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ジョイトイを覚えている?強烈なインパクトを残した女王様・インリンとは何者だったのか

  • 2026.9.6
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2006年11月、プロレス・ハッスルハウスでのインリン(ニューリン様)(C)SANKEI

インリン・オブ・ジョイトイ。その名前を聞くだけで、大胆な衣装、挑むような視線、テレビやリングをにぎわせた姿まで思い出す人もいるだろう。

2000年代、彼女の登場は衝撃的だった。ただ肌を見せたからではない。当時のグラビアで親しまれていた笑顔や恥じらいとは逆に、強く、攻撃的で、こちらを見返してくる女性像を持ち込んだからだ。

強烈な呼び名。バラエティーで見えた、おっとりした素顔。さらに『ハッスル』のリングで完成した「インリン様」。本人の美意識と周囲の演出が重なり、インリン・オブ・ジョイトイという、どの肩書にも収まらない存在が生まれた。

結婚、台湾への移住、3児の母となった現在までをたどりながら、改めて考えてみたい。インリン・オブ・ジョイトイとは、いったい何だったのか。

笑わず、こちらを見返す女性

出発点は短大時代の読者モデルだった。写真を撮られることが好きで自ら応募し、そこで出会ったカメラマンとユニット「ジョイトイ」を結成する。

二人が目指したのは、セクシーでありながら格好よく、自立した女性。当時多かった笑顔や内股のポーズから離れ、黒い衣装と鋭い視線を選んだ。

その見せ方の象徴となったのが、のちに「M字開脚」と呼ばれるポーズだった。さらに雑誌側が「エロテロリスト」というコピーを付け、写真の中の女性像は一度聞けば忘れられない言葉を持った。

しかし、衝撃は奇抜なポーズだけにあったのではない。インリンは衣装や角度を細かく考え、下品に見えるものは避けた。見せる範囲ではなく、どう見せれば強く、美しくなるか。その主導権を自分の側に置いていた。

写真からテレビ、そしてリングへ

写真の中では近寄りがたい女王。一方、普段のインリンはおっとりしていた。素の自分を見せれば、写真集を買った人をがっかりさせるのではないか。そんな不安から、当初はバラエティ番組『ロンドンハーツ』への出演も断っていたといった逸話もある。

それでもテレビに出ると、強い見た目と穏やかな話し方の落差が知られるようになった。イメージが崩れたのではない。あの衣装の内側にいる人まで含めて、インリンを見る楽しさが増えたのである。

2004年からはプロレスイベント『ハッスル』に参加。むちを手にした「インリン様」としてリングに現れた。衣装も自ら考え、写真の中にあった女王像を、今度は動きと物語のあるキャラクターへ広げていった。

グラビア、バラエティー、プロレス。普通なら別々の人が担うような場所を、一つのイメージのまま渡り歩く。その姿こそ、インリンがほかの誰にも似ていなかった理由だった。

「インリン様」を知る人との結婚

2008年9月、インリンは日本人男性と結婚した。32歳。相手は『ハッスル』の元スタッフで、リング上の「インリン様」を間近で知る人物だった。

2回目のデートで求婚されたものの、インリンはその場で返事をしなかった。同年4月に結婚が報じられた際には、結婚は事実ではないと否定する一方、交際は認めている。それから約半年後、二人は実際に夫婦となった。

結婚は、強烈なキャラクターを脱ぎ捨てる合図にはならなかった。仕事の現場を知る相手と家庭を築きながら、インリンは活動との距離を調整していく。

台湾で暮らし、日本で表現を続ける

2010年、生活の拠点を台湾へ移した。台湾で生まれ、10歳から東京で育ったインリンにとって、二つの土地はどちらも自分の時間が流れた場所である。やがて3人の子どもの母となった。

2014年には台湾で美容や調理に関する資格を取得。2016年には「ジョイトイ」を離れ、芸名を「インリン」へと短くした。その後も台湾の暮らしや情報を日本へ届け、日本のテレビや雑誌にも出演している。

2023年、47歳で14年ぶりの写真集を発売し、自身では最後の一冊と位置づけた。ところが2025年には、49歳でデジタル写真集『インリン BACK TO THE M』を発表。かつての代名詞に、もう一度向き合った。

そして2026年、50歳。『テレ東音楽祭2026夏』への出演や雑誌の表紙など、日本でその姿を見る機会は続いている。昔のイメージを消すのでも、母という新しい肩書に置き換えるのでもない。台湾で暮らす現在と、かつて作り上げた表現を、同じ人生の中に置いている。

インリン・オブ・ジョイトイとは何だったのか

インリン・オブ・ジョイトイは、単なる芸名でも、雑誌が作った偶像でもない。強い女性を表現したいという本人の美意識があり、それを言葉にし、テレビが素顔との落差を映し、『ハッスル』が女王の物語へ広げた。本人だけでも、周囲だけでも作れなかった存在だった。

結婚し、台湾へ移り、3児の母となっても、その歴史は過去にならなかった。「最後」とした写真集の2年後、再び撮影に臨んだことも、その代名詞を自分の歩みとして引き受けているからだろう。

あの姿を思い出すとき、浮かぶのは大胆なポーズだけではない。こちらをまっすぐ見返す視線と、その奥にいた穏やかな一人の女性まで、いまは同時に見えてくる。強烈な女王像も、おっとりした素顔も、どちらもインリンだった。その二つを抱えたまま歩いてきたことが、彼女を誰にも似ていない存在にしたのである。


※記事は執筆時点の情報です

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