田さんも筑波では“マイスター”と呼びたくなるような速さを持っていたので、もっと突っ込んだ質問もしました。

「1コーナー進入で頭をイン側へクイクイクイと振りながら、リアタイヤがアウト側へ振り出されていましたが、あの時は何をしているんですか?」

すると清水さんは、

「僕は他のライダーよりリアブレーキを多用するので、その時に向き変えしていました」

と教えてくれました。

現在のように、フロントブレーキを強く掛けてリアの荷重を抜き、後輪を振り出すのとは少し違います。

リアタイヤにグリップを残したまま、マシンを若干バンクさせ、リアを流して向きを変える。

だからこそ、その後の加速も強くできたのだろうと僕は考えています。

清水雅広さんが世界GPで活躍したのは、日本人ライダー旋風が本格化する少し前の時代でした。

そんな時代に世界GP250でランキング6位まで上り詰めた速さ。そして全日本最終戦で、その清水さんを真正面から破って王座を掴んだ岡田忠之さん。

1989年の筑波で見たあのGP250の一戦は、今でも僕のなかで色褪せないベストレースのひとつです。

本当にカッコいい選手たちでした!

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