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高校中退→ロサンゼルスで音楽を学んだ【アーティスト】玉置浩二のバンドでギターを弾いたバンドマンとは?

  • 2026.9.29
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2013年10月、桑名正博の一周忌ライブを開催した美勇士(C)SANKEI

12年前の2014年3月、埼玉・三郷市文化会館で、玉置浩二にとって実に7年ぶりとなるソロツアー『GOLD TOUR 2014』の幕が上がった。

ステージ上、玉置の背後を固めるバンドメンバーの中に、美勇士(みゅうじ)の姿があった。担当はコーラスとギター。玉置からの呼びかけによって実現したツアー参加だった。

開幕を伝える当時のニュースでは、どうしても「故・桑名正博の息子」という肩書きが先行した。だが、ひとたびスポットライトの下に立てば、二世という看板など何の意味も持たない。求められるのは、誰の息子かではなく、どんな音を鳴らすかだけだ。その過酷で純粋な現場に、彼は一人のバンドマンとして立っていた。

「さん」を付ければミュージシャン

父は『セクシャルバイオレットNo.1』の桑名正博、母はアン・ルイス。ふたりの長男として生を受けた彼には、両親の強烈な願いと遊び心が込められた名前が授けられた。

名前の読みは「みゅうじ」。「美勇士くん」と呼べば「ミュージック」に、「美勇士さん」と呼べば「ミュージシャン」に聞こえる。生まれた瞬間から将来の職業を指定されているかのような、型破りなロック夫婦のユーモアだ。

さらに、名前の漢字を英語で表せば「ビューティフル・ブレイブ・ソルジャー」、つまり美しく勇気ある戦士となる。音で音楽を背負わせ、字で戦士たることを求めた。

「二世」の肩書きを背負って

生い立ちは決して平坦なものではなかった。美勇士が3歳のときに両親は離婚。母に引き取られ、中学からは大阪で父と暮らすようになる。

音楽の道へ進む決定打となったのは、父のステージでマイクを握った経験だった。やがて高校を中退し、音楽を学ぶために母の住むロサンゼルスへ渡る。1998年には母・アン・ルイスとのデュエット曲をリリースする。その後はソロ活動に加え、ドラマや舞台、ボーカルを務めるバンド「トライポリズム」など、表現の場を広げていった。

偉大な両親を持つ二世には、常に色眼鏡がつきまとう。桑名正博とアン・ルイスの息子という肩書きは、業界の扉を開けるきっかけにはなっても、表現者として生き残り続けるための免罪符にはならない。どれほど抗っても親の影がちらつく世界で、それでもマイクを握り、ギターを抱え続けた。

家族3人の歌声が揃った『One』

2012年10月、父・桑名正博が脳幹出血により59歳でこの世を去る。あまりにも早すぎる別れだった。

一周忌を控えた翌2013年10月、美勇士は1枚のシングルをリリースする。タイトルは『One』。

作詞・作曲を美勇士自身が手掛けたこの楽曲には、闘病前の桑名正博と、アン・ルイスが歌声を寄せていた。2012年5月、美勇士は父に直接頼み込み、無理を言ってこの曲を録っている。母には「一生のお願い!」と、一言でもいいから歌ってほしいと頼んだ。桑名にとっては、これが生涯最後のレコーディング音源となった。

かつて離れ離れになり、それぞれの道を歩んできた家族3人が、息子の作ったたった一曲の中で声を重ね合う。

リリース当日には、東京・原宿のライブハウスで一周忌追悼ライブが開かれた。美勇士は亡き父の数々の名曲を歌い継ぎ、代表曲『セクシャルバイオレットNo.1』では玉置浩二がサプライズで飛び入りし、ファンを喜ばせた。そしてアンコールのラスト、彼が歌ったのが『One』だった。

玉置浩二のステージで鳴った父の歌

あの熱い夜から半年後、2014年春に幕を開けた玉置のツアーに、美勇士はコーラス兼ギタリストとして帯同した。ツアーの千葉公演は、のちに映像作品にも収められた。玉置の『サヨナラ☆ありがとう』に桑名正博の『セクシャルバイオレットNo.1』をつないだ一曲も、そこに残っている。玉置と美勇士が、桑名の歌を共に鳴らすメドレーだった。

かつて両親の願いと茶目っ気によって音楽の名を与えられた少年は、父の一周忌ライブに飛び入りした玉置のツアーで、父の歌を響かせていた。

スポットライトを浴びていたのは、もはや誰かの息子ではない。ギターを弾き、声を重ねるその姿は、名前に込められたとおりの「美勇士さん」、つまりミュージシャンだった。


※記事は執筆時点の情報です

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