1. トップ
  2. エンタメ
  3. 30年前、歌手として日本で売れた声の一人だった【美人女優】当時、アルバムには収録されなかった一曲

30年前、歌手として日本で売れた声の一人だった【美人女優】当時、アルバムには収録されなかった一曲

  • 2026.9.24
undefined
篠原涼子-1997年6月撮影(C)SANKEI

いまの篠原涼子を、歌う人として最初に思い浮かべる人は、今はそれほど多くないかもしれない。ドラマや映画の主演女優、あるいはバラエティで屈託なく笑う姿のほうが、ずっと近い。

だが1994年の夏、彼女は歌い手として、その年の日本で最も売れた声の一人だった。小室哲哉プロデュースの『恋しさとせつなさと心強さと』は200万枚超のヒットとなり、篠原涼子という名前を、テレビの向こうからお茶の間の真ん中へ一気に運んだ。

その2年後に出たのが、この曲だ。大ヒットの光が強すぎると、周りにある曲はどうしても影に沈む。けれど、歌手・篠原涼子がひとつの季節を終え、次の季節へ歩き出そうとしていた瞬間の空気が、ここには残っている。輝きの中心ではなく、その隣にあった一枚として、位置を測り直してみたい。

篠原涼子『しあわせはそばにある』(作詞:秋元康/作曲:寺田一郎)ーー1996年8月21日発売

大ヒットの枠組みを離れて

1994年の大ヒットのあと、篠原涼子は小室哲哉のプロデュースで『もっと もっと…』『Lady Generation』を続けて出し、アルバム『Lady Generation〜淑女の世代〜』を発表する。そして1995年、小室とのコンビは解消された。

そこから彼女は、井上陽水や広瀬香美といった作家から曲を受け取るようになる。小室サウンドが街のあらゆる場所で鳴っていた時代に、あえてその外へ出る選択だった。ただ、セールスの面では小室期のような数字には届かなかった。『しあわせはそばにある』は、その流れのすぐ先に置かれた一枚である。

本人は後年、当時を振り返って、小室の作るダンサブルな曲とは違う方向にも挑んでみたかった、という趣旨を語っている。同時に、売れ行きが以前ほどではなかったことも認めているが、そこに悲壮感はない。むしろ、あれだけの当たりを引いた直後に、同じ手をもう一度は使わなかった本人の意思のほうが際立って映る。

旧知の編曲家がもう一度受け止めた声

本作は、作詞が秋元康、作曲が寺田一郎、編曲がCHOKKAKUという顔ぶれで制作された。寺田一郎は、SMAPの『胸さわぎを頼むよ』のほか、貴水博之や忍者に曲を書いてきた作家である。歌い手の個性を先に立て、その上に旋律を置いていく仕事ぶりを感じさせる名前で、篠原涼子の声にとって、その距離感はおそらく心地よかった。

そしてCHOKKAKU。篠原涼子が東京パフォーマンスドールにいた時代、『SEVEN BOWS ~休日の虹たち~』を編曲し、『24 hours』では作曲と編曲の両方を担った人だ。ソロになってからも『ダメ!』『平凡なハッピーじゃ物足りない』と続けて彼女の曲を編曲し、この曲でも音の設計を預かった。後にSMAP『夜空ノムコウ』、KinKi Kids(現・DOMOTO)『愛されるより 愛したい』、浜崎あゆみ『NEVER EVER』などを手がけ、数多くのヒット曲の音を形にしていく編曲家である。

つまりこの曲は、小室の後に新しい誰かを探して組んだ布陣ではない。小室以前から篠原涼子の声を知っていた人が、もう一度その声を受け止めた一枚だと言える。ダンサブルな小室期の曲で鳴っていた彼女の声を、別の温度で鳴らし直す。その役を、顔なじみの編曲家が引き受けた。この事実に、転機の曲としての品の良さを感じる。

ベスト盤の並びで初めて見つかる曲

この曲は当時、アルバムに収められなかった。シングルとして世に出たが、アルバムには収録されないまま、篠原涼子は次の作品へと進んだ。翌1997年11月、ベスト『Sweets ~Best of Ryoko Shinohara~』が出て、ようやくこの曲はアルバムの中に居場所を得た。そこには『恋しさとせつなさと心強さと』も『もっと もっと…』も並んでいる。

順に聴いていくと、小室期の曲の熱と、この曲の落ち着きとの温度差が、そのまま歌手・篠原涼子の2年間の移動距離として聞こえてくる。

輝きの中心にいた曲だけを聴いていては、この距離は測れない。隣にあった一枚を通して聴くと、篠原涼子という歌い手が、どこから来て、どこへ向かおうとしていたのかが、少しだけはっきり見えてくる。


※この記事は執筆時点の情報に基づいています。

の記事をもっとみる

注目コンテンツ