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【星野仙一からのご祝儀に驚がく】「あの人がいなかったら今の自分はない」元楽天・銀次が語る“人生を変えてくれた男”との秘話

  • 2026.8.29

東日本大震災から2年半が経過した2013年、東北楽天ゴールデンイーグルスは球団創設初のパ・リーグ制覇、そして日本一へと駆けあがった。前日に160球を投げたエース・田中将大を日本シリーズ第7戦の9回に投入した衝撃の采配、そして歓喜の瞬間に号泣しながら指揮官・星野仙一にしがみついた主軸・銀次。闘将から結婚祝いで贈られた「33万円のご祝儀袋」の秘話から、形見のネクタイを締めて臨んだ引退会見まで、銀次が「親父」と慕った星野仙一のリアルな素顔に迫る。【銀次インタビュー全2回の2回目/第1回を読む】

誰もが「オレがやる」の思い――2013年の躍進

2013(平成25)年、東北楽天ゴールデンイーグルスは快進撃を続けていた。「何点差があっても勝てる。あと3イニングあれば引っくり返せる」という空気がチーム全体を包み込み、誰もが「オレがやる」という強い当事者意識を持っていた。主に三番として打線を牽引した銀次自身も、若さと勢いを前面に出してシーズンに臨んでいた。

「ベテランのすばらしい先輩方がたくさんいる中で、僕自身は“自分がいちばんだ、自分がこのチームを引っ張っていくんだ”という強烈な思いを持って打席に立っていました。“東北のため、そして星野さんのため”という思いと同時に、“オレを見ろ”という気持ちが、いい相乗効果を生んでいたと思います」

チームの軸となったのは、キャプテンの松井稼頭央だった。さらに正捕手の嶋基宏、内野の要である藤田一也の3人が絶妙なバランスでチームを牽引。メジャーの大スターであるアンドリュー・ジョーンズ(AJ)も持ち前の実力を発揮し、チームにプロ意識を植えつけた。投げてはこの年、24勝0敗という驚異的な成績を残す田中将大の存在があり、野手陣は「将大が投げる日は1点取れば勝てる」という絶対的な信頼を寄せていた。

初のリーグ優勝を鮮明に意識し始めたのは、8月下旬のことだった。23~25日にかけて行われた2位・千葉ロッテマリーンズとの直接対決3連戦。直前の5連敗から一転して劇的なサヨナラ勝ちを含む3連勝を飾り、ゲーム差を5.5に広げた。

「あのロッテ戦で、“これはいけるんじゃないか”という空気が固まりましたね。うちには優勝経験がない選手も多かったけど、中日ドラゴンズ出身の岩﨑達郎さんや、メジャー出身の稼頭央さんのような、優勝を知る経験者が“落ち着いていつも通りやれば大丈夫”と声をかけてくれた。だから、チームが浮き足立つことはまったくありませんでした」

悲願達成が近づくにつれ、指揮官・星野仙一の眼光はより一層鋭さを増していった。意識的に緊張感を漂わせ、ナインの緩みをシャットアウトしていたのだ。

「星野さんはあえてピリついた雰囲気を出していましたね。手綱を引き締めるのが本当に上手でした。試合前には“絶対に怪我だけはするなよ、無理はするなよ”と優しい言葉をかけてくれるけど、いざ試合に入るとものすごい気合いが入っている。その姿を見て、僕たちも“よし、やってやるぞ”と気合いを入れ直していました」

「被災地・東北に歓喜を」という強い決意と、指揮官が醸し出す適度な緊張感。投打の歯車が見事に噛み合ったチームは、確かな手応えとともに、球団初のペナントレース制覇へと一気に突き進んでいった。

2013年リーグ優勝、そして日本一

13年9月26日、西武ドーム(現・ベルーナドーム)。球団創設9年目にして初となるリーグ優勝の歓喜は、土壇場のドラマとともに訪れた。直前の2試合に連続でサヨナラ負けを喫し、重苦しい空気が漂う中で迎えた一戦。終盤までリードを許したまま迎えた嫌な展開を打ち破ったのは、アンドリュー・ジョーンズの勝ち越し打だった。そして9回裏、1点リードの場面で星野がマウンドへ送り出したのは、エース・田中将大。連投の疲労もあってか一死二、三塁のピンチを招くも、最後は力でねじ伏せて連続三振。悲願のパ・リーグ制覇を達成した。

「あの土壇場での起用は、さすが星野さんだなと思いました。1点差なら最後は絶対に将大でいく。そう決めていたはずです。あそこで腹を括って送り出せるのが、星野さんという指揮官の真骨頂でした」

歓喜はそれだけにとどまらない。読売ジャイアンツとの日本シリーズは、第7戦までもつれ込む激闘となった。前日の第6戦で160球を投げて初黒星を喫していた田中だったが、負けた直後のロッカールームに、重く沈んだ空気は一切なかったという。

「普段ならガクッとなるところだけど、逆に“明日はオレがやってやる”と、選手同士で声を掛け合っていました。負ける気なんてまったくしなかったし、みんな祭りを楽しむように前を向いていたんです」

第7戦の9回、雨が降りしきる日本製紙クリネックススタジアム宮城(現・楽天モバイル最強パーク宮城)のマウンドに立ったのは、前日に160球を投じて完投していた田中だった。

「ブルペンでキャッチボールをしているのは見えていたけど、“本当にいくの?”という驚きもありました。でも、事前通告がなくても、“最後は将大に締めてほしい”と選手全員が思っていたはず。データや理屈を超えて、“こいつに託す”という星野さんらしい采配に、僕たちも、“絶対に勝つぞ”とさらに心が一つになりました。意気に感じない選手なんて一人もいなかったです」

歓喜の瞬間、3つ目のアウトを奪うと、銀次は真っ直ぐに星野の下へ走った。号泣しながら指揮官の首に抱きついたその姿は、まるで父親に甘える息子のようだった。

「この瞬間、“監督、ついにやりましたよ!”という感情が一気に溢れ出しました。震災からは2年かかってしまったけれど、被災地の方々に少しでも笑顔を届けられたこと、そして何より星野さんを胴上げできたことが、野球人生でこれ以上ない幸せでした。あの抱擁の瞬間は、今でも一生の宝物です」

東日本大震災から2年半。傷ついた東北の地に灯った希望の光は、闘将と選手たちが心を通わせ、ともに戦い抜いた証であった。

生涯忘れぬ「親父」の魂と愛

グラウンドを離れた場所でも、星野仙一という男の温かさと粋な計らいは、銀次の心に深く刻まれている。12年オフに銀次が結婚した際、星野から手渡された「分厚すぎるご祝儀袋」には、思わず唸るような趣向が凝らされていた。

「包みを開けたら、千円札が300枚と一万円札が3枚入っていたんです。当時の僕の背番号《33》に合わせた33万円でした。“星野さん、さすがだな”と思いましたね。あのときのご祝儀は使わず、今でも手つかずのまま自宅に大切に飾ってあります」

子どもが生まれた際には、星野が実際に着用していたユニフォームに、「大志を抱け」の言葉と子どもたちの名前を直筆でしたためてプレゼントしてくれたこともある。公私でのふれ合いを通じて、いつしか銀次は「あの人のようになりたい」という思いを募らせていく。しかし、その別れはあまりにも突然だった。

18年1月、星野はこの世を去った。その5年後となる23年限りで現役を退いた銀次は、引退会見の場に紫のネクタイを締めて臨んだ。かつて星野がイーグルス監督就任会見の際に着用していた、遺品の形見分けで譲り受けたものである。所有する車のナンバーも星野の背番号にちなんだ《77》を選び、今なおその教えとともに生きている。そして、オフになると毎年欠かさず星野の墓前に足を運び、静かに手を合わせている。

「星野さんがいなかったら今の自分は絶対にありません。プロでここまでやれることも、優勝することも、引退後にこうして働けることもなかった。僕の人生を根底から変えてくれた方です。だからこそ、星野さんから教わった愛情と闘争心を胸に、これからの人生も過ごしていきたいんです」

銀次が考える星野仙一とは?――“親父”

最後に「星野仙一という人物をひと言で表すとしたら?」と尋ねると、銀次は迷うことなく、即座にこう答えた。

「もちろん、『親父』ですね。偉そうだと思われるかもしれないけど、これしか思い浮かばないです。いろんなことを教わって、めちゃくちゃ怒られて、でもその何倍もの愛情で包み込んでくれた。僕にとっての星野さんは、まさに『親父』そのものでした。自分もいつか、星野さんのような男になりたいと思っています」

初優勝の歓喜の瞬間、泣きじゃくりながら指揮官の首にしがみついたあの日のぬくもりは、今も銀次の胸の中で温かく、そして熱く熱を帯び続けている——。

Profile/銀次(ぎんじ)
1988年2月24日生まれ、岩手県出身。盛岡中央高校から2005年高校生ドラフト3巡目で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。内野手へ転向後、星野仙一監督の下、12年にレギュラーへ定着すると、13年には打率.317をマークし、球団初のリーグ優勝と日本一に大きく貢献した。プロ通算1239安打、打率.290を記録し、巧みなバットコントロールで長年イーグルスのヒットメーカーとして活躍。23年限りで現役を引退し、現在はアンバサダーとして球団や東北の発展に尽力している。

Profile/星野仙一(ほしの・せんいち)
1947年1月22日生まれ、岡山県出身。倉敷商業高校、明治大学を経て、68年ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。気迫あふれるピッチングで、現役通算500試合に登板し、146勝121敗34セーブを記録。現役引退後はNHK解説者を経て、87~91年、96~2001年と二期にわたって古巣・ドラゴンズを率いる。02~03年は阪神タイガース、07~08年は日本代表、そして11~14年は東北楽天ゴールデンイーグルスで監督を務める。17年、野球殿堂入り。翌18年1月4日、70歳で天に召される。

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