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Vシネマで頭角を現し『日本統一』を率いる人へ。俳優の枠を超え歩いた30年

  • 2026.9.11
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2025年7月、テレビ東京系ドラマ『日本統一 東京編』のトークイベントに出席した本宮泰風(C)SANKEI

本宮泰風は『日本統一』で、主演と総合プロデュースの二つの役割を担っている。画面に映る俳優としても、その画面を作る側としても、シリーズに関わっているのだ。

兄は原田龍二、妻は松本明子。1998年の結婚時には、原田の弟で、松本より6歳年下の俳優として紹介された。その後に積み重なったのは、30年を超える俳優の仕事と、作品全体を動かす仕事である。そこへ至る最初の一歩が、ひとまず1年という短い区切りだったことに引かれる。

最初は1年のつもりだった

兄が先に芸能界へ入り、本宮にも高校生の頃から誘いがあった。けれど、その時点では断っている。高校を卒業すると社会に出て働き、改めて声がかかったところで俳優の道へ進んだ。デビューは1994年。初めから長い俳優人生を約束して飛び込んだわけではなく、まず1年やってみるという出発だった。

その1年が終わっても仕事を続け、さらに次の1年へ進む。その繰り返しが、いつしか長い経歴になった。俳優としての歩みを見れば、ここに独特の粘りがある。一度に遠い将来まで決めなくても、次の仕事を引き受ければ経験は増えていく。本宮の30年は、その積み重ねの長さなのだ。

90年代後半からはVシネマへの出演を重ねた。任侠の世界を描く作品群で、俳優として場数を踏んでいく。『日本統一』が始まったのは2013年。デビューからすでに約20年が過ぎていた。今の代表作に出会うまでにも、それだけの年月がある。

6本を3週間で撮る現場

『日本統一』への参加も、最初は俳優としての出演依頼からだった。シリーズを重ねるうちに、本宮はプロデュースにも関わるようになる。演じる氷室蓮司の出番だけを見ていてはわからない仕事が、そこから広がった。

その現場の具体を示すのが、6本分を3週間で撮影した例だ。組事務所の場面をまとめて撮り、ゲストの拘束時間も短くする。限られた予算と日数のなかで、撮る順序や人の動きを工夫して作品に仕上げていく。

1本を撮り終えてから次の1本へ、という作り方とは違う。同じ場所で撮れる場面を集めれば、撮影の進み方は物語の順番からも離れる。その段取りのなかで、俳優はそれぞれの場面を演じることになる。主演と制作の兼任には、この二つを一緒に引き受ける重さがあるのだ。

総合プロデューサーという肩書きも、こうした作業と重ねるとぐっと身近になる。画面の迫力を生むために、画面には映らない時間や費用をどう使うか。本宮の仕事は、そこにまで及んでいる。

俳優として撮りたいものがあり、制作する側には予算の枠がある。本宮はその両方を抱えて現場に立つ。一つの場面へのこだわりと、作品全体を完成させるための条件を、同じ人が考えているのだ。出演依頼を受けて始めた仕事が、作品をどう作り続けるかという仕事へ変わっている。

自分が出る場面のその先へ

制作では、物語を組み立て、どの俳優に役を担ってもらうかを考える。本宮は、自身の演技とともに、そうした作品全体の仕事にも携わっている。配役を考える立場に回れば、目を向ける先にはほかの俳優の持ち味も入ってくる。自分がどう演じるかに、誰と何を作るかという問いが加わるのだ。

その役割は『日本統一』の外にも広がった。映画『静かなるドン2』では、伊藤健太郎が主演を務め、本宮は猪首硬四郎役で出演しながら総合プロデュースを担当している。自分が主役を演じるシリーズに加え、別の俳優を中心に据えた作品にも作り手として関わっているのである。

出演者としての名前と、スタッフとしての名前。二つを合わせて見ることで、本宮の仕事の輪郭は大きくなる。強い役を演じる姿に目が留まったなら、その作品を成立させる側にも本人がいる。その重なりまで含めて見ると、主演俳優という紹介にも、もう一段奥行きが生まれる。

次の1年が連れてきた場所

原田龍二の弟、松本明子の夫。その紹介から本宮を知った人も、作品をたどれば、俳優と作り手の両方の仕事に出会う。家族の名前で始まった紹介の先に、本宮自身が担う仕事がこれだけ増えているのだ。

最初の1年を終えたところで、次の1年へ進んだ。俳優として参加した作品で、制作も担うようになった。その歩みを並べると、続けることは同じ場所にとどまることとも違って見える。経験が積もり、引き受ける範囲が広がっていく。本宮泰風は、その広がりを主演と総合プロデュースという二つの仕事で形にしている。


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